音がしたのは、理科室の前方、黒板がある方向からだった。

 そこには、本来であれば教師が黒板の前に立つ際、彼らが持ち込む教科書などの教材類を置く実験台が佇んでいる。そこから、実験器具が複数入っているその実験台の中から、ガサゴソ、ガサゴソ、と、音がする。それらにはビーカーや試験管などのガラス類がぶつかり合う音や、ロート台同士がぶつかり合う金属音が混ざり合っていて、明らかにある程度の大きさを持つ何かが、蠢いている気配がした。

 音が聞こえてくるその実験台は、この理科室中に存在している他の実験台と変わりなく、紗夜が魔法陣を刻んだ黒幕を巻かれている。

 その幕が、突然剥ぎ取られた。

 どう考えても、実験台の中で蠢いている、何かの仕業だとしか思えない。

 そして事実、その何かの仕業だった。実験台の中から幕を暖簾を手で捲し上げる様にして、中から人が這い出てくる。

 出てきたのは、金髪の女性だった。夕日に照らされた稲穂のような髪だが、それより僕の目を引いたのは、彼女の耳だった。

 尖っている。

 明らかに、この地球に存在している人間の耳の形ではない。つまり――

「せ、成功してたのか? ボク」

「ぬくぁ←うwsぁえdくrfゔぇtgぼyhにゃうjみゅいk,よおl.わp;・ほ@:¥へ「」」

 呆然とつぶやいた紗夜に向かって、実験台から寝ぼけたような半目を開けたその女性は、僕らにとって意味不明の言葉をつぶやいた。

 一瞬唖然となるも、僕はある意味納得するように、小さくうなずく。

「そうか。そりゃ、そうだよな。違う世界の人間なんだから、言葉が違って、当たり前なんだ」

 僕らより未来の住人である大國さんはどう見ても日本人だったし、日本語を使えたって不思議ではない。ナミネさんだって、僕らの地球を動物園として観察しているのであれば、僕らが使っている言語に精通していても、おかしくはないだろう。

 でも、世界が違えば、当たり前のように言葉も変わってくる。

 むしろ、それぐらい違う存在を求めていたのだ。タイムパラドックスを起こしてしまうような、『園』の環境を破壊してしまうような『何か』を。

 ……でも、意思疎通出来ないんだったら、意味がないじゃないか!

 そうなると、今実験台から貞子よろしく這い出てくるあの女性は、僕らにとって危険人物以外の何物でもない。

 言葉が通じない相手しかいない場所に自分が突然召喚されたら、誰だってパニックを起こすだろう。パニックを起こして、自分の身を守るために、攻撃魔法の一つや二つ唱えたって、僕らは文句を言えない様な状況だ。

 マンガやアニメの中であれば、そう言った食い違いがあっても、ギャグの一コマとして処理出来てしまうだろう。

 でも、これは現実だ。

 飛行機事故が起これば人は死ぬし、自殺した人間も当然死ぬ。

 ……もしここで、ファイアーボールみたいな火の玉でも撃たれたら、僕と紗夜は確実に焼死体になるし、この校舎だって炎上するに決まっている!

 無意味とわかっていても、僕は紗夜をかばうように、一歩前に踏み出した。

 未来人と宇宙人への反逆を企てたものの、まさかその反逆に協力してもらうと考えていた異世界人に殺される可能性があるだなんて、全く想定していなかった。

 冷や汗をかきながら、気怠げに這い出してきた異世界人を、僕は睨む。すると彼女は、特大のあくびを噛み殺しながら頭を掻くと、ぴんっ、と右手の人差し指を立てた。

 そして、こうつぶやいた。

「へ@;。ほーpl,わおkみょいjにゅうhびゃygゔぉtfせrdぅえsざわふqぬ」

 その瞬間、異世界人の指に光が灯り、真夏の太陽よりも強い光で、理科室中が満たされる。そのまばゆい光に、僕と紗夜は思わず目を閉じ、顔の前に手をかざした。

 やがてその光が収まり、僕らが恐る恐る瞼を開くと、異世界人が発声練習をしていた。

「あー、あー、あー。初っ端から魔術を使うのだるー」

 そう言いながら、異世界人は気怠げに僕らの方を一瞥する。

「これで、聞こえるかな? いや、声は聞こえていたのか。君たちでも、わたしの声が理解できるようになったかい?」

「は、はい、聞こえますけど」

 そういった僕の隣で、紗夜は驚愕の表情で、目を見張っている。

「……まさか、今のは言語魔法? ボクらが話した数単語から、意思疎通に必要な要素を汲み取ったのか?」

「魔法じゃなくて、魔術だよ。魔術は修練で誰でも会得できるけど、魔法ともなると、ここの素養が、って、なんでわたし、こんな説明してんだろ? だるー」

 今度は腹をかきながら、昼間っから酔っ払っているおじさんのごとく、異世界人は巨大なあくびを浮かべた。あくびをしたせいで涙が出てきたのか、その涙を拭いながら、彼女は僕らに問いかける。

「わたしの名前は、イズニ・ミンゼラウ三世だけど。その格好を見るに、わたしは君たちの世界に召喚されたってところなのかな?」

 別の世界に召喚されたというのに、横柄な態度を崩さない異世界人に、逆に僕は気圧されてしまう。

「そ、そうみたい、ですね」

「……違う世界に召喚されたと理解しているのに、ずいぶん落ち着いているな? 最悪ボクらは、あなたの、イズニの魔法の餌食になるかもしれない、と思っていたのに」

「だからわたしが使ってるのは魔術で、まぁ、いいか。説明めんどくさいし。だるー」

 よっこいしょ、と言って、イズニさんは自分の服が幕の上に刻まれた魔法陣で汚れるのを全くいとわずに座り込んだ。

 あぐらをかいたイズニさんは、ただひたすら面倒くさそうに、口を開く。

「わたしたちの世界は、結構別の世界から人を召喚したりしてるから、その逆もあるかも? って思っただけだよー」

「そんな事あるんですか?」

「結構あるよー。あー、ねむ」

 僕の言葉を話半分で聞いているような態度で、イズニさんは座るのではなく寝っ転がる。

 そしてそのまま、気怠げな表情で、こちらを一瞥してきた。

「それで? これからわたし、どうすればいいの?」

「……え?」

 今度は目だけでなく、顔を上げ、イズニさんがこちらに向かって話しかけてくる。

「いや、わたし、この世界の住人じゃないし。どうやって生きていけばいいのー? 君たちが召喚したんだから、責任とって、面倒見てくれるんだよねー?」

 僕は思わず、紗夜の方へ視線を送る。それと同時に、紗夜もこちらの方を振り向いた。この幼馴染も、僕と考えているのは同じ事みたいだ。

 ……なんだか、今以上に面倒くさい自体が起こっていきそうだ。

 タイムパラドックスうんぬんの話よりも先に、イズニさんの居住問題を解決しなければならなくなった。

 ……といっても、選択肢は限られてるんだけど。

 大國さんとナミネさんが家にいる以上、僕が自分の家でイズニさんを引き取って、面倒を見れるわけがない。そうなると、もう取り得る選択肢は一つしか残されていなかった。

 散々揉めた結果。結局、イズニさんの面倒は今後紗夜が引き受けることとなり、僕はその日、自宅に帰る事となった。

 

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