偽善者の食卓
二十三
偽善者の食卓
私は都会生まれの偽善者だ。
スーパーに陳列された、魚や肉を見て「美味しそう」と涎を流すくせに、これらがスーパーまで運ばれる過程を思い浮かべると、食欲が一気に失せてしまう。
海外在住時の話だが、ある日、友人に連れられて釣りに行った。魚は、見るのも食べるのも好きな私は、たくさん釣って晩飯のおかずにと意気込んでいた。結局、釣れたのは一匹だったが、私はその魚にすっかり同情してしまい、食べるのが辛くなった。けれど、釣った魚はその場で食べるのが釣り仲間のルールで、釣ったやつが捌くことも掟だった。
腹が減ったと騒ぐ釣り仲間を他所に、私は一人泣いていた。
泣きじゃくりながら、釣った魚の腹に包丁を突き立て、内臓を引っ張り出した。とても食べる気になれなかった。しかし、命を無駄にする訳にもいかず、涙ながらに口に運んだ。まずかった! 今までこんなまずい魚を食べたことなどあっただろうかと、悩むくらいに酷い味がした。
また別の日、私は友人たちとキャンプに出かけた。
キャンプといっても、水道やトイレが完備されている施設ではなく、本格的なサバイバルスタイルだ。(ちなみに水道完備がされているキャンプは、冗談まじりに惰弱キャンプと呼んでいる)水はタンクに入れて持ってきていたが、節約しなければならないので、顔を洗うことも許されない。三日ほども経つと、肌も乾燥してかさかさになり、髪の毛はたわしのようになる。特に女性陣にとっては最悪の環境だった。そんな過酷な環境で、いちばんの楽しみと言えば食事だった。最初は家から持ってきた材料を使って、青空の下で食べる格別のスパイスを堪能していたが、やがて食料は尽きた。
友人が、持ってきた銃を構え「今日は狩りにでる」と言った。私も同行することになった。友人は、可愛いラビットを撃ち殺し、続けて今にも飛び立たんとする愛らしい鳥を撃ち落とした。私は戦慄し、本物の狩りを目の当たりにして、腰が抜けた。
友人はうさぎと鳥をテントに持ち帰り、サバイバルナイフで慣れた手つきで皮を剥いだ。すでに私の食欲はすっかり失われていた。起こした火の中に、血のしたたるウサギと鳥が放り込まれる。たちまち、油と肉の濃醇な匂いが煙とともに、満天の星空に広がった。
匂いはいい。本当に美味しそうな香りだ。
「一口たべてみろ」そういって手渡された肉片。私はおそるおそる齧った。お腹はぐーぐーと音を奏でていたが、ちっとも美味しくない。ちらりと横に目をやると、ウサギの生首が、柱に打ち付けられていた。
濁った虚ろな瞳が私の目を捉えた。
せめて自分の血肉にしなければと、私は涙目でもう一齧りした。
その夜は腹が減って眠れなかった。不意に、シリアルを持ってきていたことを思い出した。牛乳がなければ味気ないシンプルなシリアルを、私は手で救って口に押し込んだ。ウサギ肉や、鳥肉とは比べものにならないくらいに美味かった。シリアルを水のように流し込み、気づくと一箱食い切っていた。
そして、キャンプは終わり、家についてまずしたことは、シャワーを浴びることだった。何日も風呂に入っていなかったから、シャワーの吸水口には泥水が溜まっていた。固くて粘土のようになっていた髪が潤いを取り戻すと、心もお腹も普段に戻る。心の奥底に残っていた罪悪感も一緒に流れていくのがわかった。体を清めた後は、お楽しみの食事の時間だ。久しぶりに〈まともなもの〉が食べられる。私はスーパーで買ってきた新鮮な鶏肉をソテーにし、潰したじゃがいもをバターとガーリックで炒め、バジルをふりかけインゲンを添えた。
「ああ! 美味い!」
鶏肉のパリパリとした皮をフォークで突くと、ジューシーな肉汁があふれ出た。一口大に切って口に運ぶと、口内が魅惑の味で溢れた。そうだ。買ってきた刺身も食べなければ。食材の形に至るまでの光景には蓋をしよう。私の味覚は、偽善の上に成り立っている。
偽善者の食卓 二十三 @ichijiku_kancho
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