第4話 神々の呪い
アルにバルドルの看病を任せて、フアニアは薬草採取という名目で森の奥へと向かった。目的はヴォルフ。ヴォルフは本当にいるのかいないのか。痕跡を探しに森に入る。彼が何を隠しているのかはわからないが、平穏でない事態であることは確かだ。
しかし、簡単には見つからない。バルドル一人が歩くだけでは痕跡が少なく、見当もつかない。
「うぅ……それにしても髪が邪魔ね。治ったらまた切ってもらおうかな」
急激な成長を遂げたことで髪の毛も伸びてしまいかなりの量になっている。せっかく整えてもらったのに台無しだ。視界の邪魔になる髪を手でどけながら、何か目印はないかと木々を見て回っていると、ふいに鳥たちが一斉に飛び立った。
「!?」
獣か人か。何かが現れた証拠だ。身構えて木々の間に目をこらすと、見慣れない服装をした男二人がこちらに勢いよく向かってくる。先に向かってくる男の方が背が低く細い。
逃げるべきか。一瞬
「やっと見つかりました!! もう会えないかと思いましたよ!」
全身から喜んでいるのがにじみ出ている。
夏なので服装は薄手のようだがマントの羽織方からして旅人だろうか。かなり汚れてすり切れている。まるで小動物の尻尾のようにちょろりと結ばれた後ろ髪が彼が喜ぶ度に揺れるので動物みたいだと思った。
勢いに気圧されてフアニアが後ずさっていると、もう一人の男も追いつき、先ほどの男性の頭を軽く叩いた。ぱしりと小気味よい音をたてながら、男性は申し訳なそうな視線をこちらに向ける。
「ったく馬鹿かお前は。怯えているじゃないか。すまない……、我々は君に危害を加えるつもりはない」
少し疲れを帯びた顔で謝る男性はとても苦労が多そうだ。どちらも大人のようだが、苦労性の男性の方が年上に見えるが、疲れ切った顔がそう見せているだけかもしれない。
「あの……どなたでしょうか。私は知らないんですけど」
明らかにこちらを知っている雰囲気で話しかけられたが、フアニアにとっては初めて見る人物だ。町で見かけた覚えもない。
「俺はニーロ。こっちのがキーランだ。キーランとは面識がないか?」
「いいえ?」
フアニアが首を傾げると、眉間にくっきりと皺を刻み込み、未だに跪いているキーランを見下ろす。
「どういうことだ、キーラン。あの時会っていなかったのか」
「そのことに関しては今から説明しましょう」
どこか胡散臭い笑顔で立ち上がったキーランと目があう。どこからどう見ても会った覚えがない。
「結論から話すと、僕はあなたが産まれた時、近くにいたんです。ただ、あの時は母親を追って村人達が探しに来ていたので。このまま見つかれば害されると思い、村人を別の場所へ誘導することを優先したので直接は会っていません」
キーランから語られたことにフアニアは目を丸くする。あの時はとにかく飢餓感が一番すごかったので周りに注意をはらう余裕すらなかった。
「……あなた方はいったい」
明らかにただの旅人ではない。フアニアが恐る恐る尋ねると、彼は右手を軽く握りしめ、左手で包みこむようにして手を合わせると、軽く頭を下げる。
「僕は遍歴の学生で、神世の時代や神にまつわる逸話などについて研究しています。
「……研究者、ということですか?」
「まぁ、概ね間違っていない。俺は教師だが、ずっと悪食について調べていたんだ。神々が世界を捨てた後に新たに産まれてくる人ではない存在は貴重だ。それがどの様な意図を持ってして世界にもたらされたのかを把握する為旅をしていた」
まさか研究対象として悪食を見る者がいるとは予想外だった。今までのフアニアの行動範囲から考えると、悪食は食い尽くすという観点から忌避される存在という印象が強かった。けれど、彼らは忌避するどころかフアニアは興味対象になるようだ。それならば、先ほどの様子にも納得がいった。
「それで、何故母を知っているんですか?」
研究していたら偶然生まれる所に遭遇したなどという奇跡はあり得ない。フアニアの問いにはキーランの目が待っていましたと言わんばかりに輝きを増した。
「我々が悪食について調べていたところ、自分達意外にも悪食について調べている巡礼者の夫婦がいるという噂を耳にしたんです。悪食以外にも色々と情報をもっているようで、一部の町ではかなり警戒されていました。僕たちも色々悪食について仮説をたてていたので、会えれば話を聞いてみたいと思い彼らの足取りを追っていたのです」
「ようやく追いつきそうというところ、休憩に立ち寄ったリビスの村で騒ぎが起きていてな。話しをきいたら同じように休憩に寄った夫婦の奥さんが産気づいたことに気がついた村人が、出産するなら町へ行けと、専用馬車に連絡をとってしまったそうだ。母親は逃げだし、父親は村人を止めようと抵抗したところ捕まっていた」
それならば父親は生きているのだろうか。そんな疑問を思い浮かべながらニーロを見ると、フアニアの考えていることが伝わったのか首を横に振る。
「我々が追いついた時にはもう……。荷物共々火をつけて自害したようだ」
「何で……!」
「おそらく証拠隠滅でしょう。僕の仮説では彼らは悪食を産もうとしているのではと考えていたので。産んだ子供が悪食とばれないようにする為にしたのだと思います」
両親にまつわる突然の話にフアニアは言葉が出てこなかった。
森の中で一人出産した母親を普通だとは思わなかったし、浮かべる笑顔がどこか歪だったように思えたことも覚えている。
しかし、まさか悪食を産む為に動いていたとは予想外だ。
「僕は母親を探しに森に入りそこであなたを見つけました。産まれてすぐに成長する姿はまさしく神のなせる奇跡。あの時は離れてしまいましたが、またお会いできて本当に良かった」
「まさかすでにここまで成長しているとは予想外だったがな」
苦笑するニーロがフアニアを見る目は穏やかだった。二人とも心からフアニアのことを見つけて良かったという安堵が表情から見て取れた。
「お名前をお伺いしてもよろしいですか?」
キーランに尋ねられ、フアニアはまだ自分が名乗ってすらいないことに気がついた。二人がまるで知り合いのような態度で接していたのでもう知っているものかと思い込んでいた。
「フアニアです」
「フアニア……! これはまた素晴らしき名ですね」
「そうなのですか?」
名乗っただけでここまで喜ばれると戸惑ってしまう。ニーロとキーランは互いに顔を見合わせると、嬉しそうに笑った。
「神の贈り物という意味だ」
「!?」
「まさしく、相応しき名ですよ。悪食なんていう悪名よりも」
悪食のことを調べていた研究者というのはわかったし、彼らが両親のことを知っていたことも把握した。けれど、それだけで何故ここまでフアニアに対して警戒心がないのか不思議で仕方が無い。
「それより、どうやって私を探し出せたんですか。こんな森まで……」
モレニの町から離れた森の奥深く。道もなければ迷って辿り着いたとも思えない。見つけたというのだからフアニアのことを探していたのだろう。
すると、キーランがどこか得意げに腰に下げていた袋から金属のような棒を取り出した。持ち手もなく、途中で直角に曲がったそれに、フアニアは見覚えがあった。
「それ……」
「ふふっ。なんとこれ、この様にして地面に対して水平に持つと、近くに神に関する力や物を感じた方向に自動的に向いてくれる優れものなんです! 今なら、なんともう一本! 太陽の印がある方が神の力。月の印は神の力でもあまり良くないものを感じ取ります。貴重な代物なんですよ!」
二本の棒を手に興奮したように語るキーランにニーロは呆れているのか口を挟まない。フアニアはその棒に見覚えがあったのだが、ずいぶんと用途が違う気がした。
「私が知っているのは……眷属達が、太陽神と月の女神のご機嫌を計る為だったように思います。太陽神の機嫌がいいと左が、月の女神が不機嫌だと右が、というものだった気が」
太陽神が不機嫌になることは滅多にないが、太陽神の暑苦しさとしつこさに月の女神が不機嫌なことは日常茶飯事だった。眷属達は円滑に仕事をする為に作ったと話している知識があった。
フアニアの指摘に限界まで目を見開き、感極まったように固まるキーランをニーロが後ろから押さえつけた。
どうやらそれを利用してフアニアを探していたようだが、モレニの町であちこちに反応する為迷っていたようだ。まさか同じ町に悪食が二人いるとは彼らも思うまい。
「だが、昨日。突然強く反応があったんだが、こちらの月の印がある方にも反応があり、同じ方角だから心配していたんだ」
本来の用途とは使い方は違うが役に立っているようで何よりだが、予想以上に活躍するらしい。眷属が見たら驚くに違いない。
そこで、はたと自分も探している途中だったことを思い出した。突然現れた二人に時間をとられてしまったが、こんなのんびりしている場合ではなかった。
「ごめんなさい。私、急いで探さないといけないものがあるんです」
「……待ってください。それ、僕らがお役にたちませんか?」
今まで固まっていたキーランが唐突に現実へと戻ってきた。彼はにやりと笑うと手にしていた月の印がある棒を強く握りしめる。すると、すっと動いて森の奥を示した。まるでそこに向かえと言われるような動きに、フアニアはじっと行き先を見つめる。
「……わかりました。お願いします」
何か嫌な予感はずっとしている。彼らが本当にただの学生と教師には思えなかったが、今は不安を解消することを優先することにした。
「これは……!」
周囲の木々が切り倒され開けた場所にそれはあった。取り囲むように円形になった木の板。その中心に、輝く花が一輪咲いていた。
しかし、花の周囲はどす黒く濁った空気がよどみ、時折狼のような形を作ることがあった。
フアニアが呆然としているのとは裏腹に、一緒に来た二人は予想通りといった表情で観察している。
「あの、これは何なのですか?」
「おや。これについては知識がないのですか?」
キーランの問いかけにフアニアは軽く説明する。自分の知識は豊穣の神がこの世界を捨てる時までしかないと。
「それはまた興味深い話でもっと語りあいたいところですが、まずはこれについて。これは神の呪いが成せることです」
「神の……呪い?」
「呪いといっても人間側から見た意見ですけどね。目に見えないものなのでわかりませんが、世界は神々の悲しみが溢れているそうです。それらが人間の憎悪に敏感に反応して集まるようですが、詳しいことはわかっていません」
「だが、ここまで形となってるのは珍しいな。よほど恨みが深いのか」
世界を荒らされた神々がひどく傷ついたのは事実なので、そんなことが起きていてもなんら不思議ではない。もしかして、フアニアにはない知識の後で、何かがあったのかもしれない。豊穣の女神がこの世界をあとにしたのは、最後の方とはいえ、まだ主要な神は多く残っていた。
問題なのはおそらくこれをバルドルが隠していたということ。
ヴォルフ退治を命じられていたと言っていた。だが、町の人の話ではヴォルフなど出たことがなく、町長の依頼は自己満足なのではということだった。
しかし、バルドルは度々進捗の報告と称して町へと向かっていた。バルドルは一体何を隠しているのか。
フアニアにある知識は古すぎて、今の人間達のことがわからなすぎる。
その時、ふいに花が目に映る。黒く汚れた中でも一際輝く花は、誰かが亡くなった証拠だった。
「死んで花になった後って、本人を特定することができますか?」
「できないな。だから身分証の装着が義務づけられているともいえる。身につけていたものは残るからな」
「それって……亡くなったことをごまかすのは簡単ってことですか?」
花を渡され死んだと言われても本人かどうかわからないのなら信用できないのではないか。フアニアの疑問に、ニーロが顔をしかめる。
「難しいができなくはない。死んだら身分証を返却して死亡処理をしてもらわなければならない。村も町も人数を管理されているから、査察で報告と違う人数だと罰がある。身分証はあわせになっていて半分は役所が保管している」
「身分証を返却して死亡届を出した後は本人の身分証が無くなります。身分証は子供の時、洗礼式で神に謝罪した時に申請するものだから、後からの申請はできません」
「子供が神に謝罪するのですか?」
何故子供が神に謝るのだろうか。罪を告白するのとは違う気がするが、今の世界では当然のことのようだ。
「人間が増えることを好まれないのでしょう。人間が神々に対して行ったことを謝罪し、魂の汚れを祓わなければ大人になる前に亡くなってしまいますから」
まさかそこまでになっているとは思わなかったが、仕方が無いとも思ってしまった。
神々と人が争うことになった原因の一端は、人が増えすぎて、人数の有利さで優位にたとうとしたからだった。子供ができないよう呪いをかけたのでなければ、かなり優しいのではとすら思ってしまうのは、フアニアが人の倫理観を持ち合わせていないからかもしれない。
「身分証がないと町に入ることもできませんから生活は厳しくなります。まぁ、身分証を偽造することもできなくはないですが、非常に難しい為、わざわざ手の込んだ死の偽装なんてしませんね」
そこまでする価値がなければやるほど意味がないのだろう。聞いてるだけで面倒で手間がかかる上に、得することがなさすぎる。しかし、できないわけではないという情報に、フアニアはもしや、と考えた。
バルドルの妻は花になって戻ってきて、最期を看取ることすらできなかったと嘆いていた。つまり、産院で死んだと偽ることも可能だったということになるが、そんなことをする理由がわからない。
普段のバルドルを見ている限りでは、これほどまでの憎悪を胸の内に抱えているなどとは思えない。だが、過去を打ち明けてくれた時の様子からすれば抱いていておかしくはないが、ここまでだろうかとも思ってしまう。それならば、彼をそこまで憎悪にかきたてた何かが他にあったはずだ。
けれど、フアニアは圧倒的に情報が足りない。お腹も空いているし、頭がうまく動かない。
「お悩みですか?」
「え?」
考え込んでいて二人がいたことを忘れかけていた。はたと顔をあげると、キーランが胸に手を当て優しげに眼差しを細める。整った顔立ちではないけれど、そうやって笑うととても人が良さそうに見えた。
「僕たちが何か役にたつことがあればお手伝いいたしますよ」
たとえ彼らが悪食を研究対象にしていたところで、こちらの問題に関わる義理はないはずだ。何故、と思うけれど、ありがたい申し出でもある。
「本当にいいのですか?」
「もちろんです」
「では……あの、お二人は悪食のことについて調べていたなら、色々な場所で話をきいた、ということでしょうか」
「そうですね。悪食については町よりは農村の方が噂が多かったので、あちこち巡りました」
「町はまるで口止めされているかのように、知らぬ存ぜぬだったからな。むしろ逆に怪しいぐらいに話がでてこない。食い尽くされるのはたいてい農村が多いという話もあったから、町では知らないのも不思議な話ではなかった」
どうりで町では悪食の噂話を耳にすることがなかったわけである。
「どこかの産院で何かもめ事とか、人の話題にのぼるようなこととかって、きいたことは? 何でもいいんです」
フアニアがキーランを見上げると、彼はふむ、と呟き目を閉じる。何かを考えているのか右手の人差し指で宙に何かを書いている。
ニーロも腕を組んで少し考えこんだ後、僅かに眉をひそめた。
「そもそも産院がこの国独自の制度だからな。産院の存在自体、俺は少し疑っている」
「どういうことですか?」
「制度自体は素晴らしいと思う。だが素晴らしいからこそ違和感がある。それほどの制度がある割に、農村や町への支援があまり見られない。本来なら、農村の疲弊は作物の減産に繋がる」
「その様な見方もできるのですね。昔はまだそこまでしっかりとした国があったわけではないので、私にはその辺りの人間の事情というものがわからないのです」
神々がいた時代はそもそも国や領地というものがなく、町単位だった。神々に至っては一カ所にとどまることすらほとんどなかった。
「国によって違うからな、無理もない。悪食の話もこの国でしかきかないしな。俺的には産院は悪食が関係しているとみている」
「悪食が、ですか?」
「これは仮説だが、悪食は飢えた者から生まれると考えているが、どうだろうか」
「あってます」
「やはりな。となると、民が飢えているということは、統治が荒れている証拠。現にいくつかの農村では悪食が生まれるとしたら貴族が悪いという話もあった」
「あぁ、そういうことですか。悪食が生まれてしまうとお偉方が失敗したと見なされるのでいち早く処分する必要があるということですね」
はっ、と思わず悪態が漏れ出てしまう。そんなフアニアが意外だったのか、ニーロの目が僅かに大きくなる。
「それはわかるのか」
「気持ちはわかりませんが、人間がしそうことだということは」
だが、そうなるとそれだけではない気がする。昔と人間というものが変わっておらず、なおかつ悪食の果実のことを知っていれば、それすら狙ってきそうなほど狡猾だ。
その時、ずっと考え込んでいたキーランが「あっ」と声をあげた。
「思い出しました! ここよりずっと西にある町のことですが、都から来た貴族が出産に来た人妻に一目惚れしたらしいです。女性たちが貴族に見初められることを望む人と、拒否する人とで盛り上がったようで。結局その女性は亡くなったということだったのですが、不思議なことに生きているのを見たという話もあったとかで。貴族に嫁げなかったことを悔やんで死にきれないのでは、と言い出す者までいましたよ」
あまりに白熱した舌戦が繰り広げられたらしく、キーランも思わず聞き入ってしまったらしい。
彼の情報に、ふいにフアニアの中で何かが繋がった。
一目惚れされ亡くなった女性は、バルドルの妻ではないだろうか。隣村一番の器量良しと自慢するぐらいだ。一目惚れされるぐらいの美人であってもおかしくはない。
そして、町での噂。誰かにとり立てられ、官吏だった人間が町長になった。もし町長がその時、産院を管理する立場だったならば、情報を偽装するのは難しくない。
「お二人に、人間としての意見を伺いたいのですが、いいでしょうか」
フアニアは今の仮説を二人に説明する。バルドルの名前は出さずに予想を話すと、ニーロの顔が不愉快そうに歪む。
「十分考えられる話だ。その町長とやらが権力に飢えている人間なら、ご機嫌取りの為に偽装して献上するぐらいならやりかねない」
「官吏なら身分証の偽装もやれなくはなさそうですしね。可能性は非常に高いと思います」
「やっぱり……」
それならばバルドルが恨むのも納得がいく。どこかでその話しを聞くことができたならば可能性はゼロではない。だが、町長がヴォルフ退治を依頼し、バルドルが請け負い大人しく黙って責められていることがわからない。
まして、あんな怪我まで負って……と思った時、ふと黒く揺れる影が目に映る。時折狼の形をとるその影の爪はかなり鋭利だ。引き裂かれでもしたら大怪我ではすまないかもしれない。
「これって、禍々しいですけど消すことはできないんですか?」
「基本的には無理だ。神に近しい力に関しては人間は無力に近い。逆に、神に近い存在の君なら何か浄化する方法がないか」
「私は神に近くもなんともないです。できることは食べることだけです」
期待されても困る。人間から悪食と呼ばれるように、飢えが辛いので食べるだけだ。豊穣の力を得たいと思うほど、そこまで人間に対して興味も愛着もないのである。
ニーロの言葉にキーランが彼を軽く睨みつける。
「……先生。神々に頼っては駄目だということを忘れたのですか」
「……そうだったな、彼女にも失礼だった。すまない」
「いえ、そんな……大したことでは……」
困るとは思ったが、苦しげに謝られるほどのことでもない。手を振って取り繕うと、ニーロはほっとしたのか空気が和らぐ。
「どちらにしろ、今は何も手を打つことができないな。ただ、急いだ方がいい。これだけ形になっている。もし呪いが成就されれば呪った人物も命を失う可能性が高い」
「何でですか!?」
それではバルドルの命が危ないということだろうか。ニーロの服を掴んで見上げれば、キーランが少し羨ましそうな目線を向けてくる。
「人を殺したいほどの呪いの場合は、自分の命をかけるからです」
「…………戻らないとっ!」
事情を問いただして何か対策をとらなければ。アルを一人にするようなことをバルドルがするとは思えないけれど、フアニアはバルドルのことをよく知っているわけではない。
急ぎ戻ろうと
「どうした!?」
ニーロとキーランが突然座りこんだフアニアを心配してか声をかけてくれる。またもや存在を忘れて食べることに夢中になっていたのが少し恥ずかしい。
「……ちょっと頭を使いすぎたのか、空腹感が限界を」
「それならこちらをどうぞ。頭を使った時にはとても良いのですよ」
キーランが胸元から取り出したのは片手で持てるほどの小さな陶器の器。中には砕いた木の実が琥珀色のもので包まれた物が詰まっていた。
「いいのですか……?」
「もちろんです」
「あぁ、子供はしっかり食え」
フアニアの中で一気に二人の好感度があがる。
「ありがとうございます! 二人は良い人間ですね!」
満面の笑みを浮かべ礼を述べる。驚いて凝視する二人が視界に入ることもなく、ほくほくとした気分で差し出された器から木の実を摘む。触れると固いそれは、口に入れると待望の甘みが広がった。
「っ!?」
舐める度に口に広がる濃密な蜜の味に、フアニアは両手を頬にあて顔をほころばせる。顔がにやけるのが止まらない。
産まれてこの方、甘味を密かに求めていたが手に入らなかったのだ。バルドル達にきいたところ、甘味は貴重らしく手に入れるのは難しいと言っていた。
お酒と甘味は神々にとっての最高の嗜好品だった。
豊穣の女神も甘味には目がないようで、妹の慈愛の女神とのお茶会にはいつも甘味が並んでいたとある。
「甘いでしょう? 旅の途中で手にいれたものですが、木の実を蜂蜜で包んで固めたものなんですよ」
「貴重なものをいただいて、本当にありがとうございます!」
「……いや、キーランに対してそこまで好感を持たない方がいい」
キラキラとした目で見つめていたら、ニーロが間に入るように制してきた。
「食べ物を分けてくれる人は良い人ですよ?」
首を傾げて問えば、二人は困惑したように視線を交わし合った後、微笑ましい者を見る目で見つめられた。まるで子供に言い聞かせるように諭される。
「よく知らない人から食べ物をもらうのはいけません」
「そうだ。絶対に駄目だ」
「……よくはわかりませんが、わかりました」
毒も効かなければお腹も壊さないので大丈夫だろうと思うが、人間について詳しい人から注意されるということなので気をつけた方がいいのだろう。フアニアは次に分けてもらう時は気をつけようと、心に止めておく。
「さて、急ぎ戻る必要があったのですよね。
「は?」
「失礼」
気がつくとニーロに抱きかかえられていた。二人は急ぎフアニアが戻ろうとしていたことを気遣って代わりに向かってくれるらしい。向かう方向を尋ねられ、しどろもどろに答えた。
それよりもキーランの呼び方の方が気になって仕方が無い。
我が君って何。キーランの主になった覚えは無い。
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