第6話 塞がない抜け穴

 執務室に戻ったマキアは早速紅茶を用意する。

 マキアは先に車両のキーを返却するつもりだったのだが、降車時に「紅茶淹れよう」と呟いたら聞いていたリンカが代わりに返却してくれることとなった。

 マキアが給湯室から沸かしたお湯を持ってきたとき、リンカも執務室に戻って来た。

 リンカが外套を脱いでいる間にマキアもカップに紅茶を注ぐ。

 マキアはリンカの着席に合わせてカップを置いた。

「はい、リンカさん。紅茶ですよ」

「うむ。ありがとう」

 リンカはふぅっ、と紅茶を吹いて冷ますとゆっくり飲み始める。

 マキアも席に戻ってから紅茶を口に含んだ。

 息をついたタイミングでリンカが口火を切る。

「マキア、さっきの話なんだが」

「寄付金の話ですよね」

「そう。まず、養護施設への寄付自体は国家が推奨しているんだ。理由は色々あって、中でも大きいのは間接的に未来の国力増強に繋がるということだな」

 孤児が優秀な大人、国民になれば国家は将来的に大きな益を得ることができる。マキアも一年程度とはいえリリと施設で教育を受けてきた身であるからこれには納得できた。短期間であっても、教育を受けたのとそうでないのとでは全く違うのだ。

「寄付を推奨している理由は他にもあって、施設毎の経営体制の違いも理由になっている。キミのいた施設は公営の施設だったから決まった資金が確実に用意できていたけれど、民間で貴族や商人のパトロンがいない施設はそうもいかない」

 今日訪問した施設はボヒン商会の重役が設立に携わっていたから上手く立ち上げられたわけだが、裕福でない平民ばかりで養護の事業をしようとすれば設立さえままならない事の方が多い。

「寄付のついでに言うと、今日訪問した施設はポルクというよりボヒン商会として支援しているんだろうね」

「確かにポルクさんが経営に関わっていないって言ってるのは聞いてましたけど、ポルクさんはボヒン商会の重役なんだから同じことじゃないんですか?」

 リンカは再度紅茶を口に含んでから静かに飲み干す。もうだいぶ冷めたようだ。

「例え代表と言えど、商会そのものを私物化することは難しい。きっとポルクは施設の立ち上げの時だけ自分の名義を使ったんだろうね」

「どうしてそんなことを?」

 後になってボヒン商会が支援するなら紛らわしいだけじゃないだろうか。

「理由はね。たぶん、慈善事業だから商会としての利益を出せないことにあると思うよ。ポルクは設立の際に自分の個人名義を使うことで問題が起きたりしても商会に飛び火しないように配慮したんだよ」

 商会には数多の人間が関わっている。ボヒン商会は規模も大きいのだから傘下でなくとも影響力は大きい。

「設立の基金や支援を募る時はポルクの個人名義を使って、支援者と商会の理解を得られた段階でボヒン商会の経営計画に組み込んだんだろうね。施設は綺麗だし、敷地もある。それに、教員や施設長の他に会計担当がいただろう? 専門の職員を雇うのは金がかかるから、兼任しているところも少なくないんだ。きっとボヒン商会が雇ったんだろうね」

 リンカが確認した限りでは、資料にボヒン商会の名前が何度か出ていた。しかし、施設自体は商会の傘下ではないらしい。施設長の話と合わせて考えると、ボヒン商会側が支援を継続しているだけであって、経営自体は施設主体で行っていると考えるべきだろう。

「おっと、話がかなりずれてしまったね。寄付金を利用した脱税の方法なんだけど。仕組み自体は単純でさっき話した通り、自身の資産をそっくり寄付したら、そのまま自分の管轄で金を使わせればいい」

「どうしてそれが犯罪にならないんですか?」

 マキアは納得いかない。彼女が聞きたいのは脱税とわかっていても早急に法整備して対応しないことだ。

 リンカは飲み干したカップをソーサーに置く。紅茶で濡れたリンカの唇が煌めく様は席の離れたマキアにも見えた。

「理由はあるんだが、これで幾つかの部分の経済が回っていることが一つ。もう一つはこの国のシステムが整備されていないんだ。貴族や商人の税負担を追加させるのなら、国家は貴族と商人の役割を税金で賄わなければならない。例えば、国家軍を自前で用意したり、災害時の備蓄を税金で買っておいたりするんだが、あいにくそれらの法整備もままならない」

 貴族は外交と軍事の面で、商人たちは主に物資の供給や備蓄、人材の手配や都市計画などで国家の運営に関わっている。

 革命で崩壊しかけたこの国の再生にだって尽力してくれたのだ。そして、今もなお国政への支援や協力は惜しまない。

 それが前提で国家が運営されている現実と、そうしなければならないほどまだまだ政府機関の力が弱いという事実がある。

「まあ、わたしは内政省の役人だからこれ以上は勝手な事を言うつもりもないが、今後の課題としては存在している。この国は貴族と商人の脱税に目を瞑った方が上手くいくことも多いんだ」

 マキアはそれ以上何も言えなかった。リンカが貴族や貴族院側に肩入れしていると思うのは簡単だろう。しかし、マキア自身も平民による革命やその後の混乱期に被害を受けた人間の立場であるのだから、平民や臣民院側が正義とは言えない。

「わたしの言い方が良くなかったな。これからこの国が栄えて、力をつけられれば制度や法も整えられるさ。だから、そんな顔するなよ」

 マキアは声をかけられてリンカの方を見た。リンカは悲しそうだ。彼女の悲しそうな表情はあまり見たくない。けれどもそんな表情をさせてしまったのは他でもないマキアの反応なのだ。

 リンカは空気を変えたいのか、マキアの元まで歩き、机に置いたままのポットからカップに紅茶を注ぐ。

「少し違う話をしよう。わたしがさっき、今回の依頼の意図がわからないと言ったのは法的な事情もあるのだが、臣民院からの要請というのが引っ掛かるんだ。臣民院は税務局に調査をかけさせるんだから、わざわざ内務官に書簡を送る必要はない。そもそも現行の法律になぞらえるのなら違法性はないしな」

 リンカは一度だけ目を閉じて思考するような仕草を見せた。

 マキアもリンカを真似て考えてみる。

「どうして……もしかして、内務官じゃなくて、リンカさんに調べてほしかったとか?」

 言った直後にマキアがリンカを見ると、彼女の目は鋭く研ぎ澄まされていた。

「マキア、今朝の書簡と台帳を見せてくれ」

「わ、わかりました」

 普段見ないリンカの表情に動揺しつつもマキアは台帳と書簡をキャビネットから取り出す。

「これです」

「ありがとう……やはり……」

 リンカは今朝受け取った養護施設調査の依頼書を再確認する。

 書簡の内容は今朝確認した通りだが、封筒の方にヒントがあった。

 差し出し人は『臣民院 政策計画部』と書かれている。マキアもここを読んで「臣民院からの書簡」だと判断したのだろう。

 封筒をひっくり返すと、宛先には『内政省本庁舎二階 内務官リンカ様 軍警察総合文書課より転送』と書かれている。その下には二重線の引かれた別の宛先が記載されていた。

 たとえ線が引かれていてもリンカなら読める。何度も読んだ文字列だ。

『軍警察保安部治安維持課 第二特別行動部隊長 リンカ様』

 この手紙は間違いなくリンカ個人に宛てたものだ。

「どうしてこんな簡単なことに気がつかなかった……」

 リンカは封筒の内部に目を向ける。そこには細く小さい点と線が連なっていた。これは無線電信の符号だ。書いてある符号を文字に起こすなら『リンカたすけて』となるだろう。

「リンカさん、一体何が……」

「キミの言う通り、この手紙はわたし宛てのものだったよ」

 リンカはこの無線電信の符号で差出人の見当がついた。

「え?」

「でも、もしかしたら、状況は良くないかもしれない……」

 リンカは眉を寄せる。

「すまないが、明日も施設の調査をする。わたしとキミの二人でだ」

「え、あ、わかりました」

 困惑するマキアを他所に、リンカは席に戻る。

 リンカは無言だったが、その様子は何かを心配しているようだった。珍しく落ち着きのないリンカにあてられたマキアは一先ず自分が落ち着こうと、カップに冷めた紅茶を注ぐ。

 口に含んだとき、紅茶の冷たさがマキアの舌を通じて背筋を冷やした。

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