第三章

「お前、馬鹿なのか?」

 開口一番、紗夜に僕はそう言われた。

 娃が、二人に増えた。学校の理科室でそのことを伝えた後の紗夜の反応が、これだった。

「いや、馬鹿じゃない。大馬鹿者だな、漣は」

「……わざわざ、言い直すなよ」

「いいや、こればっかりは改めて言わせてもらうよ。大馬鹿者だよ、漣は」

 心底僕を嘲るように吐き捨てた後、紗夜は苛立たしげに頭をかいた。

「そうか。急に娃の体を二つ用意したい、って言い始めたのは、そういうことだったのか」

「生きていくだけでもだるーって思うのに、どうして死んだ人間を、人は生き返らせたいと思うのかなー」

 イズニさんはそう言いながら、娃の体になっていこうとしているそれに、魔法陣をチョークで描いていく。それは以前見たときよりもかなり人間っぽさを持っており、伸びる髪も艶が出ているようにも思えた。この調子でいけば、夏休み中には、この体は出来上がるとのことだった。

「しかも、頼んでもないのに自分のドッペルゲンガーがいるみたいな事態になるなんて、だるさに更にだるさを掛け合わして、合わせてだるだるー」

「……今にして思えば、僕がもっと娃を止めておくべきだったんだ。別に、僕は減った選択肢なんて気にしてなかったんだから」

「でも、娃が漣にそうしてやりたい、って考えたのは、なんだか娃っぽいよな」

 紗夜はそう言って、苦笑いを浮かべた。僕は、そんな幼馴染の言葉に反応する。

「そう? 生きてた頃の娃なら、僕に遠慮なんて、そんなにしなかったと思うんだけど」

 僕が選べる選択肢の一つや二つ減った所で、娃は気にせずに、ただ娃としてその場にあり続けたはずだ。

 そう考えている僕を、紗夜がため息を吐きながら一瞥する。

「お前、それ、本気で言ってんのか?」

「そうだけど……」

 そう答えた僕に向かって、紗夜は先程よりも大きなため息を吐く。

「はぁ。お前、本当に娃と姉弟なのかよ。姉のこと、理解してなさすぎるだろ」

「……それは、自覚してるけど。じゃあ、紗夜は娃のことを理解しているの?」

 そう言った僕に回答するのも癪だとでもいうような表情を浮かべた後、けれども紗夜は結局、口を開いた。

「不安なんだろ、娃は」

「……どういうこと?」

 本気で紗夜のいっている意味がわからずに首をひねる僕に向かって、僕の幼馴染は、本当にこの馬鹿はどうしたものか、とでも言いたげな目で、こちらを見つめてくる。

「お前が言ったんだぞ? 今の娃は、以前の一割しか世界と関連性を持つことが出来ないんだ。つまり、漣との関わりも、一割に減っちまったってことだろ? 姉視点であっても、恋人視点であっても、お前との関係性が一割に減っちまったんなら、減ってしまった九割を取り戻したいって思うもんだろうが」

 だから、娃はもう一人の娃が存在することを許せないんだよ、と、紗夜はそう言った。

 そしてすぐさま、肩をすくめる。

「でも、だからって、ボクは娃Bのために新しく体を作るっていうのは、賛成しないぞ。声だけでこれだけてんてこ舞いな状況になってるのに、二人の娃が体を持ったら、どんなことになるのか想像も出来ないからな」

 紗夜の言葉に、僕は大きくうなずいた。互いの存在を認め合わない娃たちが体を持ったら、僕の姉であり恋人の彼女たちがどういった行動を起こすのかについては、きっと想像以上の何かが起こるという想像が容易に出来てしまう。

 ……そもそも、娃が二人もいる状況なんて、世の中から受け入れられるわけがないよ。

 だから、娃Aと娃Bの体を用意したとしても、どちらか片方はこの時間軸で存在が許されない。けれども、『デバイス』の中にいる娃を消すのすら無理なのに、体を持った娃を、僕が消せるわけがなかった。完全に、八方塞がりな状況になるだけだ。

 そう思っていると、魔法陣を書き上げたイズニさんが、こちらに向かって振り向いた。

「人間の複製は、止めておいたほうがいいよー。わたしがいた世界でも、その辺り、結構だるーって感じになってたからさー」

 その異世界人の言葉にすかさず紗夜が反応する。

「待て、イズニ。お前、前に『同じ生きている人間を複製出来るわけじゃない』って言っていなかったか?」

「そーだよ。だから、出来上がったのは、厳密には人ではないなにかだけど、その人達が人だって信じたら、まぁ人扱いになる、ってわけだねー。それっぽく喋って、それっぽく反応するんならさー」

 釈然としない表情を浮かべながらも、紗夜は顎を動かして、イズニさんへ話の続きを促した。異世界人はあくびを浮かべながら、言葉を紡ぐ。

「結論は、さっき話していたものと同じで、自己否定につながるんだよねー。例えばさー、一人の女性を、二人の男性が奪い合うみたいな、それで、女性の方は別にどっちの男性と付き合ってもいいかなーって思ってるような、だるーって状況があったとするじゃない?」

 そう言って、イズニさんは白いチョークのそばに、赤色と黄色のチョークを並べた。白いチョークが、ここでいう、赤色でも黄色のチョーク(男性)でもいい、だるー、な女性なのだろう。

 イズニさんは欠伸を浮かべながら、更に言葉を紡いでいく。

「それでー、そういうことなら、じゃあ、女性の方を増やしましょうか、っていうことを、わたしの世界でやった人がいてさー。じゃあ、増やしましょうか、じゃねーよ、ってゆー、だるーって話なんだけど」

 そう言いながら、イズニさんはもう一本、白いチョークをその場に置いた。四本のチョークを、紗夜が手にする。そしてその中から、右手に二本、左手に二本持ち分けた。

 僕の幼馴染が、異世界人に鋭い視線を向ける。

「で、赤色と白色。そして黄色と白色のペアが出来上がったわけだな。そこだけ聞くと、一件落着っぽいが、結論はイズニが先に述べているな。自己否定につながる、と」

「そうだねー」

 

「それは、どっちのだ?」

 

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