第3話 安曇野・松本旅③
さあ、ようやく私の旅が始まった!
……と意気揚々とペダルを漕ぎだして十五分後、私はのろのろと車体を手押ししながら歩いていた。
脳内のオレンジさんはかなり不満げだが、正直許してほしい。
事件はペダルを漕ぎだしてすぐ起こった。
ペダルが、思うように回らないのだ。
「まさか」
私はうすうす気づいていた。先ほど観光客が見ていたのは、かわいいかわいい私のオレンジさんではないのだと。その後ろに並ぶ――そう、電動自転車だ。
何せ安曇野は町全体が緩やかな斜面となっている。自転車があればある程度の場所は回れるので、こうして電動自転車のレンタルを行っている店が多い。
なぜ電動自転車か? ……上り坂が想像以上にしんどいからだ。
ペダルを漕いでも漕いでも前に進まない、キャリーミーをはじめとする極小径車の弱点・上り坂。私は不覚にも、「ここはそういう町である」ということを忘れていたのだ。
最初の目的地に着いた時には、すっかり満身創痍となっていた私である。
だが、ここからはたぶん楽しいはずだ。たぶん。
だってここは坂の頂上だから――!!!
とは思ったものの、とりあえず最初の目的地である北アルプス牧場でソフトクリームをもぐもぐしながら休憩したのは言うまでもない。
なお、もぐもぐしている間オレンジさんは直売所の端のほうで休憩中である。あたりを見渡すと、ここまでやってくるお客さんはいずれも車を使っているようだった。自転車を停めている人など一人もいない。つまりは……そういうことだ。
「ここまで自転車で来る人はあまりいないってことだね」
それは言ってはいけない、と脳内でオレンジさんをたしなめた。
ソフトクリームを堪能した後は、少し走ったところにまた目的地がある。ここからはオレンジさんが活躍できる下り坂だ。ただし、極小径車はあまりスピードを出しすぎてはいけない。なぜなら、ちょっとした溝で体ごと吹き飛ぶ可能性があるからだ。
安全運転、安全運転、と鼻歌を歌いつつやってきた次の目的地は、足湯である。
道路から少し奥まったところにある八面大王足湯は穂高温泉郷のシンボル的な存在で、だれでも無料で利用できるというとても太っ腹な場所である。
オレンジさんは駐輪場で待機してもらうとして――またかよ、と言われそうである――私は早速足湯を堪能した。
疲れた足に染み渡る温泉のぬくもりに、ついつい何時間でも滞在したくなってしまうほどの気持ちよさである。実際は三十分くらい利用したが、その間にも家族連れや同じような旅行客が利用しに来ており、地域の憩いの場というのは本当だなぁ、と実感した。
そのままだらだらしたい気持ちはあったが、まだ目的地はある。名残惜しいと思いつつ足湯を後にする。
最後の目的地は、エッセイ漫画でも取り上げられていた場所・CHILLOUT STYLE COFFEEだ。この場所へ聖地巡礼したいがために松本へ来たといっても過言ではない。
今いる場所からさらに下り坂をすいすい走っていくと、畑のど真ん中で例の電動自転車にまたがる学生とすれ違った。地元民もレンタルするのか、なるほど賢いと思っていると、その目的地は姿を現した。
カナディアンハウス風の建物の戸を開けると、コーヒーの酸味のある香りが鼻をくすぐる。少し薄暗い店内だが、隠れ家を想起させとても居心地の良い場所であった。そこでふっかふかのソファに身を沈めながらカフェオレを飲んでいると、リラックスしすぎて脳みそがでろでっろに溶けていくかのようだった。
こんなカフェが近所にあるなんて、安曇野の人々が羨ましい。正直なところ毎日でも通いたいと思うほどだった。
そこでかなりの長時間休憩をとると、ふと時計を見やる。
……おや、と思った。このままではチェックインの時間に間に合わない。
まあいいか、と私は再びソファに座り、くつろぎタイムに没頭した。
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