第3話


 王都ベルセルクから百キロ以上離れた場所に位置するグレイス王国。


 王国の商人をしていた中級貴族、ドラゴニス家の長男としてニルは生まれた。

 

 ニルは生まれた時から、すでに一つの記憶を持っていた。


 前世の記憶。

 それは千年前に世界を終わらせたと言われる覇王の記憶だった。


 しかし、記憶だけでニルには魔力は無く、魔導師の素質も無かった。


 商人の息子として育ち、ニルが十歳の頃、その時がやって来た。


 ある日、家にあった隠し部屋に気づき、

 ニルは誘われる様にそこへ入ることになる。


 目の前には書棚。

 書棚にある書物は、世界を終わらせた覇王、

 グレイニル・アルカードが残した書物だった。


 無論、それらをニルは知っていた。


 ――自身が残したものである。


 呆然と書棚を眺めていたニルの背後から、父親のニアスがやってくる。


 振り向いたニルに、ニアスはどこか申し訳なさそうな顔をしていた。

「父さん、この部屋は・・・・・・?」

 不思議そうな雰囲気を漂わせ、恐る恐る聞く。

「――我らドラゴニス家の祖先が残したものだよ」

「これは――アルカードの、だよね?」

 書物を手に取り、ニルは解せない眼差しを向ける。

 なぜ、父がこれを隠しているのか。理由はわかっていた。


 覇王、グレイニル・アルカードの真名――。


『グレイニル・ドラゴニス・アルカード』


 どうして、歴史がドラゴニスの名を残していないのか。

 ニルは前々から気になっていたが、その理由は今なら理解出来た。

 アルカードの祖先が生涯、疎外されずに生きていくためである。


 自分では無い誰かが、僕の名をそう呼んだのだ。

 ――意図してか、意図せずか。

 

結果的にこうして、ドラゴニス家は千年間、商人の中級貴族として生き続けることが出来たのだ。


 自身の血縁が絶えず、千年も続いたその事実。

 良くも悪くも、世界を終わらせたと言われる血筋が今も残っている事実に。


 だからこそ、僕はここにいる。

 ニルは言葉にならない感情が込み上げていた。


「・・・・・・ああ、そうだよ。アルカード――、ニルも学校で習っただろ?」

「うん。世界を終わらせた覇王・・・・・・だよね?」

 自身が告げたその言葉の意味。

 かつての僕は間違いなく世界を終わらせたのだ。

 

 そして、彼女が再び世界を創造した――その事実。


「ああ。その覇王の祖先が我らだ」

 大きく息を吐き、引け目がある顔でニアスは俯いた。

「そうなんだ・・・・・・」

 子供の様な身も無い返事をする。

「我らは、それを隠しながら語り継いできた」

「どうして、語り継ぐ必要があるの?」

 千年もの間、なぜ彼らはこの書物を残していたのか。

 残していれば、いつしか外部へ漏れてしまう大きなリスクがあると言うのに。

「祖先の誰かが書いたこの書類に記載されていたんだよ」

 そう言うとニアスが書棚から、一冊の黒い本を取り出した。

「っ――それは?」

 見るなり、驚愕する様に目を見開く。

 その黒い本をニルは知らなかった。

 見る限り、その一冊だけ知らない。

 その本は誰が書き、誰が残したと言うのか。

「これは覇王では無い、祖先が残した本だ。この本によると、天創の巫女が祖先にこう言ったそうだ。『いつしか、もう一度起こる終天の日まで、グレイニル・アルカードが残したものは残してください。数千年、時が経ったとしても。それは世界を救う鍵となります』ってな。祖先、我々はその日のために、この隠し部屋でこの書物を残しているんだよ」

 そう言うとニアスは黒い本を書棚にしまった。

 ニアスが告げた言葉を、ゆっくりと身体に染み込ませていく。

「そうか・・・・・・」

 大きく息を吐き、ニルは事の経緯を理解する。


 どうしてか、彼女はいつしか僕が転生することを予見していたのだ。


 つまり、この現世で彼女の言う『終天の日』が起きる可能性が高いと言うこと。


「そうだ。ニルにも将来、この書物たちを語り継いで欲しい」

 ニアスはそう言うと部屋から出て行こうとする。


 話はこれで終わり。

 詳しいことは大人になってから伝えようとしているのだろうか。


 ニアスの背中を見つめ、ニルは大きく息を吐いた。


「――その必要は無いよ。父さん」

 普段よりも低い声。

 ニルは淡々と告げた。


 残念ながら、その日は来ない。

 語り継ぐ必要など、今の僕には無いのだから。


「っ?」

 驚くニアスを前に、ニルはゆっくりとした足取りで書棚へ近づいていく。

 ニルに呼応する様に本棚の書物たちは小刻みに震えていく。


 待っていた、この千年。

 書物たちはいつか訪れる主の帰還を待っていたのだ。


 部屋を包む雰囲気が変わる。

 ニアスは何が起きているのかわからなかった。


「確か、ここに――」

 書棚の中段に置かれた翠色の魔導書。

 ニルは迷うことなく、手に取った。


 あの大魔法を使う前に、僕は一冊の本に自身の魔力を保管した。

 後に何が起きても良い様に。

 かつての僕はそう思っていた。

 しかし、この展開は予想していなかったけど。


 結果的に魔力を保管して良かった。

 ニルは安堵する様に息を吐く。


「時間天創(タイムズ・デミロゴス)」

 ニルは詠唱の様にそう唱えると、翠色の魔導書は黒い魔力を帯び、開かれた。


 まるで、時が再び動き始めた様に。

 翠色の魔導書は勢い良くページをめくっていく。

 めくる度、翠色の魔導書からニルへと魔力が移行する。


 千年前の自身の魔力が今、ニルへと戻っていた。

 その膨大な魔力のせいか、部屋中に暴風が吹き荒れる。


「ニ、ニル・・・・・・?」

 その光景にニアスは腰を抜かし、呆然と首を傾げる。


 いったい自身の目の前で何が起きているのか。

 息子の身に何が起きているのか。

 硬直した様に思考が働かない。

 ニアスは座り込むしか出来なかった。


 まるで、その禍々しい魔力は歴史が語るグレイニル・アルカードの様。


 そこでニアスに一つの仮説が過った。

 この魔力こそ、その魔力であると。


「父さん、ごめんね。どうやら、僕がそのアルカード――みたい」

 魔力の息吹を感じ取る様に。ニルはゆっくりと息を吐く。


 自身に残るその記憶。

 自身を巡るこの魔力。

 慣れ親しんだこの感覚。


 やっと自身の中で全てが繋がった。

 これで僕は僕になったのだ。


「まさか――、今がその時なのか?」

 ニルの言葉に、ニアスは閃いた様に目を見開いた。


 行動力があり、頭の回転が速い。

 先ほどのニアスとは別人の雰囲気だった。


 その機転の良さから、ニアスは国王からの信頼があり、

 王国直属の商人としても働いていた。

 ニアスはこの光景をわからないながらも理解する。


 その時。

 祖先が言った終天の日が起きる時代だと。


「そうかもしれない。――確信は無いけど」

 翠色の魔導書に保管された魔力が全てニルへと戻ると、翠色の魔導書は使命を全うした様に消滅する。


 ニルの雰囲気が変わった。

 彼自身を包む雰囲気の質。


 見た目はニルだが、中身はニルでは無いのだろう。

 ニルであり、ニルで無い者。


「そうか・・・・・・。それなら、仕方ない――」

 ニアスは大きく息を吐くと、ゆっくりと立ち上がり、ニルへと歩み寄る。

「世界を頼むよ。――ニル」

 そう言ってニルの頭を撫で、去っていった。

「うん。やってみるよ、父さん」

 それでもニルは息子であり、ニルにとってもニアスは父である。

 その親子関係は変わらないし、この先も変わらない。


 ニルと言う名は父が付けた。

 その名は過去の僕が友人から呼ばれたあだ名だった。


「僕はニルであり、グレイニル・アルカード。世界を終わらせた者」

 ひと息つき、この身体にある魔力の感覚を確かめる。


 記憶だけで確信は無かったこの十年。

 今は確信している。


 自身が世界を終わらせた覇王、グレイニル・アルカードであることを。


「この現世で、僕が出来る最善を――」

 ニルは右拳を握り、この感覚を噛み締めた。

 

 ――もう一度、世界を守るために。

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