第3話 助手に選んだ理由

 国内の政務を統轄する内政省は首都の外れに庁舎を構えている。

 郊外に本拠地があるのは革命時に襲撃を恐れた政府が、内政の機能をそのままの状態で移転して逃がしたことが発端であり、現在の庁舎は築数年だ。

 有事の際に急いで建築されたため、革命で焼失した旧庁舎と比べると比較的小さい。

 マキアはリンカとの電話をした際、後日彼女と直接会うことに決めた。

 その約束が今日である。マキアが一年ぶりにリンカと再会できる日だ。

 マキアは目の前の庁舎をじっと見る。敷地は広いが庁舎の階層は三階くらいまででそこまで高くない。

 けれどもそこは官公庁。ある程度の意匠や機能性、拡張性は確保されている。

 臣民と政務に対する姿勢や威厳のようなものをマキアは感じた。

 庁舎の雰囲気に少々気圧されつつも、守衛所へと歩く。

 身分証と手紙を提示して用件を伝えると、守衛はすぐに庁舎へと連絡を入れた。

 連絡から数分と経たず、マキアの目的の人物が顔を見せる。

「マキア、よく来てくれた」

「リンカさん」

 リンカは手を振りながら歩いて来た。

 マキアの記憶の中にいるリンカと違い、今の彼女は目つきも柔らかいし、着ているものも抗弾アーマーではなくジャケットにズボンというスタイルだ。しかし、よく見れば軍警察時代のブーツを履いている。

 挨拶もほどほどに、リンカは守衛に話を通すと入場許可証を預かってそのままマキアに渡した。

「とりあえず、わたしの執務室に行こう」

「わ、わかりました」

 リンカの執務室は本庁舎の二階の端にある。

 それなりの広さがある個人用の執務室にはいくつもの資料や書籍、用途のわからない道具等が積まれている。

「汚くてすまない」

 机の上だけでなく床の一部にまで物が積まれている。どうやらついさっきまでずっと何かをしていたようだ。

「まあ、座ってくれ」

「はい」

 言われるがまま部屋の中心にある応接椅子に腰掛ける。

「早速なんだが、手紙の内容は承諾してくれるか?」

「リンカさんの助手になるって話ですよね?」

「そうだ」

「あたしの意思は決まっています。でも一つだけ聞かせてください。どうしてあたしなんですか?」

 両親とリンカ自身の手紙に記載されていた通り、現在のリンカは軍警察ではなく内務官と呼ばれる内政省の官僚である。

 先日電話越しで話したとき、リンカは「内務官と言っても自由になんでもできるわけじゃないし、やることは多岐にわたるよ」と言っていた。革命を終えて十年と経たない不安定な国家を支えるためには様々なことに対応しなければならないだろうし、権限があっても好き勝手にできないのは事実だろう。

 しかし、内務官そのものが複数人いるとはいえ、官僚全体として見ても内務官の職位は決して低くはない。それは内政省の本庁舎に個人用の執務室があてがわれていることからも用意に想像できるものだ。

 そんな地位に短期間で上り詰めたリンカがどうして自分を選んだのか、マキアはそれを直接聞きたかった。

「理由は色々あるんだが、マキアは根気があって読み書きと計算もできるから文句無しの逸材だと思ったんだ。それで進路を決め兼ねているのなら声をかけてみようと」

「…………もしかして、あたしのこと監視してました?」

 先日の試験不合格の通知と同日に来たリンカからの手紙。偶然とは思えない。

「監視はしてないが、この前キミのご両親に会ったとき少し話をさせてもらってな」

 ――お母さん、あたしの試験のこと話しちゃったんだ。別に隠せとか思ってなかったけど。

 受験日よりも先に手紙を寄こさなかったのはリンカなりの配慮だろう。試験が順調ならそっちを優先させようとしていたのかもしれない。

「それで、どうだろうか?」

 リンカは珍しく落ち着かない様子だ。手を握ったり開いたり、唇を僅かに動かしたりしている。イライラしているというより、不安そうだった。

 マキアは特にはぐらかしたり勿体ぶったりしない。試験がどうであれ、マキアの意思は決まっている。

「やります」

「そうか。たすかる」

 喜びというより、安堵の表情。

「では、今日からわたしの助手として働いてもらうよ」

 リンカは立ち上がると、最初の指示を出す。

「まず、この部屋の整理をしよう」

 この部屋を見た瞬間からマキアの望んでいた仕事だ。

 リンカは自分の机の上から一枚の資料を取り出すと、マキアに渡して説明する。

「書類はこの分類で分けてくれ。資料はそこの箱に頼む」

 細かい作業はリンカが行い、大まかな分類をマキアが担当することになる。

 そうして二人の作業は始まった。

 傍から見れば雑用としか思えないような作業だが、マキアにしてみればそれなりに得る物もある。資料の分類を覚えられるし、ざっとではあるが保管場所なども確認できる。

 作業に慣れてきた頃、机の上でファイリングをしていたリンカがマキアに話しかける。

「リリは元気か?」

「元気ですよ。薬が抜けてからはずっとリハビリでしたけど、今は普通に生活してますし」

「そうか。ならいいんだ。軍警察は彼女に救われたようなものだから、気になっていてな」

 リンカは再び手元のファイルに視線を戻す。

 救われたのはマキアも同じだった。

 リリは反政府組織の指導者の娘という立場でありながら、誘拐されて売られそうになっていたマキアたちを救うべく密かに軍警察へと情報をリークしていた。最終的にはリークが発覚して囚われてしまうものの、彼女の行動によって組織の壊滅と子どもたちの救出が成功したのである。

 目的は達成したが、リリも代償を負った。指導者である父は廃工場での戦闘で殺害され、リリもリークが発覚した際、余計なことをさせないようにと薬物漬けにされてしまった。

 裏切者として処刑されなかったのは、指導者の娘という立場によるものだった。

 ――いけない。手、止まってた。

 記憶を遡ると現在が疎かになる。

 今度は集中しなければならない。そうでなくては、今日で作業がおわらないかもしれないのだ。

 少々焦るマキアだが、リンカの方を再び見ると既にファイリングが完了していた。

 ファイルを机の箱に収納しようとするリンカと、彼女の方を向いていたマキアは意図せず視線を交わらせる。

「ああ、作業は焦らなくていいぞ。大きい仕事はつい先日終わったところだ。これはその後始末さ」

 そう言って笑うリンカ。

 マキアは頷くことしかできなった。

 作業は昼食を挟んで午後まで続いた。

 定時のチャイムが鳴る頃、部屋はほとんど片付いていた。

「これなら明日からは別のことができそうだな。助かったよ」

 自身の席に座ったままリンカはマキアの方を見る。

「いえ、リンカさんにほとんどやってもらいましたし」

 マキアがごにょごにょと言うのを聞いて、リンカは軽く笑った。

 実際、マキアがいなくてもリンカ一人で整理できただろうと思うくらいにはリンカの方が正確かつ速かった。

「また明日頼むよ」

「わかりました。それと、リンカさん……」

「ん?」

「その、ありがとうございました」

「なにがだ?」

「全部です。助けてくれたことや両親の医療費とか、あたしの仕事のこととか、廃工場のときもあたしとリリが罪に問われないように色々してくれたって聞きました」

 マキアはずっと礼を言いたかった。しかし、廃工場の一件以降自分のことも手一杯なうえにリンカの情報は名前と見た目くらいで会いに行くどころか、手紙さえどこに送ればいいのかわからない状態だった。

 時折飛び込んでくる断片的な情報だけがマキアの元に募る日々。そんな時間はいつしかマキアにリンカの幻影を追わせるようになった。その一つが軍警察への受験である。

 しかし、今目の前にいるリンカは幻影ではない。本物のリンカだ。

 ずっと追い求めたリンカの返答はマキアの想像しないものだった。

「礼は受け取るよ。でも、わたしはただ、マキアみたいな根気のある子が惜しかっただけだ」

 口にしてからリンカ自身が気がつく。マキアを助手にしたかった理由はこれなのだと。

 素直に言い過ぎたのが気恥ずかしくて、リンカは机の上に置かれたグラスを掴むと、そのまま口で水を含んで少しずつ飲み込む。

 飲み終えたリンカは立ったままのマキアを見た。マキアもリンカの言っていることの意味を感じ取ったのか、頬に朱が差していた。

「わたしは戸締りをするから、マキアは先に早めに帰りなよ」

「は、はいっ。お疲れ様でした」

 ハッとしたマキアは上擦った声で返事をすると鞄を掴んで部屋を後にした。

 部屋を出たマキアは廊下を歩きつつリンカのことに想いを巡らせる。

 ――お姉ちゃんがいたら、リンカさんみたいな人になってくれたかな。

 マキアに姉妹はいないが、もしもいたらリンカのように両親を支えてくれたり、自分を気遣ってくれたりしたのだろうか。

 マキアは幼少期に一度だけ母に願った「姉がほしい」という無理難題を思い出しながら帰路についた。

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