翌日。僕は買い込んだ食材と共に大國さんを家に残して、リストにかかれている映画と、その映画を集めるための資金源を確保しに行くため、家を出る。

 僕の足が向かった先は、僕が所属している高校だった。

 日が長い夏であっても、薄っすらと空が光を失っていき、町が逆に輝き出すような時間帯。僕が正門をくぐって見上げる校舎もその例に漏れず、いくつかの窓から光が溢れだしている。その一つは職員室で、その一つは理科室からだった。

 ……よかった。まだあいつは、学校に残っているみたいだな。

 僕は下駄箱で靴から上履きに履き替えて、光が灯っていた教室の方へと向かっていく。向かった先は職員室ではなく、理科室の方だった。

 薄暗い廊下を、僕が立てる足音が響いていく。夏休みの前、一学期では当たり前に生徒たちが埋まっていた教室は、今は当然ながらもぬけの殻で、ただ無言の黒板に机、そして椅子が陳列されているだけだった。

 今日も少し通り雨が降っていたせいもあってか、少し肌寒さを感じる。当たり前に見慣れた学校というものが、夏休みという境界を堺に全く違うものに変わってしまったみたいだ。

 ……いや、実際、変わっちゃったんだろうな。

 当たり前だった僕のその日常には、当たり前のように娃の存在がいた。僕の姉であり、恋人は、もういない。でも、今僕が手にした謎のリストに連なる映画を揃えることができれば、AIという形ではあるものの、もう一度娃と言葉を交わすことが可能になるという。

 ……それを、未来人に提案されて、実現する方法を知っているのが、宇宙人だなんて。

 姿を変えたこの学校以上に、僕の日常も変わってしまったのだ。娃が死んだ、あの時から。

 そんなことを考えながら歩いているうちに、僕はついに理科室の前までやってきていた。扉の隙間から、光が滲み出ている。

 僕は扉を二、三回ノックすると、中から声が聞こえてきた。

『気にせず入ってこい。中にはボクしかいないからな』

 相変わらずのぶっきらぼうな口調に苦笑いをしながら、僕は理科室の中へと入っていく。そして僕の目の前に飛び込んできたのは、異質な光景だった。

 魔法陣だ。

 理科室中、黒い幕で覆われており、その幕の隅々まで魔法陣がびっしりとチョークで刻まれている。学校が変わってしまったというのであれば、この理科室が一番変わってしまったと言えるだろう。通常の教室に置かれているよりも大きく、黒い板が使われている実験台も幕で囲われて、白赤黄青色のチョークで几帳面なぐらい幾何学模様が並べられていた。

 そんな強迫観念に囚われた様な異様な空間でありながら、この空間を創り上げた人物の背が届かなかったためか、窓ガラスと幕の間に隙間が出来ていて、部屋の明かりが外へ漏れている。その隙間がなければ、僕は彼女が理科室にまだ残っているということを知ることが出来なかっただろう。

「おい、何を見ているんだ? 漣。ボクにようがあるんじゃないのか?」

 そう言われて、視線を下に向ける。理科室の中央、から後方にたたずんでいる人体模型にやや近い方、その床に座る、小柄な人影があった。

 夏服のセーラー服に身を包み、リムレスの眼鏡をかけた僕の、そして娃の幼馴染である鳩谷 紗夜(はとたに さや)が、黒い幕の上に座り込んでいる。紗夜は眼鏡のレンズ越しに真剣な表情でチョークを操り、長いおさげが床に垂れるのを気にもせず、魔法陣を幕へと刻んでいた。

 そんな僕と同い年の幼馴染に、こちらから問いかける。

「ノックしたら、流石に相手に名乗らせないと危ないんじゃないのか?」

「夏休みのこの時間、更にこのボクなんかに会いに来るのなんて、今ではもう一人しかいないからな。確認するだけ無駄だ」

 相変わらずの物言いに、僕は思わず苦笑いを浮かべた。

「そんなの、わからないじゃないか。先生が様子を見に来るかもしれないだろ?」

 そう言った僕の言葉を、紗夜は鼻で笑う。

「中間テストと期末テストを全科目満点を取って、ボクが自由に使うことを認めさせた、この黒魔術研究会が活動する理科室に、か?」

 その言葉に、僕は両手を上げて降参の意を示すしかない。紗夜の言った通り、この理科室は彼女がこの学校の教師たちに認めさせた、彼女がこの学校で自由に使える場所となっている。

「今更かもしれないけど、紗夜ももう少し言い方を考えなよ。確かにお前にとって高校レベルの授業は退屈かもしれないけれど、学校側に喧嘩を売るなんて、流石にやりすぎだよ」

 その結果、中間テストと期末テストで満点を取れれば、という学校VS紗夜の構図となったのだが、結果は先程伝えたとおりだ。しかも、中間テストで本当に紗夜が満点を取ったことで焦った教師陣が、恥も外見もなく大学レベルの問題までテストに出題し、それでも満点を取られるという、ダブルスコアぐらい差をつけた、紗夜の圧勝という結果になっていた。

 僕の言葉を聞いた紗夜は、その小さな唇を更に皮肉げに歪める。

「だが、そのおかげでボクはもうこれからくだらない授業を受けずとも、今後テストで満点を取り続ければ、ここで好きに自分の魔術を研究することが出来るようになったわけだ。少なくとも、夏休みの間ぐらいは、ボクが何をしようと口やかましいことをいってくることはないし、ここを自由に使うことにとやかく口を挟んでくるようなことはないだろうね。でも、流石にそれも夏休みまでだろうな。他の生徒の目もあるし、休みが明けたら、即ここに教師どもが怒鳴り込んでくるだろう。ま、そうなっても、またボクがテストで満点を取り続ければ、問題ない話だけれども」

「……まぁ、紗夜なら満点ぐらい簡単に取っちゃうだろうけど、ずっと一人でいて寂しくないの?」

 理科室を根城にした黒魔術研究会は、紗夜一人しか所属していない。僕の言葉を聞いた幼馴染は、軽く肩をすくめる。

「そんな感情、とっくの昔に忘れたよ。両親と、姉さんが死んだ、あの日にね」

「……そっか」

「それで? 同じく姉を亡くした漣は、一人で寂しくなってボクに会いに来たのかい? 人の恋愛についてどうこう言えた立場じゃないけど、流石に手が早すぎないかな? 四十九日ぐらい経ってからじゃないと、あの世の娃に恨まれるぞ」

 僕と娃の関係を知っている紗夜は、そう言いながらも自分の座っている黒幕を叩いて、座るように促してくる。僕はそこにしゃがみながら、口を開いた。

「思ってもないのに、そんなこと言うなよ」

「わからないよ? 大切な人の死で人間は容易にその性質を変異させてしまうことを、ボクがボク自身で実体験しているからね」

「そういう意味だと、僕も娃も、あの時きっと変わったんだろうね。朝羅(あさら)さんの結婚式に向かった、あの日に」

 朝羅さんは、紗夜の姉で、彼女が言っていた通り、既に故人となっている。

 僕らよりも年上の朝羅さんが海外で挙式を上げるということで、家族間で交流が深かった僕らの家族も呼ばれていたのだ。海を越えるために榧木家と、鳩谷家の面々は同じ飛行機に乗り込み。

 そして、事故にあった。

「生存者は、ボクに、漣。そして娃の、三人っていう、かなり悲惨な地獄だったな」

「そっからだよね。元々頭の良かった紗夜が、魔術とか、そういうのにのめり込んでいったの」

「当たり前だろ? ボクの、そして漣たちの両親を奪うような事故を起こし、姉さんを、そして義兄さんになるはずだった人を助けることが出来なかった医療に絶望せずに、どうしろっていうんだい? そんな、脆弱な科学を前提にしたボクらの社会に、未来に自分の人生を、生き残ったお前らの人生を預けられるか? ボクは、無理だよ、そんなの。そんな今にも崩れ落ちてしまいそうなほど脆い科学なんかに、もう自分の大切なものを、奪われてたまるもんか」

 そう言って紗夜は、僕の手を握った。チョークの粉で塗れた指先が、僕の手を汚す。でも僕は、その手を振り払おうとも思わずに、逆に握り返していた。

 あの事故の生き残りである僕らの関係が歪であることを、僕らも十分に認識している。娃と、姉弟でありながら恋人となったのも、きっとそういう歪みから来ているのだろう。唯一残された肉親をもう失いたくない。だからそれを補強するように、一つでも強い結びつきを求めて、娃とはそういう関係になったのだ。それで姉が二度と僕の前からいなくなるという可能性を、ゼロにすることも出来ないのに。

 紗夜も、テストで満点を取れる頭脳を持ちながらも、こんな僕ぐらいしか訪れない理科室でたった一人、科学を憎みながら魔術に傾倒しているのも、そして生前の朝羅さんと同じ、長いおさげの髪型を彼女が続けている理由のも、あの日に僕らが変わってしまったからだ。

 失ってしまったものを埋めるための代償行為だと、理解している。でも僕らは、こうした奇行を止めることが出来ない。欠けた何かを取り戻せないかと、無駄だと思っていても、足掻かざるをえないのだ。

 だから僕は、同じ損失を抱える幼馴染に向かって、口を開く。

「娃を蘇らせる方法があるから、協力してくれないか?」

「いいぜ。ただし、条件がある。一発殴らせろ」

 言い終わる前に、僕は紗夜から全力で顔面を殴られていた。殴った側の紗夜の眼鏡がずれるほどの、フルスイングだった。

 吹き飛ばされた僕は実験台の角に頭をぶつけて、その場で悶絶する。涙目になりながら、何故? と思いながら視線を向けると、仁王立ちした紗夜が僕を見下ろしていた。

「漣は、娃を、蘇らせる方法、って言ったな。つまり、ボクの姉さんは無理なんだろ?」

 その通りだった。大國さんは、僕の両親を蘇らせることは出来ないと、時間が経ちすぎているからと、そう言っていた。

 だから、時を同じくして死んだ朝羅さんも、紗夜の両親も、同じく蘇らせることは出来ないのだ。

 僕だけが。

 紗夜と同じ欠損を抱えた僕だけが、娃を蘇らせることが可能なのだ。

 それがわかっているから紗夜は僕を殴り、そしてその一発で手打ちにしてくれたのだ。自分だけ亡くしたものを取り戻せる可能性がある僕を、その一発だけで許してくれたのだ。

 だから僕は、涙声でこう言った。

「ありがとう」

「……馬鹿め。殴られて礼を言うやつがあるか」

 そういった後、紗夜は髪をかきあげ、鼻を鳴らす。

「それで? 具体的に、娃を蘇らせる方法っていうのは、どういう方法なんだ? 異世界と交流しようと独自の理論を組み立てているボクを差し置いて、漣は何をする気なんだ?」

「僕、っていうより、僕の元にやってきた、未来人なんだけどね。娃をAIとして蘇らせようって話をしたのは」

「……すまん。少し、強く殴りすぎたか? 現実は理解できているか? 漣」

 その言葉に、僕は思わず苦笑いを浮かべる。

「異世界と交流しようとしている人に、言われたくないよ。ともかく、本当に僕の元にやって来たんだよ。お前の嫌いな、科学を前提にした未来から、未来人が」

「漣。お前、娃を亡くした寂しさから、悪質なホラ吹きに騙されてるんじゃないか? その自称未来人から、ボクらの未来で起こるそれっぽいことを一つでも言われたのかい?」

「起こりそうもないけど、将来僕と紗夜が結婚するって言われたよ」

「その時点でその相手が詐欺師だってわかりそうなもんだろう!」

 紗夜に胸ぐらを掴まれるが、僕はそれに構わず言い返す。

「わかってるよ! でも、お前が俺の立場だったら、無視できるか? 娃を、姉を蘇らせれるって言われたら」

 その言葉に、紗夜は黙り込んで僕の方を睨む。そして、ぽつりとつぶやいた。

「……そうだな。異世界があるんだったら、未来人だってこの過去に来てもいいし、何なら宇宙人がやって来たっておかしくないか」

「実際に娃をAIで蘇らせる方法を知ってるのは宇宙人みたいだから、本当に宇宙人を呼び出さないといけないみたいなんだけどね」

「おいおい、何なんだ? その展開」

 完全に呆れ顔になった紗夜へ、僕は大國さんのことと、彼女から伝えられた宇宙人を呼び出すための方法について伝える。

 僕の手からリストを奪い取った紗夜は、それを眺めた後、大きなため息を吐いた。

「この映画、集めるならぼちぼち金がかかるな」

「うん、だから、協力して欲しいんだ」

 そう言った僕に向かって、紗夜は舌打ちをした。そして制服を弄り、財布を取り出すと、札束をこちらに向かって差し出してくる。それを受け取って枚数を数えると、五万四千円ほどの金額となった。

「全く。ボクが自作した為替売買ツールが稼いでくれるから、お前ら姉弟の面倒も見てきたけど、一度死んだやつの面倒も見ることになるとは思わなかったぜ」

「僕だって、幼馴染に養ってもらいながら生きていくことになるだなんて、想像してなかったよ」

 それでも紗夜が僕に金を渡すのは、自分の姉の結婚式に向かって、僕らの両親を事故に巻き込んでしまったという負い目があるからだ。何度もやめて欲しいと娃と共に伝えているのだが、頑固な幼馴染は頑なに首を立てに振らず、今の関係になっている。

 これも、あの事故から続いている、歪な関係の一つの形だった。

 紗夜から受け取った金を自分の財布に入れながら、僕は理科室の出口に向かって歩いて行く。

「それじゃあ、僕はこれから映画が近場で手に入らないか、探してくるよ」

「ついでに、ネットのオークションサイトも見とけよ。落札した方が早いこともあるから。後、金が足りなくなったら、また取りに来い。助けてやるから」

「わかった。ありがとう」

 そう言って振り返りもせず、僕は理科室と、学校を後にした。

 

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