7. 2人だけの進路相談

 銀河ちゃんが部を率いて、また私や千利にとっては最後の吹奏楽コンクールは県大会ダメ金という結末に終わった。

 ダメ金というのは、金賞だけど代表に選ばれず上位大会へ進めなかった、という意味である。

 あと、吹奏楽界隈の事情を知らない人からはよく勘違いされてしまうので補足すると、金賞・銀賞・銅賞とは、スポーツの金銀銅メダルのように上位3位以内に与えられるものではなく、参戦した団体すべてを3つに分けて上位3分の1が金、中位が銀、その下が銅となる。

 そして、上位大会である地方大会に臨めるのは、今回では18団体中、シードとして扱われる前年度全国大会出場校を含んで6団体のみである。

 私達、光北高校吹奏楽部は上位3分の1には入れたけれどその中では下位であり上位大会への切符は勝ち取れなかった、ということである。

 そして、私はこれが最後の舞台だった。

 部活を引退するタイミングは人それぞれで、私のように夏のコンクールで引退する人、文化祭で引退する人、また別のタイミングで引退する人と様々だ。

 中には、コンクールまで頑張った後に私立大のAO入試や推薦入試で早めに受験を終わらせて、秋ごろから部活に戻ってくる先輩もいた。

 私は……一般入試で大学に進学するつもりで、ぼんやりと志望校を考えてはいるけれど、決め手に欠けている。

 櫻子から話を聞く機会が多いからか、先生になろうかなとぼんやり思ってはいるけれど、決めきれない。

 ちなみに千利は、文化祭で引退すると決めているとこの前に聞いた。

 文化祭は楽しいよね。

 でも私は、今年は見る側に回りたいと、そして、櫻子と文化祭を楽しみたいと思ったから文化祭の演奏には参加せず引退しようと決めた。

 今日はコンクールが終わってだいたい1週間後。

 宿題やセンター試験対策の勉強、そしておうちデートのためにまたまた櫻子の家にお邪魔している。

 実はこのおうちデート、櫻子が誘ってきたのだ。でも実は。

 私の進路相談のほうがメインだ。

 あまりにもぼんやりしている私を、櫻子が心配して動き出したのだ。 

「琴葉。もう流石に志望校を明確に決めないと、対策の勉強も出来ないわ。センター試験対策はとりあえずやって損は無いけれど、記述問題や学校によっては面接や小論文まで課されるのよ。……もう、時間が迫っているわ。」

 氷たっぷりのミントティーが入ったグラスをからんからんと鳴らしながら櫻子が私に言う。

 相変わらず授業や夏休みの受験対策の補習では笑わないけれど、今日の櫻子はそれとも違う、愁いを帯びた表情。

 まぶたが少し閉じた瞳の上に長い睫毛まつげが乗って、暗さの中に色気を感じてしまう。

 こんな表情も、きっと私しか知らない。

 ……でも。重い空気がそんなのんきな思考を追いやってしまう。

「耳が痛いです。でも……決めきれないんです。」

「決めきれないってことは、ある程度は絞り込んでるのね。」

「はい。……私、櫻子と同じ、先生になろうと……それでも、私は……。」

 どうしても迷ってしまう。

「……先生に興味があるのね。……じゃあ。決めきれない理由……どうして迷っているか、言葉にできる?」

 櫻子は優しく囁いてくれる。

「……はい。言葉には、できるんです。でも……それを言えるのは、櫻子、きっと貴女だけです。」

「うんうん。」

「私が迷っているのは、櫻子、貴女に関係することです。本当に、私は先生になりたいのかな、って。櫻子が好きで、櫻子に憧れて、そう思ってるだけなのか。私は、それが自分で分からないんです。」

 私の担任は赤染先生だけれど、こんなの櫻子にしか言えるわけがないもの。

 私の話を聞いた櫻子は嬉しそうに笑ってくれた。

「……そうなのね。うふふ。琴葉にそう思ってもらえて私は嬉しいわ。きっかけや動機がどんなものであれ、琴葉は先生に憧れてる。すぐに整理がつかなくても、今はそれでいいと思う。たとえそれが私への憧れであったとしても、琴葉が先生に憧れているということは変わらないと思うわ。だから……まずは、先生を目指してみるのも一つだと思う。たとえ途中でまた新しい何かに興味が湧いたら、それはその時に考えればいいの。そうね。それなら。琴葉には国文学科や日本語学科を目指すのをおすすめするわ。大抵は国語の教員免許が取れるはずよ。それと司書資格も。もし別の仕事を目指したくなっても、先生以外の進路も選べるから。」

 貴女が好きだから、貴女のようになりたいから。それが理由で、いいのですか。

 先生という仕事そのものではなく、櫻子という個人への憧れでも。

「それで……いいんですか? 動機が……櫻子への憧れでも。」

 櫻子はうんと静かに頷いて私を抱き寄せてくれる。

「琴葉……。私はね、琴葉の考えを誘導しちゃわないように、琴葉の進路については何も触れないようにしてたの。でも……琴葉が先生に興味があって、それがもしかしたら私への憧れかもしれないって聞いて、すごく嬉しい。どんな進路でも私は琴葉の力になりたいし応援する。そのつもりだったけれど、私と同じ先生になりたいというのなら。一層琴葉を応援しちゃう!」

「櫻子。私……先生になります! 先生になれる大学を目指します!」

「嬉しいわ、琴葉! ……貴女を応援するわ。でも、大切なことを先に言っておかないとね。」

 満開のひまわりみたいに笑顔を見せてくれた後に、真剣な眼差しで私を捉えてくる。

「……はい。」

「まず、先生は正直言って働き方としてはまだまだブラックよ。最近は働き方改革とか言って労働時間が少しは改善されてきてるけれどそれでもまだまだ。心を病んでしまう人も後を絶たないわ。……そこはしっかり覚えておいて。」

「……櫻子も帰ってくるのが遅いことが多いですよね。」

「ええ。もしも私と同棲しても、ずっとすれ違いになるか、2人とも疲れ果てて一緒に過ごせないかもしれない。……それでも。私はこの仕事も教えてきた子達も好き。……あ、もちろん琴葉は特別よ? ……だから。先生という仕事について、私は良いところも悪いところも知ってる。聞かれたことは、私の見解にはなってしまうけれど良いところも悪いところも隠さず話すし教えるわ。」

「心強いです。」

「それと最後ね。……私は心配なの。琴葉は魅力的だから……他の先生や琴葉の教え子に告白されてしまわないかと。」

「何言ってるんですか!! ……私は櫻子の恋人です! 何があっても、櫻子から離れません!」

「……! そうね、そうよね。ごめんなさい。琴葉を信じるべきよね。」

「櫻子だって。私は怖いんですよ! 櫻子は綺麗で優しいから、狙ってる人はきっといると思ってる! ……もしも櫻子が誰かに取られちゃったら、私……私……!」

 櫻子がギュッと私を抱きしめる。

「琴葉。貴女って心配性なのね。……私が琴葉以外の誰かのところに行くと思う? こんなに琴葉が好きなのに?」

 櫻子は私をソファーに押し倒して手を押さえつけてきた。

 な、何するんですか!!

「そんな琴葉には何度でも教えてあげないとね。……私がどれほど琴葉を愛しているか。」

 私を押さえつけて身動きを封じると耳元に唇を寄せて、まるで吐息を浴びせるかのように囁いてくる。

「好きよ。琴葉。……ふぅ。そんなに私のことが心配なら、心配いらなくなるまでこうして琴葉を愛してあげる。」 

 櫻子は私を押さえつけたまま、囁き声と吐息を雨のように浴びせてくる。

 も、もう、限界。どうしていいかわからない。とろけてどうにかなってしまいそう。

「……ふふ。それでも……私が琴葉を置いて誰かのところに行っちゃうと思う?」

「……ごめんなさい。さくらこは、わたしの、こいびと。」

「……いい子。」

 櫻子は私を押し倒したまま、私の頬に手を添えて、私の唇を撫でるようにキスしてきた。

 甘く優しい吐息とキスをたっぷりと浴びせられて、私は櫻子が離れてもすぐには立てないくらいふにゃふにゃにとろけてしまった。

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