第10話 アンドリューは後悔している



 アンドリューは軽薄な男である。

 自分自身の婚約者や結婚についてもあまり深くは考えていない。

 ただ、決まった相手がいるというのは彼にとって非常に都合が良いことだったので、婚約者がいるのも悪くないと思っていた。




 この国の貴族、特に男性は、観劇やパーティなどの催し物に出席する時は異性のパートナーと一緒に行くのが当たり前になっている。

 特に相手がいなければひとりで行くこともできるが、これといった地位のない者は軽く見られてしまう傾向があった。背伸びしたい年頃のアンドリューにとってそれは耐え難いことだった。

 

 アンドリューは他人を好きになったことがない。

 だから積極的に女性の歓心を得ようとするのはカッコ悪いことだと思っている。

 それに彼の生家はいわゆる名門で、結婚相手は家長によって決められるのだ。恋愛すると面倒くさいことにしかならない。


 そこでアンドリューは友人の妹などの、知り合いの女性にパーティへ同行してもらうことにした。もちろんそこに恋愛感情はなく、対価を支払うだけのあっさりした関係だ。彼女らもそれで問題ないと言っていた。


 ところが年頃になった彼女らに恋人や婚約者といった異性の相手ができると、アンドリューが誘っても断られるようになった。

 彼は一緒に行く人間がいないというだけで遊びに出かけられなくなり、強いストレスを感じていた。


 そんな時に婚約者ができたのだから、アンドリューはもちろん喜んでいろんな場所に彼女を連れ回した。

 表情が硬く人見知りをしていた婚約者のローズは、アンドリューが歯の浮くような甘い言葉を耳元でささやいただけで、目を真ん丸にして顔を赤く染めた。


(こんな嘘を信じるとは、他愛たわいもない)


 彼女のウブな反応はアンドリューを満足させるものだった。

 そっと彼女を抱きしめると体を寄せて甘えてくるようになった時には、人慣れしない猫を手なずけたような達成感があった。


 ローズとはキスもしていない。

 そのせいか、婚約の解消を伝えられてもアンドリューにつらいという感情はなかった。一緒に出掛けていただけの女がいなくなった、そんなところだ。

 しかも相手側の父親から、かわりにローズの妹を貰ってくれと言われている。

 次の婚約者が用意されているのなら自分が困ることはない。美少女であればなおさら結構なことだ。そう思っていた。


 ところが次の婚約者であるサラは身体が弱かった。家からどころか部屋からも出られない日があるという。

 必然的にアンドリューがサラを訪ねて少し話をして帰る、というお子様のような付き合い方になっていった。


 つまらないというよりも、こんな女と結婚してもどうにもならないとアンドリューは思った。


 窓から外が見たい、とサラが言うので窓際に椅子を移動させ、そこへ彼女を運んで座らせた時のことだ。

 急にサラが胸を押さえて崩れ落ちた。

 顔が真っ青になっていた。

 サラの母親は部屋へ駆け込んでくるなり、『今日は寝ていなくてはいけない日でしたのに』とアンドリューをなじり、サラに縋りついて大声で泣き喚いた。


 後でサラの父親からは平身低頭で謝られたが、この一件でアンドリューの気持ちは冷え切ってしまった。


 あれではとても子供など望めないだろう。介護ばかりさせられるのもうんざりする。どこにも連れて行けず母親は過保護。透けるような肌の白さも天使のような姿も、今では色あせて見えた。


(絵にして飾っておくのなら、多少の価値はあるのかもしれないが)


 アンドリューははっきりと後悔していた。ローズとの婚約解消についても疑問に思うようになった。

 しかしローズが第一王子の婚約者候補になった事実と彼女の父親の態度から、王宮側から何か言われていたのかもしれない――と推測はしていた。




 ある日、家の使いで王宮へ行ったアンドリューは、友人から声を掛けられた。


「アンドリュー、あの、君の婚約者だって言ってなかったっけ」


 見ると、背の高い侍女に連れられて赤い髪の女性が廊下を歩いている。


「あの髪の色、珍しいよね?」


 友人が探るような視線を寄越してくるのが、アンドリューには疎ましかった。


(知っているくせに)


 久々に目にしたローズは美しく見えた。

 他人のものになってしまうかもしれない女だと思うと、アンドリューの胸に鈍い痛みが走る。


(こっちのほうが良かった)


 それは言うことのできない言葉だとアンドリューにもわかっている。

 代わりのように口をついて出たのは、


「彼女が僕の婚約者だった時は、もっと幸せそうにしていたけどね」


 という、負け惜しみのような言葉だった。


「……そうなのか?」

「お上品な王族じゃあダメなんだよ。ローズは僕が抱きしめたら、この胸に頬を押し付けて笑うんだから」

「アンドリュー……」


 友人の心配する声を、アンドリューが気に留めることはなかった。

 先ほどの『そうなのか?』が友人の声より低かったことにも気が付いていない。


「本当のことさ。彼女は割とスキンシップが好きで……」


 アンドリューはそれ以上喋ることができなくなった。

 鋼のような拳が口元に飛んできたからだ。


 もんどり打ってアンドリューは倒れた。

 激痛にうめきながら、誰がやったのかと顔を上げたアンドリューは、憤怒の形相で目の前に立っている第一王子の姿を見て、驚きのあまり失禁しかけた。


「――彼女を侮辱するな」


 その低音の声は地面を揺らし、周りの空気をしんと冷やすほどの殺気があった。




 軽薄なアンドリューは、ローズという娘を速攻で忘れることにした。

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