悪食の子~目指せ満腹生活~

都賀みぎり

第1話 食べても満たされないお腹

 木漏れ日が差し込む緑深い森の中。幼女がよたよたとおぼつかない足取りで歩いていた。

 薄汚れた、元は青かったと思われる布を肩口で縛って服代わりに羽織り、裸足でペタペタと苔むした大地を踏みしめる。


「お腹はすいたし、体は小さいし……不便すぎる」


 愚痴を零したくなるのも仕方がない。

 幼女は人間の三歳ほどの大きさしかなく、一生懸命に歩いた所でさほど距離を稼ぐこともできなかった。服も靴もお金もない。ないない尽くしの中、森を歩かなければならないのである。

 休憩がてら近くを流れる小川で喉を潤せば、少しばかり体が軽くなったような気がした。

 拾った枝を囓ってもまったく味がせず、何度か咀嚼している内にさらりと消えていく。食感は感じることができるのに、飲み込んだところで軽い何かが通り過ぎていく感じがするだけでまったく食べた気がしなかった。


「神様に文句を言っちゃいけないんだろうけど、すごく言いたい……」


 何でも食べられる存在。

 世界をまるごと食べることも可能な次元を超えたお腹を、幼女は持っていた。


 おそらく昔、神と人が一緒に暮らしていた時。

 豊穣を司る女神が哀れんで、飢えに苦しむ人達の想いから、何でも食べられる存在を創りだした。

 ただし、その頃人間が神に喧嘩をふっかけていた為人間の印象はすこぶる悪く。ただ食べられるだけではなく、飢えるような状況を作り出した元凶となる人間が死ぬまで飢えが続き、人間以外何でも食べられるようにしてくれた。


 要は、飢えから逃れたかったら元凶をさっさと始末しろということだろう。


 食べた物は神の領域で保管されるので、人の手によって汚される世界を食べることで守って欲しいという意図も込められている。人間を食べることができないのは、人間は嫌いなので食べて守る対象ではないようだ。明らかに、守るよりかは始末しろという意図の方が強く感じられる。

 そんな経緯から、飢えに苦しむ人が増えると、幼女のような存在が生まれてくるようになった。

 それらの知識を、母親の胎内にいた頃に手にしていた赤い果実を食べたことで知った。

 果実の影響か、産まれてすぐに三歳程度に成長したが、今はそこでとりあえず一度成長が止まっている。

 けれど、本当に飢餓感きがかんだけはすごく、常にお腹が空いている。

 何でも食べられるというのは本当のようで、木の枝だろうが、岩であろうが何てことなく食べられる。産まれてすぐさま周りにあった物を少しずつ食べてみたが、どれもこれも味がしなかったことだけは納得がいかなかった。


「それを食べたとは言わないです、絶対!!」


 かすみを食べているのと変わらない状況に、幼女は神様を恨みたくなる。

 恨んだ所で、神様はこの世界を捨ててしまったので、想いが届くかは知らない。

 幼女が得た知識では神様は今いる世界を捨てて新しい場所に移る直前だったはずなのだ。

 何故生まれてすぐにこんな苦労をしなければならないのか。はぁっとまた一つため息をついて、幼女は歩き出した。

 今は少しでも情報が欲しかった。ついでに服か靴が欲しい。出来ることなら、もう少し人間らしい食事をしたい。

 美味しい物が食べたい。野菜でも肉でも何でもいい。なんなら酒か甘味がいい。

 そんな欲望にまみれたことを考えながら、幼女はゆっくりと出口を探して森の中を彷徨さまよう。幸い、獣などは幼女のことを捕食者として認識するのか襲ってくることもなく安全性が保たれていることだけは感謝しても良いと思えた。

 獣からしたら幼女の方が飢えた獣のように見えたことなど、幼女は知らない。

 


 前言撤回。森は安全ではなかった。

 森を一人で歩いていたら見知らぬ人間の男に見つかり、あっという間に捕獲された。幼い体での抵抗など無きに等しく、拘束されて男に連れられ森を行く。男は森をよく知っているのか迷うことなくどこかを目指す。

「何か食べるものありませんか?」

「お前なかなかに図々しいな。黙ってさっさと歩け」

「お腹が空いたんです」

「このご時世、腹なんかみんな空いてんだよ」

 でしょうね、と内心幼女は思う。幼女は飢える人から生まれる。幼女が産まれた状況からしても、飢えるような状態があるということだろう。


 相変わらず人間は変わらない――と、つい顔をしかめてしまった。


 幼女の知識は神によって創られているので、どうしても思考が人間ではなく、神よりになってしまう。そもそも神と人の争いの原因が、人間が彼ら以外が使える人知を超えた力に嫉妬しっとしたことから始まったので仕方がない。

 美しかった世界が炎に呑まれ焦げ付き、空は陰り、人間の血で大地は汚れ、澄んだ水は血と汚泥おでいで濁った。豊穣を尊ぶ歓喜の声は悲鳴と苦痛にまみれ、汚されていく世界に嘆く神々の落胆が、まるで自分の身に起きたことのように思い出される。

 あの頃と何が変わったのだろうか、と男に連行されながら鬱屈した気分になる。

 しばらくすると、幌のついた馬車が止まっており、人相の悪い男が外で待っていた。男二人は何やら会話をかわした後、新手の人物に幼女は引き渡される。

「身分証はないようだ」

「処分しても価値がねぇってことか。まぁ、物好きには売れるだろ」

 じろじろと上から下まで品定めされる。どうやら幼女はこのまま売られるようだ。

「お前、名は?」

「……フアニア?」

「何だそりゃあ」

 幼女自身、それが名前だとは思わないが、幼女を産んだと思われる女性が言っていたのだ。

 森の奥深く。人など誰もいない小さな泉の側で幼女は産まれた。

 胎内から外に出た時は果実を食べることに夢中だった。お腹が空いて、飢餓感が思考を全て塗りつぶし、目の前にある果実しか目に入らなかった。

 けれど、冷たい手で抱き寄せられ見つめられ、はたと現実に意識が向いた。突然のことに後少しで食べ終わるはずだった果実を落としてしまうほどに、幼女はその時驚いていた。

 おそらくもうすぐ死ぬのだろうと思えるほど顔色が悪く冷たい女性。それなのに、死ぬことが怖くないとでも言うような意思の強い瞳。震える手で幼女の頬に手を添え微笑む彼女の笑顔はどこかいびつだったように思う。

 何を考えて森の中で一人産んだのかもわからない。

 ただ、この上なく幸せそうだったことが印象的な人だった。あれが母親なのかはわからないが、彼女から産まれたのだろうからきっとそうなのだろう。その彼女が、最後にフアニアと呼んで亡くなった。

 名前かどうかは知るよしもない。


「まぁ、いい。判断するのは俺たちじゃないしな」


 新手の男がフアニアを馬車の中に突っ込み、御者台に座り出発する。捕まえた男は森の奥へと戻っていった。

 後ろから中が見えないよう布が垂らされているものの、御者台からは丸見えだった。一体どこへ向かうかわからないが、しばらくはこの馬車を利用させてもらう。森を一人歩くよりは距離は稼げるはずだ。ついでに暇なので男から情報を得たい。

 縄で縛られたまま、揺れる馬車の中を移動し、男の背後にまわり声をかける。

「あのー。訊きたいことがあるんですけど」

「……お前、自分の状況がわかってないのか?」

 呆れたような男の声に、わかってるよ、と心の内で返事をしつつ、素知らぬふりをして問いかける。

「人って死ぬと花になるんですか?」

「あ? もしかして両親が花になったか?」

「はい」

「あー、確か昔ばあちゃんが話してたな。神と人が仲良く暮らしてたのに壊してどっかに行っちまったって。んで、それからは死ぬと花になったとかなんとか」

 それでかと、フアニアは納得がいった。どうりで知らないわけである。

 フアニアの知識の大本は神々であり、特定の誰かの記憶があるわけではない。神と人がまだ一緒に暮らしていた頃のことが、まるで教本で教えられたかのように知識として頭に詰まっているだけだ。なので、神が去った後の知識がない。

 あの時代の悲惨さを知っているだけに、神がそんな呪いをかけていったとしても何の不思議でもなかった。

 しかし、どうやら事実がねじ曲げられている気がする。神々が世界を壊したわけではない。どうせ人間が後世に伝える際に事実を伝えなかったのだろう。


 人間がやりそうなことだ、と心の中で毒づく。


「じゃあさっき話してた身分証って何ですか?」

「うるせぇ! 少しは黙ってろガキ!」

 怒られてしまい、フアニアは仕方なく諦める。機嫌を損ねるのも面倒だ。

 男の後ろから外を覗いていると、馬車は森を抜けて街道に出た。どこへ向かっているのか穏やかな道が続く。

 しばらく走っていると、どこからか別の馬車の音が響きだした。男は一旦止めると、降りて後ろを確認した後、舌打ちをしながら馬車を端に寄せる。

「ったく、花馬車はなばしゃかよ、面倒くせぇな」

「花馬車?」

「子供を産みに行く女を運ぶ馬車だ。ご丁寧に紋章付きの馬車まで準備して、町で産ませるんだとよ。何が罪になるかわからねぇし、通り過ぎるまでは黙ってろよ」

 今はそんな制度まであるのか、と思いつつ、横を通り過ぎていく馬車を眺めようかと思っていたら、馬車が隣に止まった。御者台から声をかけてくる。

「あんたはリビスの村の人か? それなら今は寄らない方がいいぞ」

「いや、違うが……何かあったのか?」

「もう一人リビスで乗せるはずが、なんか村で騒ぎがあったようで乗せる予定がなくなったんだ。面倒ごとに関わるのが嫌なら、気をつけろよ」

「忠告助かる」

「街道沿いの情報交換はお互い様だ」

 どうやら馬車同士色々と情報交換が行われるのは珍しいことではないようだ。

 男が礼を述べると、馬車は行ってしまった。

 後ろの扉に花の紋章が描かれた馬車だが窓も何もない。馬車を襲った者は重い罪に問われるとのことらしいが、それにしては馬車が粗末ではないか。男の話では妊婦を運んでいるようだが、まるで隠すようにして連れて行くのには別の理由があるのではと、フアニアは少し勘ぐってしまう。

「お偉いさん達にとっては何か別の利益でもあるってことかな、どうでもいいけど」

 考えていたことが思わず口にでていたのか、男が驚いたようにこちらを見つめていた。

「……ったく変なガキだが、賢いなら少しは値を高くしてみるか」

 ぶつぶつと考えながら御者台に戻った男が再び馬車を走らせる。

 町まで後どの程度距離があるかわからないが、そろそろ逃げ出す準備をした方が良さそうだ。値段のことまで考え始めた男に、フアニアも知識をひねり出す。

 知識はあるはずなのだが、何故か今はあまりしっかりと思い出せない。知りたい知識が目の前にあるのに靄がかかっているような状態の中、必死に情報をたぐり寄せる。

「よしっ」

 手始めに体に巻き付いている縄を食べるべく、ぐぐっと渾身の力で体を折り曲げ歯をたてる。子供の体は柔らかく予想より簡単に届いた。子供の体で役立つことがあるとは思わなかった。

 どうせなら、と縄を全て食べていると、ふいに男が振り返りぎょっと目をむく。


「てめぇ、何を食って……」


 最後の一本を食べ終わった所で目があい、馬車が突然止まる。大きく揺れる馬車の中、フアニアは男の腕に捕まり無邪気に笑った。


「見ました?」


悪食あくじきっ……!? この化け物!!」

 振り払おうとする腕にしがみつきながら、フアニアは不満を漏らす。

「化け物とは失礼です」

「目に付いた物を何でも食べ尽くす化け物じゃねぇか!」

 人間に悪食あくじきなどという名前がつけられているとは予想外だった。化け物というのははなはだ納得がいかないけれど、目についた物を何でも食べるというのは間違いではない。


 人間は食べられないが、人間の”中身”は食べられる。


 人間というものが神の理解の範疇はんちゅうを超えた為、何を考えているのかを知る為に、中身は食べることを許されている。

 食べたいことを指定しながらかじるだけでできるはず。知識の中にはそう記されている。指定するということが曖昧すぎてよくわからないうえに、対象は感情という具体性のないもの。もう少しわかりやすくしておいて欲しいと思いつつ、とりあえず男のフアニアに関わった部分、と思いながら、男の腕に軽く歯をたてた。

「っ!!」

 男が一瞬振りほどくように力をいれるものの、すぐさま男の瞳が陰り焦点があわなくなった。成功したかはよくわからないが、追ってくる気配がないのならいい。


「…………独特の味?」


 初めて食べた人の中身は、香草のような風味で苦みが強かった。

 産まれてから色々と食べてきたが、しっかりと味のする食感にふむと首をひねる。不味くはないが美味しくもない。

 どうせなら美味しく食べたい。やはり味は大事だ。

悪食あくじきとばれると面倒そうですね……気をつけよう」

 フアニアは弾むような足取りで馬車から降りると、道から外れて草むらに身を隠しつつ、街道を進んだ。

 目指すは味のある美味しい食事である。




「食べ物……」  

 せっかく辿り着いた町だったが、フアニアは邪険にされるばかりだった。

 町はさほど遠くない場所にあった。岩がむき出しになった山の中腹に作られているようで、遠くから見た限りそこまで大きな町ではないようだ。

 囲むような石の外壁があるが、堅牢といえるほど高さもなく申し訳程度。大人で身体能力が高い人ならば超えることも難しくはなさそうだ。

 夕暮れには辿り着いたが、町の入り口となる門では門番が何かを確認していた。男が言っていた身分証とやらがないと入れないらしい。仕方なく夜を待ちつつ、目立たないように地中を食べ進んで中に侵入したせいで、フアニアの汚れはさらにひどくなっていた。その為、時折姿を見られる度にすげなく追い払われてしまった。

 漆喰の壁で出来た町は無機質ながらも整っているが、あまり活発な様子がない。もっと賑わっていると思っていたが、予想以上に町中は静かだった。

 暗闇に紛れ、石で出来た道を歩くと裸足の為足が少し冷たい。野菜が積まれた木箱を片付ける男性が目に入り、つい見入ってしまう。隠れなくてはと思うのに野菜から目が離れない。

 フアニアの視線を感じたのか男性が振り返り、顔をしかめて手で追い払われる。


「食いもんが欲しいならあっちに行け。分けてやれるほどここにはねぇ」


 男性が示したのは町の中でも比較的明るいところだった。仕方が無いので、男性が示した方角に歩いて行くと、美味しそうな良い匂いが漂ってくる。匂いにつられるように足を向ければ、建物の中から賑わった声が聞こえてきた。

 そこで飲み食いでも行われているのだろう。何かを煮込んだような少し酸味のある、けれど芳醇ほうじゅんな酒の匂いと野菜が煮える香りにつられてお腹が鳴った。

 人さらいの中身を食べた時、少しだけ飢餓感が紛れた気がしたのだが、動き回ればお腹が空くのも当然というもので。今でははっきりとお腹が空いていた。


 これだけ匂いが漂っているなら、木製の扉に匂いが染みついて味がしないだろうか。


 今にもかじりつきそうな勢いで扉に張り付いて匂いを堪能していると、中から人の気配を感じ、慌てて暗闇に身を隠す。扉が開くと木の器を手にした男がでてきて、無造作に道ばたに置いて戻っていく。

 良い香りを漂わせる器に引きよせられるように物陰から出ると、近くの木箱の陰から少女が現れた。十歳前後だろうか。フアニアよりかは背が高く、薄汚れたワンピース姿。汚れ具合でいえば彼女の方がかなりマシだ。

 少女の目は器に釘付けになっている。フアニアが恐る恐る器に近寄って手を伸ばすと、少女はこちらを伺うようにじっと見つめたまま目を離さない。居心地が非常に悪いが、フアニアも良い香りの誘惑にあらがえなかった。

 器に入っていた赤っぽい汁と混ぜられた野菜を掴み口に入れると、ちゃんと味がした。野菜にしみこんだ塩気と、どろりとした汁気の酸味が口の中に広がったことに思わず目が潤む。


 ちゃんと味がわかる。


 この体には味覚が存在しないのかと絶望しかけていたが、そうではなかったようでほっと胸を撫で下ろす。

 しかし、少女の視線が気になる。

 とりあえず、普通に食べても味がすることはわかったので満足だ。フアニアの空腹はどうせこれを食べきった所で収まらない。もう少し味わいたい所ではあったが、器を少女に差し出した。

 少女は驚いた様に目を見開き、器とフアニアを何度も見比べる。


「いいの?」


 小さく問いかける声に頷くと、少女は一瞬嬉しそうにしながらもすぐさま首をぷるぷると左右に振った。

「だめだよ! 小さい子から食べ物とれないよ!」

「え?」

「食べないと、大きくなれないよ!」

 ぐいぐいと器を押しつけてくる少女は必死に食べ物を見ないように目を瞑っている。本当は食べたいのに自分より小さな子供から奪いとりたくはないらしい。あまりに頑固な様子に、フアニアも諦めてもう少し食べることにする。器に手をかけて中の汁物を飲もうとすると、少女から待ってと声がかかった。


「パンは浸して柔らかくしないと食べられないよ」


 どうやら器に突き刺さっていた楕円形の板は木はではなくパンだったようだ。叩けば音が鳴りそうなほど固いそれは、水気を含ませて柔らかくして食べるらしい。言われるままに試してみると僅かに柔らかくなった。味のない物を食べるよりかは大分満足感が強い。相変わらず何度か噛んでいるとすっと消えてしまうが、味があるとないでは大違いだ。


「くっ……香辛料万歳!」

 塩という偉大さに感激し、一人感動に打ち震えていると、少女が笑った。


「あははっ、へんな喜び方! そんなにお腹空いてたんだ」

「お腹が空いてるのは私だけじゃないでしょう……」


 少女のお腹も先ほどから派手に鳴っている。フアニアは頬を膨らませながら文句をつけ、残っていたパンと汁物を少女に突き返した。

「……いいの?」

 まだ遠慮しようとする少女に対して、フアニアが腕を組んでもう受け取らないという姿勢をとる。少女はくすりと頬を緩ませ、ありがとうと言いながら勢いよく食べ出した。よほどお腹が空いていたのだろう。器の中がまっさら綺麗になるまで食べると、少女がにっこりと笑う。


「おいしかったね!」


 確かに美味しかった。料理としての味の良し悪しはわからないけれど、今は味があるだけでも美味しく感じられる。

 少女につられるようにしてフアニアが頷けば、ふいに手を掴まれて走り出した。

「ついてきて! お礼に綺麗にしてあげるよ!」

「えっ、ちょっと……」

 戸惑うフアニアにかまうことなく、少女はそのまま外壁に空いた穴を通って町の外へ連れ出した。

 地面を掘らなくてもすでに穴があったのか、と内心少し後悔しつつ、フアニアは必死に後をついていった。

 



 着いた先は薄暗い森の中。木々が途切れた川縁には火をたく男が座っていた。

 男はこちらに気がつくと大股で向かってくる。大柄な男で体格がかなり良い。顔は少し痩せて肉が落ち、くたびれて見えるが若そうだ。少女を見つけるなり、眉間に皺を寄せて険しい顔つきで声を荒げる。

「アル! どこに行ってたんだ!」

「……ちょっと町に」

「町には行くなと言っただろう!」

「ごめんね父さん。それよりこの子、良い子なんだよ。こんなにちっちゃいのに我慢ができて、わたしにご飯をゆずってくれたの! すごいよね!」

「……あ?」

 大柄の男はアルと呼ばれた少女の父親らしい。アルに言われてフアニアが初めて目に入ったのか、先ほどよりも一層険しい顔つきになると、フアニアの両脇に手を差し入れ持ち上げた。体が宙に浮き、フアニアは目を丸くする。


「これは人か?」


「人じゃなかったら何に見えるのよ。父さんったら目が悪くなった?」

「いや、獣の子供かもしれないだろう。こんなに汚いんだ」

 土を掘って進んだせいで汚れているとは思っていたが、そこまでだとは思わなかった。そもそも彼の方がもっさりとした長い髪を後ろで縛っているせいで、獣の尻尾のようだ。

 フアニアが眉間に皺を寄せて不満げに表情をしかめると、父親が吹き出した。

「ははっ、いっちょ前にむくれてるのか。ったく、拾ってきたお前が責任を持って綺麗にしてやれよ」

「わかってるよ! おいで……えっと」

「……フアニア」

「フアニアだね! 私はアルセリア。アルでいいよ!」

 もしかしてアルはフアニアを獣の子供か何かと勘違いしているのだろうか。鼻歌を歌いながらフアニアの手を引っ張って川まで連れて行くと、水の流れが緩い場所に立たせた。


「今が夏で良かったねー。って、これは服なの?」


 アルに服を脱がされると、川の中で手早く洗われた。

 何故自分はこんなにもされるがままになっているのだろうと思いつつも、楽しそうに人のことを洗っている子供を見るとすげなく突き放すこともしがたく。綺麗になるのも悪いことではないので、フアニアは大人しく洗われることにする。

 洗っている最中もアルが色々と話しているが、水音と川音のせいではっきりと聞き取れなかった。とりあえず、先ほどの男が父親でバルドルという名、アルが娘であることはわかった。

 洗い終わって川縁に上がると布で丁寧に拭かれ、アルの服だろうか、フアニアには少し大きめの草色のワンピースを頭からすっぽりとかぶせられた。

 体が冷えないようにと、たき火の側に行くと、火の明かりでアルの顔がよく見えるようになった。先ほどまで首元で二つに結んでいた髪が背中に下ろされていて、少し大人っぽく見える。焦げ茶色の瞳と目が合うと、嬉しそう頬を緩ませた。


「うわぁっ! お父さん見て! こんなに可愛いなんて思わなかった」

「ん?」


 離れた場所でずっと何か作業をしていたバルドルがこちらに向かってくる。彼はフアニアの前で立ち止まると視線を合わすように座り込むと、がしがしと頭を手荒くなで回した。

「毛むくじゃらが随分と綺麗になったもんだな」

「……毛むくじゃらじゃないです」

「こんだけ髪の毛が伸びてりゃ毛むくじゃらだ。邪魔じゃねぇのか?」

「邪魔……ですけど」

 体が成長すると同時に髪も伸びた。途中あまりにも邪魔なので噛みちぎろうかとも考えたが、長さが不格好になりそうだったのでやめたのだ。

「ったく、しょうがねぇな」

 バルドルは肩をすくめると立ち上がり、先ほど作業していた場所まで戻り小さめの刃物を手にする。薪の光にあたってキラリと輝く刃物のを見て、フアニアは反射的に飛び退いた。

 人と刃物。本能的に避けなければという拒否反応だった。


「私を食べる気ですか!?」


 四つ足に近い格好で警戒しつつバルドルを見れば、彼は怒るわけでもなくアルと目を合わせて笑っている。

「ほら見ろ、獣じゃねぇか」

「大丈夫だよフアニア。食べたりなんてしないよ。お父さんが髪を整えてくれるだけだから」

 彼らから敵意は感じない。アルが大丈夫だよ、と声をかけながら手を引っ張っていく。未だ不安が残りつつも先ほどいた場所まで戻って座ると、肩口に布を巻かれ、動かないようにアルに言われる。

 刃物を持った人間に背後をとられることに警戒しつつ、フアニアは動かず彼の動きに注視する。彼はふっと笑いつつも、優しくフアニアの髪の毛を手に取り、少しずついていった。


「見た目や雰囲気からすると金持ちの子供みてぇなのに、野生児みたいな警戒心だな。お前、まじでどこから来たんだ」


「…………森」


 笑われそうなので答えたくはなかったけれど、森しか知らないので答えようがなかった。けれど、バルドルは笑うことなく、「そうか」と納得するだけだった。

「笑わないんですか?」

「今はどこも厳しいからな。お前みたいなガキは何人も見てきた。捨てられたガキも、親と死に別れたやつもな。こんなに小せぇのに森の獣にやられることもなきゃ、街道で人さらいにあうことなく町まで来られたんだ。運が良いだけじゃそう上手くはいかねぇよ」


 いや、人さらいにはあったな、と思い出していると、バルドルの言葉にアルが少し顔を曇らせた。


 二人の過去に何があったかは知らないが、町の中に宿をとらず森の中で野営していることからして、おそらく二人にも事情があるのだろう。

 手慣れているのかじっとしていたらあっという間に切り終わった。

「っし、できた。これでどうだ」

 背中よりも伸びていた髪は肩より少し長い程度きりそろえられ、前髪もすっきりとした。体が軽くなったようで動きやすさが違う。

「良かったね、フアニア」

 フアニアよりアルの方が嬉しそうに笑っている。何故この少女はこんなにも嬉しそうなのかフアニアには理解ができなかった。アルが笑う度に、どこか落ち着かない気分になる。

「今日はもう寝るぞ。お前もこれ被ってアルと一緒に寝ろ」

 ばさりと毛布を投げつけられ驚く。フアニアも一緒に寝ていいらしい。

 何故と思うより早くアルに手をとられ、フアニアは近くの森の中に張られていた天幕に連れて行かれた。



 夜も更けた深夜。フアニアは空腹で目が覚めた。

 隣では二人がよく眠っている。起こさないようにフアニアはそっと天幕から抜け出した。

 空を見上げれば星が震えて瞬いている。そろそろ夜明けが近い証拠だ。夜明けがくれば、星が雨となって大地に降り注ぐ。それはフアニアが知っている昔と変わらない自然の営みで、どこか懐かしくもあった。

 知らないのに知っている感覚が不思議だが、嫌な感覚ではなかった。

 天幕から離れると、とりあえず辺りに生えている小麦に似た雑草に囓り付く。味がしなくとも食べれば空腹は紛れるはずだ。そう思って囓り付いたのだが、それはしっかりと味がついていた。今日食べた固いぼそぼそとしたパンに似た風味だった。


「……味がする?」


 疑問に思いながらも夢中で囓っていくと、あっという間に食べ尽くしてしまった。

「他にも味がするかな?」

 小枝や苔むした石、葉っぱや落ち葉など色々と食べていってみると、味がするものとしないものに分かれた。味がするものは、今日食べたものと似たような味を感じとることができたのだ。まだ味がするものが少なすぎて法則性がわからないが、少なからず味がある物ができたことが嬉しい。


「もしかして、この体で色々な味を覚えないと、食べても味がしないってこと?」


 知識としては知っているが、味は知識で補えない。知っていても想像するしかない。この体に味がついた物を摂取させることで、本来なら食べるようなものじゃないものにも、美味しさを感じることができるようになるのかもしれない。

 ということは、美味しくたくさん食べる為には、色々な味を知らなくてはならないということだ。


 味があるものと言えば、人間が使う香辛料を使った料理。

 そして、人間。


「もっと色々と検証してみないと駄目ってことかな」


 フアニアは他の人が見ても違和感がない程度に落ちているものを食べると天幕に戻った。戻った際に、バルドルの頭の位置が変わっていることに、フアニアは気がつかなかった。

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