大國さんの言葉を遮った、娃の部屋から聞こえてきたその声に、僕の心臓は跳ね上がる。もう二度と聞くことがないと思っていた姉の声を、僕は彼女が蘇ったあの日から、毎日聞くことが出来ていた。

 大國さんは娃の部屋の方へ、苦笑いを浮かべながら振り返る。

「うん、漣くんは、ここにいるよ!」

 そう言って、未来人は僕を部屋の中へ入るように促した。けれども僕は、一歩踏み出すのを躊躇する。何度も入っている部屋なのに、まるで見えない分厚い壁がその場に存在しているかのように、僕は歩みを進めることが出来ない。

 その様子を見かねた大國さんは、僕の手を取って強引に娃の部屋へと引き入れた。

 そこでまた、僕は娃から声をかけられる。

「おはよう、漣」

「……おはよう、娃」

 毎朝繰り広げられていた挨拶の応酬だ。

 そして、もう二度と繰り広げられなくなるはずだった応酬でもある。失ったはずのその習慣を行えることが、娃と言葉を交わせるのが、僕にはたまらなく嬉しかった。

 その声がたとえ、鈍く光るスマホ型の金属板から聴こえてくるものなのだとしても。

「それじゃあ私、朝ごはん作ってくるから。娃ちゃんも、何か異変を感じたら、すぐに教えてね!」

「はい。ありがとうございます、大國さん」

 娃にそう言われて、大國さんは手を振り、この部屋を後にする。

 部屋に残されたのは、ぼけっ、と突っ立ったままの僕と、一人で身動きするどころか、そのための体を今は持ち合わせていない娃と、二人だけが残された。

 僕は、娃が置かれている、生前彼女が使っていた机の椅子に座った。

 ……いや、もう娃はAIとはいえ蘇っているから、生前って単語は、正しい使い方じゃないのかな?

 体を失う前だとか、そういう表現が適切なのかもしれない。

 ともかく、僕はスマホのような金属板に向き合う。ここにいない相手と、電話をするように。

「おはよう、娃。昨晩は、ゆっくり眠れた?」

 そう問うと、娃は少し困ったような、どう答えたらいいのかわからないとでも言うような声色で、言葉を紡ぐ。

「うーん、どうなんだろう? この体、体っていってもいいのかな? まぁ、こんな形で蘇るだなんて想像していなかったし、そもそも蘇るだなんて、想定もしていなかったから、色々考えちゃって」

 その言葉に、僕は同意するように、小さくうなずいた。

「そもそも僕は、娃を蘇らせることが出来るだなんて、思いもしなかったよ」

「でも、出来たじゃない。ビックリだよね。体もないから、疲れも全くしないし、本当に、色んなことを同時にたくさん考えられちゃう」

 その感覚がわからずに、僕は逆に問いかけた。

「頭の回転が、良くなったってこと? だったら、良かったじゃん。これから学校のテストは、満点ばっかりだね」

「紗夜ちゃんみたいに? でも、もう私は世の中的には死んでることになってるし、学校に行く必要はないというか、行ったら行っただけ周りを混乱させちゃいそうだよ」

 そう言われて、僕は確かに、と苦笑いをした。娃と仲のいいクラスメイトたちは、死んだ姉が蘇ったという事態もよくわからないだろうし、更にスマートフォンのような体で、かつAIとして蘇っただなんて、受け入れるどころかその事象そのものを理解するのも難しいはずだ。

 そう思っている僕に向かって、娃が違う話題を切り出した。

「そういえば、テストといえば紗夜ちゃんは大丈夫なの?」

「紗夜のことなら、いつも通りだよ、娃」

 そして僕は、大きくうなずく。

「いつも通り、大丈夫じゃない。テストで満点を取り続けて、現在理科室は絶賛黒魔術研究会という名の、紗夜の実験場になってるよ」

 僕の言葉を聞いた娃は、感慨深そうに、言葉を発する。

「……そっか。紗夜ちゃん、まだ続けてるんだ。お金も、相変わらず?」

「うん。娃を蘇らせるために集めた映画の費用も、紗夜に出してもらった」

「……そっか」

「……」

「……」

 それ以上。

「…………」

「…………」

 僕らは、言葉のやり取りを続けることが出来なかった。

「………………」

「………………」

 沈黙に耐えかねて、僕は席を立つことにする。

「じゃあ、僕、そろそろ朝ごはん、食べに行くよ」

「あ、う、うん。大國さんのごはん、美味しいみたいだから、楽しんでね。私の分まで」

 そう言われて、僕は娃の部屋を後にした。扉を閉めて振り向くと、いつの間にかそこにナミネさんが立っている。

 映画鑑賞は切のいいところまで進めたからか、宇宙人は自分の瞳に僕をめい一杯映し出すように、こちらに向かって顔を近づけてきた。

「榧木娃との、コミュニケーション不全が発生している状況か?」

「……え?」

 突然言われた問に、僕は一瞬たじろぐ。その質問の、意味がわからなかったから、というわけではない。質問の意味がわかったから、僕はたじろいだのだ。

「なんだか、変ですよね。娃が蘇るのを、心待ちにしていたのに。蘇ってくれて、嬉しいんですけど、でも、話題が全然頭に思い浮かばなくて……」

 復活した娃との会話は、まるで、年に一度、正月ぐらいにしか顔を合わせない親戚と、突然電話越し話すことになった様なものに感じていた。

 普段は遠くに住んでいる親類から、郵便でお年玉を送ってもらったから、その御礼をするためだけに電話する、そんな儀式めいた、そして話している最中は、ほんの少しだけ、居心地が悪いものだった。

「……どんな会話をすればいいのか、わからないんですよね。蘇ってくれるのを望んでいたのに、いざそれが叶うと、娃にどんな言葉をかければいいのか、わからなくって」

 娃が自殺する前は、僕は姉であり、恋人だったあの人と、どんな形で会話をしていたのだろうか? その疑問の答えを、僕は僕の中にすら、見つけることが出来なかった。

 相手と視線を合わせようにも、今の娃には、目という期間が存在していない。手を握ろうにも、その手自体がなく、相手のぬくもりも感じることはかなわない。

 可能なのは、ナミネさん的に言うのであれば、音声情報でのコミュニケーションだけだ。

 確かに、話はできる。

 死んだ人間と、話ができるようになった。それだけで、本来は満足すべきなのだろう。

 たとえそれが、電話越しの相手(娃)が、実際はどういう状況なのか、僕が理解できない状況であったとしたとしても。

 そう考えていた僕を、ナミネさんはわずかばかりも揺れ動かない瞳で、僕を見据えている。

「榧木漣は、榧木娃と過去、十二分に情報の相互授受は行えていたのか?」

「それは――」

「はいはーい! 一夏特性の、ベイクドエッグが出来ましたよ!」

 ナミネさんの問に僕が答えるよりも早く、大國さんが台所から声を掛けてくる。

「ナミネさんも、どうです? ご一緒に?」

「……物理媒体による栄養摂取は考えていなかったが、アナログの情報授受のために参加を希望する」

「そう来なくっちゃ!」

 そう言って、宇宙人は未来人に誘われた朝食を取りに行く。

 ため息を少し吐いた後、僕も彼女たちの背中を追って、リビングの食卓の輪に加わった。

 

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