第5話 税法

 この国の養護施設にはいくつかの種類がある。マキアがいたのは公営の施設だったが、民間で設立した施設も存在している。今回調査に向かったのは都市部にほど近い民間の養護施設だ。

 この施設では革命後の混乱期を都市部の陰で生きてきた元ストリートチルドレンを中心に、数十人の子どもたちが生活している。

「けっこう綺麗な施設ですね」

「二年くらい前に建てられた施設らしい」

 駐車場から建物に目を向けると、近代的な宿舎と広場の備わった施設だとわかる。ただ建物があるだけでなく、防犯のために周囲を柵で囲み、出入口には守衛所まであった。

 守衛所の前には男女が立っている。そのうち、初老の男性がリンカを見て歩み寄って来た。

「リンカさん、よく来てくださいました」

「パップスさん。今日はよろしくお願いします。そうだ、紹介しましょう。彼女が先日話した助手のマキアです」

 パップスは笑顔のまま挨拶をした後、一礼する。マキアは緊張しながらもつられて頭を下げた。

 マキアが頭を上げたタイミングでリンカの説明が入る。

「こちらはパップスさん。税務局徴税課の課長だ」

「あ、手紙を下さった」

 マキアは今朝税務局から届いた手紙の差出人を思い出した。パップスは今日の調査のセッティングをしてくれた人でもある。ということは、パップスの背後にいる女性は税務局の役人なのだろう。

 お互いの紹介が済んだところでパップスが本題に入る。

「リンカさん、マキアさん。お忙しいところありがとうございます。早くに行動して下さって何よりです。守衛には話を通してありますので、中に入りましょう」

 一同は施設の中に入る。

 流石に税務局側から事前の連絡は入れていたらしく、施設長や会計担当が応対してくれた。

 応接室へと案内され、出納帳などの資料を提示される。

 マキアはド素人だが、書類には別段おかしなところはない……ように見える。名義は施設長。税務の処理も会計担当が行っている。書類に記載された金額や日付にも矛盾はない。

 マキアにしてみれば細かい文字と刻まれた数字で目が回るのだが、隣に座るリンカは違うようだ。

「この施設の創設者はどなたです?」

 答えたのは施設長。

「ボヒン商会のポルクさんです。慈善活動ということで、資金提供をしてくださいました」

「施設の経営には関わっていますか?」

「いいえ、支援はしてくださいますが、直接の経営等はしておりません」

 リンカに代わってパップスも質問を始めた。

「こちらの資料なのですが、匿名で寄付をされた方がいらっしゃるようですがまだその寄付金を使用していらっしゃらないのですかな?」

 パップスの手元にある資料では匿名の寄付が記されていたが、寄付金は異常なほど多い。なにより期間が疑わしかった。寄付されたのはかなり前だが、まだ資金が使用された形跡はない。

 マキアはここであることに気がついた。

 ――もしかして、資産を寄付金にして徴税を逃れようとしているの?

 ありえることだった。寄付自体は減税対象なので名義を明かして行うことも多い。

 しかし、今回は匿名でありつつ額が多いのだ。減税ではなく、税そのものから逃れようとしているということは十分に考えられる。

 養護施設の寄付金は非課税なので、あとから戻せるのであればそっくりそのまま手元に返って来る。

 今朝リンカが言っていた「税務局で掴んでいるネタ」はこのことなのかもしれない。そう考えればパップスが追及しているのも納得できる。

 だが、施設長は脱税だと言わない。

「こちらの寄付金ですが、今後中期に渡って使用する計画となっておりまして、施設の改修とそれに伴う教育プログラムの監修に充てられる予定です」

 施設長を援護するように会計担当が資料を取り出す。

「こちらがその計画の草案になります。施設改修もありますが、災害対策なども継続的な資金繰りが必要となりますのでそう簡単に全額使うわけにもいかないのが現状です」

 パップスは提示された資料をじっくりと読み込んだ。

 企業や公共団体の支援がない養護施設は資金繰りに腐心するのが常だ。

 資料自体は当たり障りのないものであるし、草案の計画書に口出ししたところで「まだ未定ですから」と返されるだけである。

 資料を通読したパップスはリンカにアイコンタクトをした。

 マキアにその意図はわからなかったが、おそらく引き上げるタイミングなのだろうというのだけはわかった。

 その後はパップスの方から二三の質問をしてヒアリングは終了。いくつかの資料をパップスが受け取ってその日の調査は終わった。

 帰りの車内でマキアは今日のヒアリングについて少しばかり考える。

「まだ調査は始まったばかりだ。そんな顔で悩むことなんてないさ」

 バックミラー越しにマキアの表情を見たらしく、リンカは笑いながら言った。

 マキアは少し恥ずかしい気もしたが、せっかくリンカから話しかけてくれたのだから、今日の事を聞いてみる。

「あの施設。ポルクって人が怪しいですよね?」

「確かに怪しいかもな。でも、マキアはどうしてそう思う?」

 マキアはヒアリングの際に思ったことを整理して言葉に変える。

「自分の資産を寄付して非課税の資金にしておけば、そっくりそのまま後で手元に返ってくるんでしょう? 匿名にしたら誰の資金かわからないんですし、施設長とポルクって人がグルになれば納税期間を過ぎてから資金を戻すことだって可能だと思うんですよ」

 上手く言えたかはマキア自身にもわからないが、リンカは笑顔で頷いた。小馬鹿にする空気など微塵も出させない。可愛い教え子の勉強を見る教師のような表情だ。

「良い考えだ。正解かはともかく、筋書としては理屈が通っている」

 実際のカラクリなどわからないマキアは、とりあえずリンカが褒めてくれただけでも嬉しい。

「問題があるとすれば、ポルクは匿名で寄付なんかするメリットが何もないことだな」

「????」

「少し法律の話をするか」

 リンカは往路と同様のゆるやかな運転を続ける。

「現行の法律で言えば、ポルクが名義を明かしたまま寄付をしても何も問題はない。寄付金は非課税のままだしな。むしろ名義を明かすメリットがあるくらいだ」

「寄付が減税になるからですか?」

 マキアの解答にリンカはバックミラー越しの視線を向ける。柔らかな視線だ。

「そう。例えばポルクが自分の資産のほとんどを寄付したとすれば課税対象の資産が減る上に減税行為ができるだろ? 勿論法令上幾つかの制限はあるが、ポルクにはそれを強行しても利益を出せる方法があるんだ」

 マキアはポルクの立場を思い出す。施設との関係は設立からだが、経営には関わっていないらしい。なら、何ができるのか。しばし考えてからポルクの生業を思い出した。

「そういえば、ポルクって人はボヒン商会の商人でしたね」

「その通り、それもただの商売人じゃない。ボヒン商会の経営代表だ」

 マキアはそこで何かが繋がるのを感じた。リンカの言いたいことが多少なりとも理解できた感覚は、栗毛の助手に不可思議な高揚感を与える。

「もしかして、リンカさんの言う寄付行為をした後、その寄付金を使ってボヒン商会で買い物をさせるってことですか」

「よくわかったじゃないか」

 確かにリンカの言う通りなら、ポルクの資産はボヒン商会の利益となって後々自分の元に返って来る。それも、しっかりと経営上の収益となってだ。

「リンカさんの言い方だと、ポルクって人が脱税してないって聞こえます」

「ん? そうかな? まあ、ポルクが脱税しているかどうかなんてどうでもいいんだよ」

「え?」

 リンカの言っていることがわからず。マキアは思わず声に出してしまった。当のリンカはカーブを曲がるためにハンドルを切る。その仕草はいつもと変わらない。

「そもそも今回の調査依頼の意図がわからないんだ」

「どういうことですか?」

 カーブを終えた車両は再び直線を走る。マキアはさっきまでの直線よりもスピードが出ているように感じた。

「現行の法律だと、養護施設への寄付を利用した脱税は犯罪にならない。体面には悪いけどな」

「そ、そうなんですか?」

 貴族のこともそうだが、この国の法や制度でさえ知らないことだらけだ。

「そうだな。この話は執務室に戻ってからしようか」

 気がつけば内政省の門まで到着していた。

 リンカが守衛に門を開けてもらっている間、マキアはこの後のことを考える。今日は終業まで覚えることや教えてもらうことが多々あるだろう。

 マキアとしては望むところだ。リンカの話ならいつまでだって聞いていたい。

 ――執務室に戻ったら紅茶淹れよ。ゆっくり話を聞きたいし、リンカさんも疲れただろうから。

 車降りようとしてドアを開けたとき、マキアはふとそんなことを思った。

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