終章
終章
娃を紗夜とする手続きには、多少面倒な手続きが必要だった。でも、生物学的に紗夜である事実は曲げようがないため、最終的には紗夜の想定通り、娃の体は紗夜として生きていくことができそうだ。
その中で一番苦労したのは、学校への説明だ。一度死んだ娃の顔で紗夜が登校した初日など、職員室に大混乱を巻き起こした。紗夜が娃の顔をしているという事実はなかなか受け入れてもらえなかったが、紗夜の圧倒的な学力に反抗的な態度、そして紗夜が用意した、実際に娃の顔にもう一度整形した整形外科からの書類を渡し、ひとまずこれからの問題は夏休み明けに再議論する、ということで開放してもらえることとなった。
……何とか、夏休みの間に終えれて、よかったよ。
部活などで登校している生徒には多少目撃されたが、ほとんどの生徒はまだ紗夜が娃の体になったという事実を知る由もない。夏休みが終わっても、多少の混乱はあるだろうけれど、紗夜がまたテストで満点を取って理科室を占拠して出てこなければ、この奇々怪々な状況に近づきたいと思う人もいないだろう。
諸々の手続きを終えた俺は、家に帰るなり、リビングの状況を確認すると、特大のため息を吐いた。
「それで? どうして皆さん、まだ帰ってないんですか?」
「いいじゃないですか、漣くん! 私の場合、未来なんていつ帰るのかは調整自由なんですから!」
「自分はまだ、この時代のアナログデータの収集に時間をかける用意がある」
「わたしはそもそも、どうやって帰ったらいいかわからないんだよねー。だるー」
リビングのソファーには、未来人に宇宙人に異世界人が、それぞれ思い思いの格好でくつろぎながら座っていた。
その様子を見て、僕の隣の娃の体が苦笑いを浮かべる。
「なんだかこの光景も、見慣れちゃったね。漣、紗夜」
「そう言うけど、こいつらの生活費稼いでるの、ボク何だぜ? もう少し感謝の言葉があってもいいと思うんだがな」
同じ人間から同じ声紋で、全く違う言葉が語られることに、僕はまだ馴れてはいなかった。
とはいえ、娃は娃の、そして紗夜は紗夜の話し方はわかりやすいので、どちらが話しているのかは、わかりやすい。
……まぁ、それも『デバイス』の演算能力があれば、娃が紗夜の、紗夜が娃の発言を完全に模倣するのは、簡単なんだろうけど。
つまり、本当のところ、誰が何を話しているのかわからないということだ。でも、それでいい。生身の人間相手でも、何を考えているのかなんて、僕には全くわからなかった。だからそれと、状況は全く同じだ。わからないからこそ相手に心を砕いて、その相手と向き合う以外、他の誰かと向き合うことは出来ないのだろう。
その接し方は、たとえ娃が、紗夜がAIになったとしても、変わることはない。
そう思いながらも、僕は悪寒を覚えて、視線を上の方に向ける。視線の先には、冷気をその口から一生懸命吐き出している、クーラーの姿があった。
「寒いのか? 漣」
「うん、ちょっとね。クーラー、切っていい?」
「ああ、いいぜ」
そう言って娃の体が、リモコンを手に取り、ボタンを押下する。それを横目に、僕はベランダの方へ歩いていく。
窓を開けると、空はもう日が傾きそうになっていた。
僕の足元から、部屋の中の冷気が抜けていく。その代わりとでも言うように、外の生暖かい風が僕の頬を舐めるように撫でていった。
なんともなしに夕日を眺めていると、背中に何かがぶつかってきた。
「もう、夏も終わりだね」
今日は、夏休みの最終日。夏の終わりを感じるのは、ある意味当然と言えば、当然だった。
僕は姉と幼馴染に向かって、声をかける。
「そんなにくっつくと、暑いよ」
「漣が寒いから、クーラー切ろうって言ったんでしょ?」
「遠回しに温めて欲しいって言ったわけじゃないよ」
「ふぅん……」
そう言った後、娃は先程と同じ言葉を口にする。
「もう、夏も終わりだね」
「そうだね、娃」
「夏休みに入る前は、こんなことになるとは思わなかったよね」
「……そうだね」
「漣にとって高校最初の夏は、あっという間に終わっちゃったね」
そういう意味でいうと、この夏が高校最初の夏なのは、僕も紗夜も、そして双子の娃も変わりはない。
「夏休み、本当に終わっちゃったんだ」
「寂しいの?」
「どっちかって言うと、実感がない、かな」
自殺した娃にとって、突然蘇り、その間の知識だけを与えられてAIになった姉からすると、実感がないのは仕方がないことなのかもしれない。
……それとも、僕が娃の体を錬成しようとしていたときのことを、紗夜から聞いていたりするのかな?
そうであったとしても、娃からすると、所詮聞いた話ということになるので、いずれにせよ実感はないのだろう。この辺りは、紗夜が気にしていた、記憶と記録の差があるのかもしれない。
少し笑った娃が、僕を見上げてくる。
「でも、変なの。夏が終わるのに、全然寂しくないや」
「いいんじゃない? そう感じてても。っていうか、夏の終わりが寂しいって、誰がいい始めたんだろうね?」
「さぁ? でも、考えてみたらさ。その表現って、ちょっと失礼だよね」
「失礼? 誰に対して?」
「秋に対して」
「秋って。それって、もうすぐそこまで秋が来てるのに、去っていく夏を惜しんでるから?」
「そうそう。なんかさ、新しい恋人ができたのに、昔の恋人を想ってるみたいじゃない?」
「季節を擬人化させて、凄いこと言い始めたね」
そう言いながらも、僕はなんとなく娃の言っていることが理解できる気がしていた。死に別れ、蘇った娃の体を取り戻そうと右往左往して、結局紗夜が自分の体を失うことで娃の体を、見かけ上は死ぬ前と同じ娃を蘇らせることができた。
……紗夜はその娃の体の中にいるっていうのはわかってるのに、その紗夜の体も失うことにこだわっていたのは、娃に対して不誠実だったのかな?
「でもそうなると、夏が始まった時のことを終わった後に懐かしむのは、春さんに対して失礼だよね」
「春さんて。でも、確かに終わったのに懐かしんでもらえない春は、ちょっと可哀想な気がしてきた」
そういう意味で、僕は女々しいほどに娃が蘇ることに固執していた。
……そう考えると、本当は、どっちがいいんだろう? 懐かしんでもらえないのと、未練タラタラに執着されるのだとすると、果たして春は、どちらの方が嬉しいんだろう?
そう思っていると、娃は更に、言葉を紡いでいく。
「でしょ? 夏も冬も季節の始まりと終わりがわかりやすいから、そんな感じになるんだろうけど」
「あと、日本は学生で夏休みを体験するからじゃない? 僕たち学生からすると、一年で一番長い休みなわけだし」
そういう意味だと、この夏は特に長い夏だったと思う。
姉が死んで。
未来人がやって来て。
幼馴染に助けを求めて。
宇宙人を呼び出して。
姉がAIとして蘇って。
異世界人を呼び出して。
AIの姉が複数に増えて。
更にもう一人増えた姉が消えて。
AIの姉はAIの僕を選んでこちらには見向きもしなくなって。
そして幼馴染がその身を犠牲にして、姉を蘇らせてくれて。
その姉と幼馴染が、全く同じ体の中に生まれ変わった。
「なるほど、それはそうかも! 休みが終わったら、学校行かないといけないからね。楽しい時間が終わるのは、あっという間だから、そりゃ寂しくもなるし、始まりを懐かしくも感じるかぁ」
娃に手を握られ、彼女の瞳が僕に向けられる。
僕の視界の隅に、もう枯れ果ててしまったヤマブキの姿が見えた。夏休みの間は忙しすぎて、ろくに世話も出来ず、新しい花を植え替えることもしていなかったから、その光景は、ある意味当然のものだった。
……次に何を植えるのか、僕はまだ、彼女たちに相談できるんだな。
「漣はさ。来年の夏は、海と山、どっちに行きたい?」
……それを、娃が言うんだね。
僕がそんな質問をしたのがきっかけで、娃A、娃B、娃Cが生まれたのだ。その話をした時、僕は紗夜にかなりなじられたものだ。
そう思った直後、僕はあることに気がついた。
今の話し方は、別に娃じゃなくて、紗夜であってもおかしくない。むしろ、今このタイミングでそういうことを言いそうなのは紗夜っぽい気もしてきた。
僕は改めて、娃の顔を覗き込む。
「今質問したのは、娃? それとも、紗夜?」
その質問を聞いた僕の大切な人たちは。
「どっちだと思う? 漣」
そう言って、いたずらっぽく笑った。
夏の終わり、僕の恋、姉はAI メグリくくる @megurikukuru
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