第2話 食べることの代償

 それから何日が過ぎたのか。フアニアはアル達親子と一緒に過ごしていた。

 別れて単独行をしようとしたら止められたのだ。

 見ている限り二人は裕福そうではないのにも関わらず、食事を分けてくれた。

 食事は朝と昼の二度。日持ちのする根菜を煮て軽く味付けしただけのスープと固いパン。パンがない日は保存食の干した肉が出た。

 保存食が多いせいか塩気が強い味付けになりやすいが、それでも味のしない食事より遙かにマシで、フアニアは二人の好意をありがたく受け取ることにした。

 町にもう一度行って色々と食べてみたかったけれど、お金もない状態では食べることも叶わない。

 アルはフアニアが来てから町に行くことはやめたらしい。それまではバルドルの目を盗んでは町に行ってこっそりお腹を満たしていたようだ。バルドルからもアル共々町には出入りするなと言われているので、二人で留守番をしながら食料調達に励むのが日課になりつつあった。

「出来たー! 可愛いよフアニア」

「……アルは髪を結うのが上手ですね」

「昔もこうやって他の子の髪も結ってあげたりしてたんだよ」

 ふふっと笑いながら何度もフアニアの髪を手でいていく。

「綺麗な髪。収穫間際の麦畑みたいな秋の色……懐かしい」

 アルは自分の髪は軽く二つにくくるだけなのに、フアニアの髪の毛をいじるのを好んだ。耳の両脇を編み込んでくれる。楽しそうにしているので好きにさせていた。

「……アルは優しいですね」

「そうかな?」

「優しいです。だって、髪を結ってくれたり、私に食事を分けてくれます」

 町にいた時の雰囲気からして他人にわけられる程の余裕はどこにもない。アルによると残飯だって取り合うのが現実だという。


「フアニアだって私にくれたでしょ? ならフアニアも優しいね」

「……私が優しい? そうは思えないです」


 優しいというより無関心に近い。神ほど人間に対して憎しみを抱いてはいないものの、興味もない。なので、優しいかどうかはフアニア自身ではわからなかった。

「もうっ。フアニアって賢そうなのに変な所ずれてるんだね。わたしもフアニアもお互い食べ物をゆずりあったんだから、お互い優しいってこと! おかしいこと言ってる?」

「……たしかに。そう言われるとそうですね」

 反論のしようがなく頷けばアルが笑う。それだけで、フアニアも少し嬉しくなった気がした。


 フアニア達が野営しているのは、モレニの町より少し小高い場所に位置している丘だった。この辺りは領地の境らしい。森と切り立った岩場があり、小川も流れているので野営しやすいと教えてくれた。町の様子も岩場に登れば見渡すことができるようで、時折バルドルが町の様子を伺っている姿を何度か見かけた。

 バルドルはヴォルフと呼ばれる、昔は狼と呼んだ獣を狩ることをしているらしく、森の奥に入っては何やら色々と罠を仕掛けている。町から依頼を受けたらしく、成功すれば報酬が良いらしい。今日は報告を兼ねて町に行ってくると言っていた。


「お父さん大丈夫かな」


 アルと二人でかごを持って森の中で採集していると、ふいにアルが心配そうに町の方を見る。ここまで不安げなアルを見るのは初めてだ。

「心配……?」

 尋ねるとアルは小さく頷く。

「前に町に行った時は怪我して帰ってきたから……」

「え? どうして……」

「お父さんは転んだだけだって笑ってたけど、転んだ傷じゃないことなんて見ればわかるのに」

 水浴びする時に傷が多いとは思っていたが、狩りで出来た傷だけではなかったらしい。二人から聞いた話を思い出すに、余所者よそものは基本的にはどこもあまり受け入れたがらない傾向が強いらしいので、そのせいで何かあったのかもしれない。

 フアニアは基本的に人間をあまり信用していないので、まぁそんなこともあるだろうなと思ってしまうけれど、アルにとってはとても心配なことのようだ。落ち込んで籠を両手で抱え込む姿にフアニアまで胸が痛くなるような気がしてきた。


「えっと……あっと……そうだ! 薬草!」


「薬草?」


「怪我して帰ってこないことが一番だけど、もしそうなった時にすぐに対応できるように薬草を探すのは……それなら、私も手伝えます!」

 ぐっと拳を握りしめてアルを見上げると、嬉しそうに抱きつかれた。ぎゅっと力強く抱きしめながら、アルがありがとうと何度も礼を述べる。

「まだ見つかってないですよ……?」

「いいの。お礼はたくさん言ったっていいんだよ」

 少し元気が出たのか籠を手にしたアルが相好そうごうを崩す。元気が出たことにフアニアもほっと胸を撫で下ろすと、アルと一緒に薬草を探す。

 町が近い割にあまり人が立ち入らない森なのか、案外薬草はすぐに見つかった。傷に効く薬草から熱冷まし用。本当ならばもう少し知っている気がするのに、思いだそうとしてもまた思い出せなかった。


 せっかくの知識があっても思い出せないのでは宝の持ち腐れだ。


 アルに隠れながら時折草を口にして判別する。味はしないけれど、毒がありそうな草は何となく舌先がぴりっとする気がした。夢中になって集めていると、二人の籠がいっぱいになる程は採ることができた。アルも満足そうにしているので良かった。

 お昼を過ぎる頃、バルドルは戻ってきた。手には町で買い足してきたと思われる食材の袋がある。元気そうな様子にアルが飛びついておかえりと声をかけている。

「お父さん見てみて! 薬草こんなに採れたんだよ。フアニアって薬草を見分けるのが上手なの」

「それはすごいな。助かるよ、ありがとな」

「へへっ。お父さんが元気そうならいいの!」

 抱きつくアルの頭をとても優しげな眼差しで見つめるバルドルを、フアニアは少し離れた場所でじっと見つめていた。それに気がついたのか、バルドルはフアニアに手招きすると、寄っていったフアニアの頭も撫でてくれた。


「さすが森育ち、やるな」

「……それって褒めてますか?」

「褒めてるだろ」


 見上げて文句を言うと、アルに注がれていた優しげな眼差しをフアニアにも向けてくれていた。


 実の娘ではないのにその眼差しを受けていいのだろうか。


 フアニアは自分の心に浮かんだ疑問から目をそらすように、バルドルからも視線をらした。



 その夜。フアニアは早く寝ると言って一人天幕に戻ると毛布の中に荷物を詰めて、自分が寝ているように偽装する。二人に見つからないようにそっと森の中を迂回しながら町を目指した。

 時刻は星のこく。陽が落ちて水辺から星灯りが空に上がっていく時刻で、夜の中でもっとも地上が明るく照らされる時間でもある。少し目立つかもしれないけれど、フアニアは周囲を警戒しながら町へと向かった。

 アルは気がついていなかったけれど、戻ってきたバルドルからは錆びた鉄くさい匂いがした。あれは血の匂いだ。記憶に染みついた匂いにわずかに顔をしかめる。

 それに、昼間、アルと薬草採りをしながら自分の体の未熟さを思い知った。力も弱く、手足は短い。せめてもう少し大きくなっておかないと、何かあった時にアルと一緒に動くことすらままならないかもしれない。

 二人に隠れて色々と森の中の物を食べてはみたが、あまり大きくならなかった。急激に大きくなれば怪しまれるのは確実だが、足手まといになる方が嫌だった。

 何故こんなにも人間のことを信頼しているのか、フアニアにも理解できなかったが、あの二人と過ごす時間がとても暖かく、空腹さえ紛れたからかもしれない。

「……さてと」

 アルが出入りしていた壁の穴はまだ残っている。そっとそこから中に入ると、以前侵入した時間よりも少し早い為か、通りにはまだ人が出歩いていた。気づかれないようになるべく暗い所を選びながら路地裏を進む。

 山から眺めた所、門は北と南の二カ所。南北を横断する道の中央に広場があり、道に沿って店があるようだった。中央からやや北よりの場所に他より小綺麗な建物があったが、あそこは子供を産む所らしい。

 フアニアが侵入した場所は北東付近。北側の道は南側より少し広めのようで、建っている家も南側に比べると少し大きい。アルによるとお金持ちの家だと余った食事を外に出してくれるらしい。それらを食事が足りない人達で奪い合うと言っていた。

 時間があるなら食事にもありつきたいが、本題は情報収集。怪我をするようなことがあれば、必ずどこかで噂になっているはずである。


 人の口が軽くなるのは酒の席。神ですら酒の席では口が軽くなった。


 酒の匂いが強い場所を探して路地裏を進むと、広場に程近い店の前にたるの絵が描かれた看板が出ていた。ここが酒場らしい。騒ぐ声と共に、酒と食べ物が混ざった匂いが漂ってくる。

 表の入り口では目立つので裏口に回ろうとしたところでフアニアは足を止める。裏口には痩せた人達が何人も扉の様子をうかがっていた。小さい子から青年ぐらいまで年齢は様々。彼らは中から出てきた人が残飯を外に置くと、争うようにして取り合いを始めた。誰も譲り合うということは頭にないらしい。


 すさまじい様子に、アルがフアニアに好意を抱いたきっかけの一端を垣間見た気がした。


 普段これだけ激しい競争をしているのなら譲られるのは衝撃的だったのだろう。フアニアからしても衝撃な光景だ。

 けれど、これでは情報収集どころではない。

 酒場が駄目となると他に思いつくのは、産院さんいんだ。

 女性は集まれば噂話に花を咲かせる。酒場で無茶をして、酒が入った男達と揉めるよりは幾らかマシかもしれない。

 産院は広場から遠くなかったはず。それならばここからも近い。大きな町ではないとはいえ、子供の足で何度も長距離を歩けば当然疲れるわけで、産院に着く頃にはすっかり疲れ切ってしまった。

 他より綺麗な白い石で積み上げられた建物は他の建物から独立していた。石垣に囲まれた中は草が生い茂り、畑まで整っている。表と裏に兵士が立っているようで、物々しい雰囲気で警備されている。

 近くにある建物の陰から様子を伺うと、意外にも兵士達は暇なのかおしゃべりに夢中だった。兵士と言っても簡易的な胸当てと槍だけで、お世辞にも強そうとは思えないので、警備に真剣さがなくても仕方が無いかもしれない。これならどうにかなりそうだ。

 フアニアは近くの石畳いしだたみを噛んで引き剥がし、投げられる程度の大きさに整える。

 子供の手では大した距離を投げられないかもしれないが、注意を引きつける程度はできるはずだ。門から少し離れた物陰に向かって石を投げると何かにぶつかったのか、ガチャンという音が響いた。


「何だ!?」


 兵士の二人は音がした方に向かって走り出す。二人いるなら、一人は残して置かないと警備としては駄目すぎないか、とフアニアが内心呆れつつも、上手く騙されてくれたことに感謝しつつ走る。門番が背を向けた隙にさっと中に入り込み、石垣沿いに向かって中を進む。

 すると、畑と繋がっている中庭らしき場所から、華やかな笑い声が聞こえてきた。フアニアは見つからないように近くの植え込みに身をひそめるようにしてしゃがみ込むと耳を澄ます。

 予想通り色々な噂話をしているようで、話題が次々と変わっていく。

 警備の兵士の男が誰と逢い引きしていたかや、隣の領地の役人の男が格好良くて素敵、どんな旅人が通ったか等、噂話しから色恋まで話題に事欠かない。


「でも、最近は本当に物騒になったわよね。きいた? 人さらいの噂」

「隣の領地から調べに来てる人がいるって話でしょ。怖いわ~」

「ほんとほんと。ここに来るまでの馬車でも不安だったし」

「今日だって、町長の怒鳴り声がここまでしてきたじゃない。わたし、ここの町長好きじゃないのよね」

「わかるわかるー。あたし達にはにやついた顔で”健やかな子を産みなさい”とか言ってくる割に、産婆さん達や兵士の人達への態度は最悪だもの」

「どこの町もそんなもんなんかねぇ。他の町で産んだことがないからわからないわ」

「でも、旅人の噂によると、どこかの町で出産した女性に横恋慕よこれんぼした人がいたとか」

「えぇっ……ここの町長は大丈夫かねぇ」

 町長は相当嫌われているらしく、次々と文句が飛び出してくる。それらの情報からすると、町長は店を構える商人から税金が取れる為商人には腰が低く、農民や旅人には当たりがきついらしい。

「自分を貴族かなんかと勘違いしてるのよ。依頼してるヴォルフ退治だって、本当かどうか」

「あれねー。この町の人達の話しだとヴォルフなんて近年見てないって話しなのに依頼してるらしいもの。それで、進捗が悪いとか言って怒鳴りつけてて。自分が偉いってことを周囲に見せつけたいだけみたいで気分が悪いわ」

「何であんなのが町長してるんだか」

「裏でどこぞかのお偉いさんと何か繋がりがあるからえばってるんでしょ。元はどっかの町のただの官吏かんりの一人だったっていう噂もあるし。一人で貴族みたいな服着て優雅なもんよ」

 もしや、今の話はバルドルのことだろうか。それなら彼が怪我をして帰ってきた原因は町長にあるということか。けれど、彼女達の話題はそこで変わってしまい、これ以上詳しいことはわからなそうだった。

 町長は何故、いもしないヴォルフ退治を依頼したあげく、バルドルもそれを素直に受けているのだろうか。しばらく森で暮らしているが危険な獣が出そうな雰囲気も無かったし、痕跡を見た覚えもない。バルドルが警戒しているおかげといえばそうなのかもしれないが、何か他にも理由がありそうだ。

 座っていることでフアニアの体力も回復してきた。そろそろ戻るかと思っていると新たな話題で盛り上がりだした。


「そういえば、人さらいが一人捕まったらしいわよ」


「聞いた聞いた! だけど、記憶がすごい抜けてるらしいんでしょ」


「……えぇ、それって怖くない?」 


 彼女達の言葉に、フアニアはもしや、と肝を冷やす。

 人さらいの中身を食べた覚えはあるが、そこまでのことになっているとは思わなかった。確かに少しあやふやな状態で食べたのだが、そこまで派手に記憶を無くすほど食べた覚えはない。

 何を間違えたのだろうか。もしかして少しやりすぎただろうか――と不安になった瞬間。ふいに目の前が真っ暗になった。頭から袋状の物を被せられたと認識するまでに時間がかかり、気がついた時にはふわりと体が持ち上がる。


「なっ!?」


「静かに」


 若い男性の声だ。落ち着いているが脅迫めいた響きを感じる言い方に、フアニアは口を紡ぐ。

 袋に詰められてかつがれたことは感触から判断できた。どこかに連れて行こうとしているのか歩く振動が伝わってくる。こんな袋を担いで外に出るのだから、先ほど門に立っていた兵士が声をかけるだろうと思っていたが声がかからない。どうやらこの男も目立つつもりはなさそうで、誰からも声がかからなかった。


 どこへ向かっているのか足取りは迷いがない。


 被せられている袋は食べてどうにでもなるのだが、その先はどうしようもない。しかも袋を食べれば悪食あくじきとばれる可能性が高くなるが、小さな穴程度ならごまかせないだろうか。袋の中は少し息苦しく、顔を動かして袋に口を密着させ軽く食べる。ついでにのぞき穴ように少し上の所も食べておく。

 小さく穴が開いたが、食べた食感的に袋以外の物も食べてしまったような気がするが仕方が無い。男の服に穴が空いたとしても、人のことを突然担いで拉致する方が悪い。

 どれほど歩いたのか突然止まると、地面にどさりと降ろされた。袋をはずしてくれるかと思ったがはずされる気配がない。開けた穴からそっと覗き見ると、建物に囲まれた場所なのかずいぶんと暗かった。周囲の建物に人が住んでいないのか灯りすらない。

 月明かりを頼りに拉致した男を見れば、頭からすっぽり覆えるほどの外套がいとうを羽織っている。暗い色と相まってほとんど周囲の闇と区別が付かない。

 男がこちらを振り返り、ようやく僅かに顔が見えた。

 整った顔立ちで冷ややかに見下ろされていると、月の女神を思い出した。彼女もこんな風に冷ややかな目で太陽神のしつこい愛情表現を振り払っていた気がする。顔立ちは全く違うのに醸し出す雰囲気が、夜のせいか似ていると思わせた。


「やはり君だったか」


 表情こそ変わらないものの、呆れたようなため息をつかれ、フアニアはむっと眉を寄せる。

「勝手に連れ去っておきながら一人で納得するの、やめてもらえませんか」

「……では尋ねるが。君は最近ある男を食べなかったか」

「それはどういう意味ですか」

 男を食べると言われると誤解を生じかねない意味合いになる。さすがに子供にそんなことを訊くわけがないことはわかっているが、馬鹿正直に答えて悪食あくじきであることをばらす必要はない。

 だが、フアニアの質問に対し、男は考え込むように目を伏せる。

「果実すら食べていない? それにしては理性はあるような……」

 ぶつぶつと一人で呟く男に対し、さすがにフアニアも苛ついてきた。大人しく袋の中に収まっているのも馬鹿ばかしくなり、両手で袋の端を掴んですっぽりと脱ぎ捨てる。


「一人で納得するのやめてくださいって、私言いませんでしたか!」


 腹いせ紛れに袋を男に投げつけると、男は目を見開き信じられない者を見たような目で見つめてくる。ほんの僅かの間硬直していた男は、はたと現実に意識を戻すと、投げつけられた袋を手に取りもう一度頭から被せようとしてくる。

 そのことに気がついたフアニアが慌てて男の手を押し返そうとするも、子供の力で適うわけが無く、あっけなく袋の中に逆戻りした。

「目立つと面倒だ。被っていろ」

 周囲に灯りがないとはいえ、町中ではある。確かにあまり人目に付きたくはない。ぐっと言葉に詰まると、男はまたため息を零す。


「君が悪食あくじきなのはわかっている。それを前提として話しを進めてもいいか」


 男の言葉にフアニアは袋の中で身構える。しかし、男はこちらの様子にかまうことなく話を進めていく。


「予想だが、君は人さらいにあって逃げ出す為に男を食べたのではないか?」


 人さらいがあの後捕まったとしても、何故それをフアニアに結びつけることができるのか。警戒して答えずにいると、男は少し苛立ったような雰囲気で近寄りしゃがみ込んだ。フアニアの被っている袋を引き寄せ、覗き穴ように空けていた布にかじり付く。彼が囓った部分が綺麗になくなり、覗き穴ではなくしっかりした穴になっていた。


「っ!?」


 男は少し顔をしかめながら丁寧な仕草で口元を手で拭うと、わかったかと言わんばかりの視線で見下ろしてきた。


 悪食――。


 彼もまた悪食であることにようやく気がついた。

 そして、合点がいった。

 妙に話しやすいと思ったが人間ではなかったのか。人間に対してはつい警戒心が抜けず、アルに対しても未だ余所余所よそよそしさがぬけないのに、この男には文句をつけやすかったのは、無意識に人ではないことに気がついていたのかもしれない。

 悪食が他にもいるかもしれないとは考えていたことだったのに、すっかり失念していた。

 人から聞く世の中の様子からして、飢える状態は珍しくもなさそうだった。それならば、フアニア以外に悪食が産まれていたとしてもおかしくはない。

「ようやく話ができそうだ」

「あなたも……悪食……」

「見ればわかることを訊かないでくれないか。先にこちらの質問に答えて欲しい」

「…………食べました、けど」

 あんな結果になるとは思わなかった。そんなことを考えているとフアニアの思考は筒抜けなのか鼻で笑われた。

「予想外の結果になって驚いたというところ、か」

「!?」

「どうして、という顔をしているが簡単だ。その肉体の大きさでは綺麗に食べる手段を知識から拾えない。理性があって飢えた獣になっていないということは、果実は食べたのだろう?」

「落として食べきれなかったけど食べましたよ」

 ほんの一口か二口分。母親に抱きしめられた時に水の中に落としてしまったのだ。

 フアニアの言葉に男は特大級のため息を零すと、再びしゃがみ込み目線を合わす。不機嫌そうな顔でフアニアの額があるであろう場所を、何度も指先でつついてきた。


「納得がいった。どうりで感情的なわけだ。獣に成り果てなかったとはいえ、こうも感情的なら変わらないのではないか?」


「ちょっ、やめてください! それに、一人で納得する癖、やめてくれます?」

「……面倒だ」

「果実って食べきらないと駄目なんですか!?」

 フアニアにも果実の知識はある。悪食を育てる為の果実であり、空腹で母親が補えない栄養の代わりとなって悪食を育て知恵を授ける。けれど、男の言い分だとあの果実にはそれ以上に効果があるような口ぶりだ。


「あの果実は”理知りちの果実”。悪食に知恵と理性を授ける。全て食べきることで悪食は理性と感情を抑えることができるようになり、身のうちを占める飢餓感に負けなくなる。おそらく、君は感情を抑える部分を食べきれなかったのだろう」


「……あなたは全部食べたんですか?」

「当然だ」

「その割に感情的じゃないですか」

 感情を抑えられるようになると言っている割に、先ほどからフアニアに対して苛立ちを隠しもしない。表情こそ大きく変化はしないが、言葉尻や行動などには明らかに感情がにじみ出ている。


「感情がないわけではない。物事を判断する時に、感情に左右されにくくなるだけだ」


 たしかにそれらは悪食にとっては必要な要素かもしれない。

 飢餓感がいつも付きまとい、隙あらば食べることを考えてしまう。あれがこんな味をしていればいい。どうしたら色々な味を知ることができるのか。その為にはどうしたら。

 理性がなければ際限なく食べていただろうし、人の感情を次々と食べていたに違いない。それほどまでに人の感情は味を知るのにはてっとり早い。

 まさか飢餓感に負けずに耐えられていたのが果実の影響だとは思いもしなかった。


「何故あんな汚い食べ方になるのかと思っていたが、感情に左右された結果だったのか」


「汚いって……何が駄目だったんですか」


 一番知りたいのはそこだ。ぐちぐちと説教されるより結論を聞きたい。

 すがるように前のめりになると、足が袋に引っかかりつんのめる。ずべっと無様に転んでしまい、袋の中で軽く鼻をうった。

「……知恵も足りなさそうだな」

「そんなことは……」

 ありませんと強く言い返したい所だったが、返事は弱々しい物にしかならなかった。起きあがれずもたもたしていることが気に入らないのか、男が起きあがらせてくれる。その手つきが倒れた人形を置き直すかのような扱いで少し悔しい。


「今はこれ以上説明するつもりもない。食べて自分で学べ」


「……じゃあ一つだけ教えてください。あの人、記憶は戻るんですか?」


 フアニアが何を食べてそうなったのかわからないが、戻る記憶もあるのだろうか。せめて問題があるのかないのかぐらいは知っておきたかった。

「問題ない。食い尽くさない限り、感情は再び育つ。何かしらの感情が育てばおのずと蘇る記憶もあるだろう。無ければこちらも少し困る」

 何故彼が困るのかはわからないが、取り返しのつかない事態ではないことにほっとした。それと同時にやたらと人間の中身を食い荒らさずにいて良かったと胸を撫で下ろす。


 知識があるからといって、把握できていないうちに知識を無闇に利用するのが危険だということは認識できた。


「とにかく。二度と見苦しい食べ方はするな。それと早く立ち去ることだ」


 男はそういうと、懐から何やら麻袋を取り出してフアニアに投げつけると、外套を目深にかぶり直して暗闇に消えていった。訊きたいことは他にもあったのにそんな暇すらなく、あっという間にいなくなってしまった。

 フアニアはもぞもぞと被っていた袋を取り外し、男に投げられた袋を手に取る。開けてみると中にはパンが詰まっていた。

「!?」

 まさか食べ物をくれるとは思っていなかったので、フアニアは袋をぎゅっと抱きしめてパンの香りを鼻いっぱいに吸い込む。こんなにたくさんのパンを見たのは初めてだ。

 何故あの男がこんなものをくれたのか。考えられるとしたら、食べてさっさと器を大きくして知恵をつけろ、ということだろう。

 今にも聞こえてきそうな言葉にげんなりとしながらも、フアニアはどうするか悩む。これだけあるのなら、多少は腹の足しになるに違いない。けれど、バルドル達に分けたいと思ってしまう。だが、このパンの入手経路を問われたら答えるのが難しい。

 悩んだ結果、フアニアはとりあえず半分食べることにする。パンは傷むのでそこまで日持ちはしない。半分でも助かるはずだ。

 町中では目立つ為、まずは森へと戻る。時間がかなり過ぎていたようで、星はもう空に上がりきり、月が明るく輝く時間になっていた。さすがのフアニアも、森にさしかかる頃眠気に襲われる。

 何とか眠気を振り払い、野営地に戻る前にパンを半分食べきった。眠気など一口食べれば吹っ飛んだ。アルがふやかさないと食べられないと言っていたが、悪食に固さなど関係ない。風味豊かな小麦の香りと味を満喫すると、飢餓感も少しばかり収まる。


「ん、これは……」


 パンを半分ほど食べたところで、袋の中に瓶が一本入っていたことに気がつく。小ぶりの瓶にはしっかりと栓がしてあるが香しい匂いが漏れ出す。


「お酒っ!?」


 思わず両手で握りしめ瓶を凝視する。

 酒は神々にとっての好物の一つだった。もれなくフアニアの目にも酒は非常に魅力的に映る。

 おそらくこれを飲めば、それなりに成長しそうな気がするという確信さえある。だからこそ酒が入っていたのかもしれない。

 しかし、人間の子供の体に酒がいいとも思えない。悪食だから人間基準で考えるのは間違いかもしれないが、何となくためらわれる。


「あぁぁ……飲みたいけど、どうしよう」


 迷いに迷ったあげく、とりあえず今日は諦めることにする。バルドル達に見つからないように野営地の近くに穴を掘って埋めて隠した。


 時が来たら飲もう。

 

 そう固く決意して、フアニアは床についた。

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