見過ごせない彼女

三鹿ショート

見過ごせない彼女

 誰がどう見ても、一目で、彼女に何かが起きたのだと察することができる。

 彼女は口を半開きにした無表情のまま、虚空を眺めている。

 着用している制服は所々が破かれ、泥のようなものが広範囲にわたって付着していた。

 また、外であるにも関わらず裸足で立っているなど、彼女が何らかの事件に巻き込まれたということは想像するに難くない。

 だが、道を行く人々は、彼女に目もくれない。

 通行人の邪魔にならない位置に立っているが、まるで長年の間設置されている置物のように、意識が向けられるようなことはなかった。

 私は放っておくことができず、彼女の元へと向かった。

「どうかしましたか」

 彼女に声をかけていると、通行人は私に対して異常なものを見るかのような視線を向けた。

 それに対して気分を害することはなく、私は彼女の反応を待った。

 数秒の間、無反応ではあったが、彼女はようやく己に声がかけられているということに気付くと、首を傾げた。

「私は、どうしたのでしょう」

 鸚鵡返しのような言葉に、私は困惑した。

 私は彼女の制服に目を向けながら、

「とにかく、その格好では何かと不便でしょう。場所を変えますか」

 訳も分からない様子だったが、彼女が首肯を返したため、その手を握ろうとする。

 しかし、私の手は彼女の手を通り抜けた。

 確かにこの目で彼女の姿を確認することはできるが、実体が無いようである。

 そこで、通行人の無反応と合わせて考えたところ、彼女はいわゆる幽霊であるらしかった。


***


 近くの公園に移動し、長椅子に並んで座りながら、私は彼女が幽霊であることを本人に語った。

 彼女は天気の話を聞かされているような薄い反応だったものの、時間が経つにつれて生前の記憶が蘇ってきたのか、無機質な態度ではなくなっていった。

 目を見開き、頭を抱えると、突然叫び声をあげた。

 やがて自身を抱きしめるようにすると、身体を震わせ始める。

 安心させるように手を握ることもできないため、私は黙ってその様子を眺めるしかなかった。

 数分後、彼女は天を仰ぐと、大きく息を吐いた。

 そして、その顔を私に向ける。

 彼女は申し訳なさそうな表情で、私に頭を下げた。

「見苦しい姿を見せてしまいました」

「いや、気にすることはありません」

 私がそう告げると、彼女は己の両手を広げ、それらを見つめながら、

「どうやら、私は何者かに生命を奪われてしまったようです」

「それは本当なのですか」

 その問いに、彼女は頷いた。

 だが、すぐに首を左右に振ると、

「しかし、その犯人の姿を思い出すことができないのです。この肉体をどのように傷つけられたのか、それは明瞭に記憶しているのですが」

「何かで顔を隠していたということでしょうか」

「おそらく、その通りだと思います」

 彼女は腕を組むと、悩ましい様子で唸り声を漏らした。

「幽霊となり、記憶が蘇った今、その犯人に報復することも可能でしょうが、相手が不明ならばどうしようもありません。私がこの世界に留まっている意味は、何なのでしょうか」

「それならば、私が手伝いましょうか」

 私の言葉に、彼女は目を丸くした。

「このような、見知らぬ幽霊のために時間を割いてくれるのですか。ご迷惑ではありませんか」

 気遣うような言葉に対して、私は己の胸を叩いた。

「迷惑などとは、微塵も思っていません。正直な話をすれば、私はこのような外見ゆえに、真面に異性と関わったことがありません。幽霊とはいえ、きみのような相手と過ごすことができると思うと、不謹慎ながら、嬉しくもあるのです」

 そこで彼女は私の顔をしばらく見つめていたが、やがて首を傾げた。

「他者が忌避するようなものとは思えませんが」

「嬉しいことを言ってくれますね」


***


 彼女を殺めた人間を知るための第一歩として、彼女に関する事件が報道されていないかどうかを知る必要があるだろう。

 また、彼女が佇んでいた場所にも意味があるのだろうと考え、私はその周辺で何らかの事件が発生していたかどうかを調べた。

 その結果、一人の女子学生の殺人事件に行き着いた。

 被害者の顔写真を見たところ、それが彼女と同一人物であることは明白だった。

 被害者の名前を告げると、彼女は嬉しそうに頷いた。

「その通りです。それが私の名前です」

 これで、彼女が何者かによって殺害されたことは分かった。

 だが、問題はそこから先だった。

 彼女に好意を抱いていた人間や、付きまとっていた人間が存在していなかったかどうかを調査しようとしたが、数年も経った今になって話を聞き回っている私を不審に思った結果、関係者が事実を語ってくれるとは考えにくい。

 そこで、私は調査会社に頼ることにした。

 名前などが明らかである人物を調べるためか、調査会社が難色を示すことはなかった。

 私は調査の結果が届くまで、彼女との時間を過ごした。

 殺害されてから数年は経過していたため、その間に起きた世界での出来事を語ると、彼女は興味深そうな反応を見せていた。


***


 調査会社から結果が届いたのは、依頼してから一ヶ月ほどが経過した頃である。

 容疑者として浮上したのは、彼女と同じ学校に通っていた人間だった。

 その人間は、自身の隣に異性が存在しなければ気が済まないような性格らしい。

 それは、彼が声をかければ必ずといっていいほどに異性が靡くような色男であることが起因しているのだろう。

 しかし、彼女にその男の写真を見せたところ、魅力はさほど感じないかのような反応を見せた。

 その反応から察するに、生前の彼女は、言い寄ってきた彼を拒否した結果、彼の自尊心を傷つけてしまい、怒り狂った相手によってその生命を奪われたのかもしれなかった。

 だが、犯人が彼だと決まったわけではない。

 真相を確かめるために、私は彼の自宅に手紙を送った。

 内容は、彼女を殺めたかどうかを問うような直接的なものである。

 手紙を受け取り、中身を確認した際の反応を見たかったのだ。

 結論を言ってしまえば、彼は黒であるようだ。

 手紙を受け取ってから、彼は怯えた表情を浮かべながら常に周囲を気にするようになり、他者との接触を控えるようになった。

 彼をどうするべきかと問うと、彼女は冷徹な眼差しで、

「私と同じ目に遭わせるべきでしょう」

 しかし、すぐに困惑した態度へと変化した。

 遠慮がちに、私に視線を向けながら、

「ですが、私は彼に手を出すことはできません。あなたに協力してほしいのは山々ですが、罪を犯させるわけにはいきません」

 その言葉に、私は首を振った。

「ここまで来てしまったのです、今さら見過ごすことなどできない」

「しかし、あなたが罪を犯すほどの価値が私に存在するとは思えません。感謝の言葉を口にすることくらいしか、私には出来ないのですから」

「それだけで充分です。先日も伝えましたが、私は他者から嫌悪の眼差しを向けられることはあっても、感謝されるようなことは一度もありませんでした。生涯でそれが一度でもあったのならば、誰が相手であろうと、こんなに嬉しいことはないのです」

 そう告げると、彼女は口元を緩めた。

 そして、深々と頭を下げた。


***


 顔を隠しながら刃物を突きつけ、その生命を奪おうとしていることを告げると、彼はあっさりと罪を認めた。

 犯行の理由は、私が考えた通りの内容だった。

 それ以上に知るべきものはないと、彼女の眼前で彼の生命を奪った。

 彼が動かなくなると、彼女は私に感謝の言葉を伝え、姿を消した。

 未練が無くなったため、この世を去ったのだろう。

 天を仰ぎながら、私は笑みを浮かべた。

 我ながら、良い役者である。

 彼を唆し、傷つけさせた結果、息も絶え絶えになった彼女の肉体を味わった感覚は、今でも忘れることはできない。

 その返礼として彼女の依頼を聞き入れたが、やはり彼女は生前と何も変化していなかった。

 私に対して唯一態度を変えなかった彼女だからこそ、私は心を奪われたのだ。

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見過ごせない彼女 三鹿ショート @mijikashort

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