8. 図書室で、2人きりで、その左手に

※作者注

日帰り温泉旅行の話は

『ある女子高生と先生の、2人だけの夏休み』

https://kakuyomu.jp/works/16817330660733789792

をお読みください。


 夏休み中にはいろいろなことがあった。

 銀河ちゃん率いる光北高校吹奏楽部は、県大会を越えて地方大会へ進むことができたが、そのさらに先へは進めなかった。

 そして、私は吹奏楽部を引退した。

 元々、夏のコンクールまでのつもりではあって、文化祭は観客として楽しみたいという思いがあったから悔いは全くない。

 敗退を告げられた時、寂しさや悔しさで溢れそうだったけれど、少し時間が経つと肩の荷が降ろされたように気が楽になった。

 そして。夏休みのある一日に、私は櫻子と日帰り温泉旅行へ行った。

 夏休みの少し前に櫻子から誘われて、二人で少し遠い温泉旅館へ行ってきた。

 その時には、私が櫻子を激しく求めてしまって、ついに櫻子から将来結婚したいと言ってもらえた。

 その時の私はもう嬉しくて、帰りの電車では櫻子との未来を想像して、櫻子の左手の薬指に自分の指を絡めていた。

 今日は、櫻子と温泉旅行に行ってからちょっと後の日。

 若干片づけきれなかった宿題を終わらせるために、高校の図書室に来ている。

 櫻子がいるかどうかは日にもよるけれど、今日は〝いる〟日。

 もちろん、もうどの日に来るか事前に櫻子に教えてもらっているから、それに合わせて来ている。

 稀に他の生徒がいることはある。

 が、いなければ思う存分、櫻子と図書室でいちゃいちゃしながら宿題や大学受験対策の勉強ができる。

(もちろん、櫻子が出勤ではない日で櫻子と都合が合えば、櫻子の家でも勉強したりのんびりしたりしている。)

 光北高校は、冷房代の節約だということで、吹奏楽部の練習場となっている音楽室も、私と櫻子がいる図書室も、窓が全開である。

 そのため、文化祭で披露する曲が音楽室から丸聞こえである。

「他に勉強熱心な子がいれば、やかましいって苦情が来てもおかしくないわよね。そうなったら、私は吹奏楽部の顧問の山城先生に、窓を閉めて練習してくださいってお願いしに行かなきゃいけないわ。でも……音楽室も冷房ついてなくて、暑いのでしょう?」

「はい。冷房なんてあってもついてないですよ。扇風機はあるんですけど、吹奏楽部OBOG会からの寄付だったり、山城先生のポケットマネーだったり……。」

 こうして櫻子と話しながら、私は宿題を進めている。

「はぁ。授業日の放課後ならそこそこ生徒が来てくれるようになったけれど、流石に夏休みはわざわざ来ないわよね。たぶんみんな暑いと思ってるのでしょう。……まあ、その通りなのだけれど。それなりの人数が利用しないと冷房の使用許可はもらえないし……。堂々巡りだわ。」

「……私は、実は嬉しいですけどね。暑いけど、大好きなこの図書室で、大好きな櫻子とこんなにくっついていられるんですもの。」

 私は席を立つと、部屋中のカーテンを閉めて回る。

 そして、櫻子の手を取って司書室の中へと連れていく。

「そんなことして……。」

 手を引かれている櫻子の頬はどんどん染まっていく。

「もう、この図書室で過ごせる日も、あまり無いかもしれないですよ。……誰も来てない今日ですもの。……いいですよね。」

 司書室に入って、扉を閉めて、櫻子を椅子に座らせて、唇を重ねる。

 温泉旅行に行く前は櫻子の方から仕掛けられるほうが多かった気がする。

 けれど、温泉で櫻子の美しい身体を見てしまったからか、私はまるで絡め取られたかみたいに、櫻子を求めてしまうようになった。

「はぅ、あぅ、ううん……」

 櫻子の唇から漏れる吐息が私をさらに火照らせる。

 想いが溢れてきて、私はそれを言葉にするために唇を一度離す。

 櫻子の唇と私の唇が、一筋の煌めきで繋がっている。

「わたし、櫻子のこと、大好きで仕方ないんです。もっともっと、キスしたい……!」

 言い終えると私はまた、櫻子のローズピンクの花びらを吸い、今度は甘い蜜でも塗られていて舐めとるかのように優しく舌で撫でる。

 今日の櫻子はなんだか受け身で、私がずっと櫻子に仕掛けている。

 ふと気が付いた私は、不安になってまた櫻子から唇を離してしまう。

「……どうしたんですか。今日の櫻子……いつもなら、もっと応えてくれるのに。」

「ん……びっくりしちゃったの。琴葉、いつの間にこんなに上手になったのかしらって。」

「上手って、なんのことですか。」

「もう。キスのことよ。」

 ちょっとだけ櫻子がむくれて、桃みたいにほんのり色づいたほっぺが膨らむ。こんな櫻子も可愛い!

「……上手い下手が、あるんですか? 私、櫻子にこんな風にキスされて蕩けそうで、もうどきどきしちゃって。だから、櫻子の真似をしてるだけ……なんですけど。」

 私の言葉を聞いた櫻子は驚いて、頬いっぱいに一斉に花が咲いたように紅くなって、私から目を背けてしまう。

「なんてこと……! 貴女のそのキスは、私の真似だってことなの……!?」

「……だって。他に誰とするって言うんですか。……私、櫻子としか、キスしたこと、ないんですよ?」

 櫻子は言葉が出ないのか、明後日のほうを向いたまま呆然としている。

 気まずいわけでは決してないけれど、沈黙がしばらく続いた。

 櫻子が私の方を向きなおして、椅子から立ち上がって私を見つめる。

「……そうよね。うふふ。うふふふふ。あははははは!」

 櫻子が突然笑いだす。え、この状況で何かおかしいんですか!

「櫻子!?」

「うふふふふ。ごめんなさいね。思ったよりもすごいことにいつの間にかなっていたみたいで、びっくりして笑っちゃったのよ。……私、知らない間にキスの仕方まで貴女に教えちゃっていたのね。琴葉にキスされて、私も蕩けそうだった。でも、いつの間に琴葉はキスのやり方を学んだのかしらって、不思議だったの。……琴葉のキスの先生は、他でもないこの私だったのね。」

「私は櫻子としかキスしたことないですってばあ。……それに、きっと。」

「きっと?」

「これからずっと。私がキスするのは櫻子だけですよ。そうでしょう? だって私は、櫻子と結婚するんですから!」

 もう私は、櫻子としかキスしたくないですよ。……絶対に、誰にも、櫻子は渡しません。

「……琴葉。ええ。私が琴葉の、初めてで最後で、ただ一人のキスの相手。……それなら、生涯かけて、琴葉を幸せにしないとね。」

 櫻子が私の左手を取って、薬指にキスをする。

「いつか、琴葉のその指に指輪をはめて、同じ部屋とベッドで眠る時。そんな日を迎えられるように、二人で歩んでいきましょう。」

「……はい、櫻子。」

 櫻子が私を見つめてくる。いつもの櫻子だ。……もしかして何か企んでる?

「……指輪は今は無いし、有ったとしても着けることなんで出来ないけれど。」

 櫻子は手に取ったままの私の左手をまた唇に寄せて、今度は薬指の外周をぐるっと周るように舌先で舐めてきて、指輪であれば石があるであろう位置に軽くキスを落としてきた。

 あ、あ、あ、あ、あ。

 いつものキスよりも軽い接触のはずなのに、私はしびれるようにどきんとしてしまった。

 櫻子は唇を三日月のように笑わせて、左手で私の左手を取ったまま右手で私を抱き寄せて囁いた。

「だから。しっかり、琴葉の薬指に印を付けておいたわ。……私にも、付けて、くれるわよね?」

 も、もう。この先生は。

 どこまで、私の先を行くんですか。

 そんなこと言われたら。

 もう、するしかないじゃないですか。

 私は心が迸るまま、櫻子の左手を両手で口元へ運んで、櫻子にされたように、その薬指に唇で指輪を描いた。

 私のキスの先生は、私が描いた口づけの指輪を、愛おしそうに見つめていた。

 


 蛇足であるが、宿題はなんだかんだ夏休み終了の1週間前には全て片付いた。

 

 今日も、私と櫻子の左手の薬指には、何もないけれど、私と櫻子だけの指輪がある。

 2人だけにしか見えない、キスで出来た指輪が、2人の薬指を結び付けている。

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