第4話 妹の様子がおかしい??



 夕方になって家に戻ると――お通夜のような雰囲気になっていた。


 その辺の使用人を捕まえて聞いてみたら、アンドリューはお昼も食べずに帰ったらしい。

 おかしいわ。以前は夕食を一緒にとってから帰っていたのに。

 何かあったのかもしれない。


 尋ねるべきかどうか迷ったのだけれど、両親がそろって生気のない顔で食事をしているのを見て、やめておくことにした。

 万が一こちらに火の粉がかかってきたらと思うと、ちょっとね……。


 今日はソフィアさんが早めに帰らせてくれたので、家でゆっくりすると私は決めているのだ。

 一応病み上がりの身でもあることだし、誰にも文句は言わせないんだから。


『素晴らしかったですわ~』


 ソフィアさんは夢見る乙女のようにうっとりしていた。

 まともに見ていない模擬戦の何が素晴らしいのか分からなかった私は、『ええ』と無難に返しておいた。

 王宮の人たちはああいうのが好きなのだろうか。理解できない。




 あくびをしてベッドに入ろうとしたところで、かすかなノックの音が聞こえてくる。


「……どうぞ」


 お父様かお母様か……と予想していたら、妹のサラが入ってきた。

 どうしたのかしら。この子がこんな時間に起きているはずがないのに。


「お姉様、お聞きしたいことがあるの」

「あら、どんなこと?」


 身体が冷えるといけないわ、とサラを椅子に座らせ、ひざ掛けをかけてから私は次の言葉を待った。


「……アンドリュー様が……」

「ええ」

「…………」

「…………」

「………………」


 ――早く言いなさいよ!


 せっかちな言葉が出てこようとするのを必死に押さえつけて、私は心の中でギリギリと歯ぎしりをする。


「……演劇を見に行きたいって」

「ふうん」


 なんだデートの話か。そういえば、私も何度か彼と一緒に行ったことがある。

 最初の時、彼が自分の友人たちに向かって私を婚約者だと紹介したものだから、興味津々の視線を浴びて恥ずかしかった。観劇後には二人でレストランへ行って、話をしながら食事をして……。

 すごく緊張していたから、劇の内容も食事の味も全然覚えていないわ。


 チクリと胸を刺す痛みが――なかったわけではない。


「でも、わたしは……身体が弱いから」

「そうね……」


 自分から言ったにも関わらず、サラは項垂うなだれている。

 おそらくお母様は、彼女の体力では馬車に揺られるのも危険だと言って反対するだろう。そうなればアンドリューも無理強いすることはできない。


「わたし、行ってみたいの」


 サラは顔を上げて、懇願するような表情になった。あざといわ。美少女にこんな「お願い」をされたら大抵の男性は拒めなくなるわ。


「だって、いつもお姉様がアンドリュー様とお出かけしているの、羨ましかった……」


 若草色の瞳からポロリと涙が零れ落ちる。

 泣いていてもまるで絵画のように美しい。


 あまり部屋から出られないサラにとって、羨ましいのは私のほうだったのか。

 ない物ねだりとはよく言うけれど、人は自分が得られないものばかりを見つめてしまう生き物なのかもしれない。


「じゃあ……もう少し暖かくなるまで待ってもらって、お医者様に一緒に来ていただくというのは、どう? これならお母様も安心すると思うわよ」


 以前、約束をしていた日に私が風邪をひいて、デートを取りやめたことがあった。アンドリューは特に怒ったりはしなかったし、お見舞いに何度も来てくれた。

 だから少しは待ってもらえるはず……。


「……いやよ」


 サラの顔が歪んで、何かを憎むような表情へ変わっていく。

 ……私、何か悪いことを言ったのかしら。


「本当は、演劇なんて誘われていないわ。でも行きたかったの。アンドリュー様はいつもわたしを気遣ってくださるけど、ずうっとつまらなさそうなお顔なんだもの。わたしだって、お姉様と同じようにすれば――」


 サラは手で顔を覆った。ヒックヒックとすすり泣く声だけが部屋に響く。

 どう返事をしていいのかわからなくて、私はただ黙って床を見つめた。


 私たちに選択する権利はないのだから。

 私がアンドリューと別れなくてはいけなかったのと同じように、サラはたとえアンドリューとうまくいかなくても結婚しなくてはならない。


「……ねえ、お姉様は、今のアンドリュー様がどうなっているか知ってる?」

「え?」


 唐突なサラの質問に、いつもの彼女にはない圧を感じた。


「アンドリュー様はお顔が腫れていたの。殴られたんですって。歯も折れているから、普通の食事は食べられないと言って、帰ってしまったの」


 サラの淡い緑の瞳がギラギラと暗い光を帯びている。

 とても嫌な予感がした。

 アンドリューは貴族だ。しかも伯爵家の中でも権力のある名家の息子。彼を殴ることができる人間は限られているだろう。


「だ、誰に……殴られたの?」

「知っているくせに、レナード殿下によ!」


 サラがこんな風に絶叫するのを私は今まで聞いたことがなかった。


「お姉様は、ずるいわ! アンドリュー様を返して! わたしの婚約者なのに!」


 ――私が……何? サラの言っていることがわからない。


 その叫び声を聞きつけたお母様が、慌てて私の部屋に飛び込んできた。


「サラ! ローズに何を言われたの!?」


 お母様は責めるような目で私を見て、泣き崩れたサラをぎゅっと抱きしめる。


 ……何この空気。何でこうなるの。

 私が何をしたって言うのよ……。

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