第11話 夢

 リンカには、夢の中で「これは夢だ」とわかるほど繰り返し見る夢がある。それは精神の不安定なときに見る夢で、身構えていても心を冷やす。そうして今日も、わかっているのに逃れられない夢を見るのだ。

「お前は人を不幸にする」

 リンカが父に言われた言葉で最も印象に残っているのはこの一言だろう。

 自分と父の名前をはっきり言えるようになったくらいのとき、リンカは自分の母について父に訊ねたことがあった。

 リンカはただ、会ったことのない母はどんな人なのか知りたかっただけで他意はない。

 最初に父は、母が既に世を去っていることをリンカに教えた。

 幼いリンカには死別というものが理解できなかったが、おそらく会えないのだということはなんとなくわかった。

 リンカとしてはどことなく悲しいような、寂しいような感情を覚えたが、母の人となりを知りたかったので父の話を聞き続けた。

 しかし、父は何を思ったのか、リンカの望まぬ話を始める。

 当時のリンカは幼く、父の言っていたことをほとんど覚えていないが、彼女を恨んでいたのだけははっきりと伝わった。父の話を要約するなら「お前を産んだせいで母は死んだ」である。

 そして最後に「お前は人を不幸にする」と父は言った。

 それは親が我が子に向ける言葉ではなく、愛する妻を奪われた男が殺人犯に吐き出した呪詛であった。

 リンカはこの日の事を生涯忘れられないだろう。

 この日を境にリンカと父の間に溝が生まれた。

 リンカは父と全く違う生き方を望むようになる。彼女は平民生まれであり、父は工場の労働者だった。別段珍しくもなく、不幸でもない出自である。

 だが、リンカは父と同じ生き方をしたくなかった。そう決意した日から、彼女は知人の商店を手伝い資金を貯める。商店の人々に頼み込んで簡単な読み書きも教わった。

 まだ小さかったリンカに読み書きを教えるのは教育というより娯楽に近かったのだろう。商家の知人たちは快く承諾してくれた。

 リンカが自分の名前だけでなく、商店の品物の名称も書くことができるようになった頃、彼女の父はまだ自分の名前を書くことができなかった。

 リンカにとって、父は反面教師だった。リンカの父は母が生きていれば彼女の生活費になっていたであろう分の給与までもを嗜好品に使っていた。

 リンカも商店の手伝いはしていたので仕事の辛さは多少なりとも知っている。日々の仕事をやり遂げた褒美として酒を飲んだりするのなら、リンカも悪いとは思わない。だが、リンカにとって父は嗜好品に絡めとられた贄にしか見えなかった。リンカが十代の半ばの頃、父は嗜好品を手放せなくなっていた。酒や煙草などはもはや嗜好品ではなく、必需品の類であった。

 リンカは十代後半で軍警察予備隊の試験に合格して家を出ることになった。なんで軍警察だったのかと言えば、寮と食事が用意されているからである。彼女はもう、父の姿を見ているのが辛かった。家を出る前の会話は短いものだった。

「お世話になりました。ここまで育てて頂いたことは本当に感謝しています」

「やっぱりお前は人を不幸にすることしかできない女だ。育てた恩を感じてるんだったら金くらい残していけ」

 それが二人の親子としての最後の会話だった。リンカは商家の手伝いで稼いで貯めた貯金の半分近くを父に残して家を出た。

 最後に父の姿を見たのは革命が起こる何か月か前のことだったと思う。リンカが軍警察の幹部になった頃、車両で市街地を移動するときに革命派の集会に参加している父の後ろ姿を見た記憶がある。

 父が革命に何を求めているのかわからなかったが、指導者の演説に熱狂して腕を振り上げていたのが印象的だった。

 革命の後、父が死去していることを知った。革命に参加して戦死したわけでもなく、酒を過剰に摂取して吐瀉物を喉に詰まらせた結果窒息したのが死因だったらしい。

 死んだ父の言葉を今でもはっきり覚えている。

 何度も頭を過る。

「お前は人を不幸にする」

 そんなことはない。そう言いたい。

 ――だからわたしは軍警察で戦い続けたし、内務官の職務にも従事している。

 しかし、本当に否定できるのだろうか。自分は人を不幸にしてきたのに。

 母はわたしを産んで死んだ。

 自分の世話をしてくれた商家を抱えている貴族は革命で死んだ。貴族の息子であるケラルは家も財も家族も全て失った。

 軍警察でも同僚や部下、上官の死傷者は手の指では足りない。

 ――夢なんだから覚めてくれ。もう充分だ……充分……見た……。

 苛まれるリンカを目覚めさせたのは、彼女が救った一人の女性だった。

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