9. 夏休み最後の日は名残惜しくて

 高校生活最後の夏休み、その終わりはもう目の前に迫っていた。

 櫻子恋人が図書室に出勤している日はほぼ毎回図書室に登校していた。

 けれどそれも終わりで、今日からは普通に教室へ登校だ。

 夏休み中は毎日ではないけれど、週の何日かは図書室へ登校して、勉強して、その日他に誰もいなければ櫻子恋人とキスをして。

 途中から櫻子に、

「琴葉は勉強しに来ているのか、私にキスをしに来ているのか、どちらなのかしら。」と言われてしまい、私は返答に困ってしまった。

 櫻子先生は、『勉強に来ている』と答えて欲しいのは間違いないだろう。

 でも。

 櫻子恋人には、『キスをしに来ている』と答えたくなってしまう。

 困ってしばらくだんまりした果てに私は、

「恋人が居る図書室に勉強に来ている」

 と答えた。

 それを聞いた櫻子は

「それなら、恋人の勉強を応援しなきゃ、ね。」

 と私の顎を指でくいと上げて、唇に軽くちゅっとキスをして、司書室に戻っていった。

 まるで、それ以上はお預けよ、と言わんばかりに。

 ある日にそんなことがあって以降、櫻子は閉館時間にならないと司書室から出てきてくれなくなった。

 でも。

 閉館時刻になると、私の勉強が一区切りついたのを見計らって、『琴葉』と声をかけてくれて、私へのご褒美と言わんばかりに、優しくて甘くて蕩けそうなキスをしてくれる。

 そして熱を帯びて濡れた唇で私の耳に、「もう帰る時間よ」と囁いてくれる。

 そんなことをされて帰れますかと思ってしまうけれど、櫻子は私の手を引いて図書室から私と出ていく。

 そして「今日は帰りなさい。開館日にまた来てちょうだい。」と、まるで先ほどまでの態度が嘘のように、ただの先生として私に帰宅を促す。

 そんな、先生でもあって恋人でもある櫻子に私はもう夢中で、夏休みの最終日は寂しくて仕方なかった。

 またしばらく。2人の思い出の詰まったこの図書室で、2人きりでは過ごせなくなってしまう。

 最終日にも櫻子は変わらず、閉館時刻には優しく私の名前を呼んでキスをしてくれた。

 しかし、図書室を出る直前だけはいつもと違った。

「……夏休みも終わりね。もっと、貴女とこうしていたかったわ。」

 そういうと、櫻子は図書室と廊下を隔てる扉に手をかけたまま立ち止まってしまった。

「……帰りたくないです。帰ってしまったら、もう櫻子と2人っきりの夏休みが終わっちゃいます。」

 きっと櫻子も同じ気持ち。

 扉を開けば、櫻子は私の“恋人”から“先生”にならなければいけない。

 だから、櫻子は扉を開けたくないのだろう。

「……駄目な先生よね。もう下校時刻だから、貴女を帰さないといけないのに。」

 櫻子は扉に手をかけたまま、私を見つめる。

「櫻子……もしかして。私を帰したくないんですか。」

 櫻子は扉から手を離して、そっと私を抱き寄せて囁く。

「ふふふ、その通りよ。貴女の前でも私は先生としてあらねばならないのに。琴葉は私の恋人。でも、今は私の生徒。貴女には、模範を示さなきゃ。」

 そういうと櫻子は、何かを決めたかのように頷いて、私の手を図書室の扉のドアノブに持っていった。

「琴葉。一緒に扉を開けましょう。……一人だと、開けたくないって気持ちが出てきちゃって開けられないの。」

「そんなに。そんなに櫻子もこの時間を終わりにしたくないんですか。」

「そうよ。もう、私はすっかり貴女に夢中になってしまったわ。学校でもこんなに貴女を愛したいなんて思ってしまうなんて。」

 そこまで言うと櫻子はふぅと一呼吸して言葉を続ける。

「琴葉。先生と生徒と、そして恋人同士としての、最後の夏休み。……あ、去年の夏休みはまだ恋人同士じゃなかったから最初で最後ね。……楽しかった?」

「もちろんです!!」

 櫻子と私は微笑み合うと、図書室の扉のドアノブを2人でひねって押して扉を開けて、廊下へ出た。

 扉を静かに閉めながら、櫻子は恋人から先生へとうつっていく。

「気をつけて帰りなさいね。……清永さん。」

「はい。……藤枝先生。」

「ふふ……さようなら。」

 まるでどんな生徒にも向けるような、優しくも事務的な声の言葉を発していても、櫻子の口元と瞳はまだ、恋人への想いが滲んでいるみたいに艶めいていた。

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