第8話
「まず、水は0度で氷になりますが、これを塩水にした場合、マイナス20度でも凍りません。融氷雪剤として道に蒔けば、凍結も防げます」
私はビーカーの中の水に塩を入れ、飽和溶液をカラカラと混ぜながら作って説明した。
「塩が……? にわかには信じられないな。君が塩のことで嘘をつかないのはわかっているが……」
殿下は瞳を真ん丸にして言った。その言葉が地味に嬉しくてキュンとしてしまう。それに、驚いた時の表情は綺麗な瞳がよく見えて、吸い寄せられてしまう。
「アンデラ?」
「す、すいません!! 瞳が岩塩みたいに綺麗だなあって、つい!!」
殿下に声をかけられ我に返った私は余計なことを口走る。
しまった、と思った時には遅い。
変態発言に殿下が引いていないか、恐る恐る見ると、彼は顔を赤くしていた。
「殿下?」
首を傾げながら殿下を覗きこむと、彼は腕で口元を隠しながら言った。
「ア、アンデラ、俺の瞳は舐めるなよ?!」
「へっ……」
急に何を言い出すのかと私の思考は停止する。
「俺の瞳が岩塩のようだからと、味見するなよ?」
「そ、そんなことしません!!」
殿下が赤くなりながら言うので、つられてこちらも赤くなる。
(私、そこまで変態じゃありません!!)
抗議の目で殿下を見れば、クッ、と笑われてしまった。
(か、からかわれた……?!)
楽しそうな殿下に益々抗議の目を向ければ、彼ははにかみながら話を戻した。
「さて、俺はアンデラの話を信じるが、国に話を通すとなると、確証が必要になる……ニース!」
殿下はブツブツと呟くと、外に向かって叫んだ。
「はっ、殿下、お呼びで」
シュバッと光の速さで小屋に入って来たのは、お付きの人だった。
(この人、ニースっていうのか)
ニースさんは殿下の足元に跪きながらも、私をギロリと睨んだ。
(うう、私は何もしてませんよ?!)
「ニース、この水、凍らせてみてくれるか?」
殿下はニースさんを制すると、私の作った飽和溶液のビーカーを指差して言った。
どうやらニースさんは氷魔法の使い手らしい。
(火と氷……相性悪いはずだ)
そんなことをぼんやり思いながら、二人のやり取りを見る。
「はあ……殿下の思し召しでしたら……」
ニースさんは躊躇いながらも、ビーカーに近付くと、手をかざした。
「?!」
「どうした? ニース」
ニースさんの表情が驚きに変わる。殿下はニヤリと笑い、問いかける。
「いえ……」
ニースさんはそう言うと、再び目を閉じ、ビーカーに手をかざす。
念じるように苦しそうな表情からは汗が滲み出ていた。
「ニース、もういい」
殿下が合図をすると、ニースさんは青い顔でこちらを振り返った。
「……殿下、力を発揮出来ず、申し訳ございません……!!」
土下座しそうな勢いで殿下の足元に跪くニースさん。
「そんな大げさな……」
思わずポロリとこぼせば、ニースさんにギロリと睨まれてしまった。失言、失言。
「ニース、これはただの水ではない、塩水だ」
「塩水……?」
「マイナス20度でも凍らないそうだ」
「かしこまりました」
殿下の説明を聞くと、ニースさんは何故かまたビーカーに向き直る。
ビーカーに手をかざしたかと思うと、一気に魔力を増強させた。
(さ、寒い、寒い!!)
ニースさんの垂れ流しの魔力のせいで小屋の中が一気に冷え込んだ。
「はあ!」
ニースさんの聞いたこともない大きな声と共に、ビーカーの飽和溶液がビキン、と固まる。
「殿下、どうぞ」
誇らしげな顔のニースさんが再び殿下の足元に跪くと、凍ったビーカーを差し出していた。
「くく、すまないアンデラ。ニースは国一番の氷魔法の使い手でな。おまけに負けず嫌いだ」
笑いを堪えながら謝罪する殿下に私はポカーンである。
「あ!!」
大変なことに気付いた私は、作り上げた塩の花、釜の中や塩を保管してある樽を大急ぎで確認して回る。
「……凍ってる……」
予想通り、私の研究の塩たちは氷漬けにされていた。
何てことしてくれとんじゃ!と叫ぶわけにもいかず、私はがっくりとその場に倒れ込む。
(私の汗と努力の研究たちが……)
一瞬にして水の泡にされて泣けて来た。
「ふむ。ニースが本気を出すほどか」
何故か殿下は嬉しそうに納得しながら私の背後から釜を覗き込んだ。
殿下は最初から予測して、ニースさんに証明させてたんだ。
(酷い……)
ポロポロと涙が出てくる。
しょっぱい涙が私の頬を伝ってくる。涙がしょっぱいのも人間が塩によって生かされている証。
こんなときまで塩脳な自分。
「ア、アンデラ?!」
ようやく私が泣いていることに気付いた殿下は慌てて私を起き上がらせた。
「すまない、君の大切なものを踏みにじるつもりは無かった。君が提案してくれた物がニースを本気にさせるほどの代物だと証明出来て浮かれてしまった」
「殿下?」
シュン、とした表情を見せる殿下が可愛く見えた。
綺麗な岩塩のような瞳がすぐ近くまで来たかと思うと、殿下は私の涙をペロッとなめた。
「「殿下?!」」
私とニースさんの驚きの声が重なる。
殿下はニースさんの方を睨み、手で払うと、彼は悔しそうに顔を歪めながら小屋の外に出て行った。
「しょっぱいな」
殿下は私に向き直ると、口の端を少し上げて言った。私は顔を赤くさせ、口をパクパクとさせる。
そんな私を見て、殿下の表情が緩む。
「俺の瞳は舐めるなよ?」
「舐めません!!」
さっきまで悲しんでいた気持ちがすっかり殿下のペースに。
はあ、仕方ない。また一からやり直すか、と思っていると殿下はまだ距離が近いまま言った。
「アンデラ、俺はちゃんと
「はあ……」
それは塩を沢山買い取ってくれるということだろうか?この塩田を弁償してくれるということだろうか?
どちらにしてもありがたい、と私は思った。
まさか殿下の取る責任が、私にまで及ぶとはその時は思いもしなかった。
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