6. 新しい伝統は本と共に エピローグ
お昼休みが終わって、午後の授業が終わって、音楽室で銀河ちゃんに声をかけて。
私は銀河ちゃんと図書室に向かっている。
「藤枝先生、仕事早いですね!」
「お昼休みに図書室に行ったら、準備できたから貸し出しカードを持ってまた来てちょうだいって言ってもらえたの。たくさんあるから気を付けて、って。」
「優しいですね、藤枝先生。藤枝先生が3年生所属なんて先輩方が羨ましいですよ。」
「そ、そうなの。」
2年生の国語科の先生方が誰でどんな人なのか知らないけれど、そんなにか。
ねえねえ銀河ちゃん。銀河ちゃんも櫻子を気に入ってない?
恋人を良く言われるのは嬉しいけれど、うーんなんかもやっとするな……。
「琴葉先輩?」
「ん?」
「何か気になることでも?」
「ああ大丈夫大丈夫。古文の予習と英語の予習が重なって億劫だなあってだけ。」
「帰ってから宿題がたくさんだとしんどいですよねえ。」
「ほんとだよ。」
何とか誤魔化している間に図書室に着いた。
銀河ちゃんが扉を開けてくれる。
カウンターにはすでに櫻子が座っていて、アラビアンナイト全集全13巻ともう一冊大き目の本が置かれていた。
『新装版 図説 アラビアンナイト』
「図説もあったから付けておいたわ。カラーの挿絵もあるし面白いと思う。あと、これね。」
櫻子がA4のプリントを渡してくれる。手書きしたものをコピーして作ったようなプリントだ。櫻子の綺麗な字で満たされている。
『頑張れ光北高校吹奏楽部!』という大見出しの下に、『まずはここから シェヘラザード』と小見出しがある。
その下に『始まり シャハリヤール王と弟シャハザマーン王との物語(第1巻)』
『商人と
『醜い男および仕立屋とキリスト教徒の仲買人と御用係とユダヤ人の医者との物語(第24夜 - 第32夜)(第1巻)』
……と、このような感じで何夜かがピックアップされている。そして最後に、
『ジャスミン王子とアーモンド姫の優しい物語(第998夜 - 第1001夜)(第13巻)』
『大団円 シャハリヤール王の改心と結婚』
「ちょっと時間がなかったから、これくらいの紹介しかできないけれど。」
「こんな短期間でここまでできるんですが、すごいです、藤枝先生。」
銀河ちゃんがびっくりしている。
「大雑把には昨日の夜に作っておいたのよ。シェヘラザードだけを見るよりかは、彼女はアラビアンナイトの語り手だから、少しでもその語るお話も紹介したほうがいいかなと思って。それで、何話か紹介してみたわ。」
「ありがとうございます。藤枝先生!」
櫻子、私に連絡したその裏でもうこんな準備してたの。
「そうそう、このアラビアンナイトは全集だから、現代の日本の倫理観や道徳には合わないお話もあるの。残酷だったり、あの…その…性的だったり。でも、それも含めて当時の文化だから。読む時は気を付けてね。ピックアップしてあるのは、比較的マイルドなお話だと思う。あ、アラジンと魔法のランプとか、シンドバッドの冒険とかは敢えて入れなかったわ。もう有名だから。」
櫻子が“性的”の部分で言葉に困ったようだったけれど、言い切った。
……いやいやいや何考えてるの私!
「昔のお話ってそういうのありますよね。グリム童話とか。たまに演奏する学校いますけどサロメの7つのヴェールの踊りも調べたときびっくりしましたもの。」
銀河ちゃんは真面目だ―! 言葉につっかえる櫻子にそわそわしてる私とは大違いだー!
「長い時間を経ても残っているお話って少なからずそういう要素もあるのよね。ギリシア神話とか源氏物語とか。……まあ、そろそろこの話は置いときましょうか。貴女達、早く戻った方がいいでしょう?」
「そうですね。お気遣いありがとうございます。それにこんな素敵なプリントまで! 部室に貼りますね!」
銀河ちゃん、すごく喜んでるな。櫻子が張り切ってくれたから!
図書室の部活動利用と櫻子が、吹奏楽部と繋がれてよかった!
……と、思いながら。
うーん、銀河ちゃん、櫻子に懐いてる?
可愛い後輩が恋人を頼ってくれるのは嬉しいし誇らしいけれど、なんだか落ち着かないなあ。
「ねえ、銀河ちゃん。とりあえず貸し出し手続きだけ済ませない? まだやってないよ?」
「あ! すみません。プリントに夢中になって、すっかり忘れてました……。」
「カードは?」
「ここです!」
銀河ちゃんが慌てて生徒手帳から吹奏楽部の図書室貸し出しカードを取り出す。
銀河ちゃんはしっかり者だけど、なんだか今日はぼんやりしてるように見えるなあ。
「お願いします。」
「ええ。」
銀河ちゃんから貸し出しカードを受け取った櫻子はアラビアンナイト全集と図説、計14冊に貼られたバーコードをさっさっとリーダーで読み取っていく。
前回のコッペリアの時は本の冊数が少なかったから思わなかったけれど、これだけ本が多くても流れるように貸し出し処理をする櫻子の慣れた手つきを思わず見てしまう。
「はい、どうぞ。たくさんあるから清永さんも手伝ってあげてね。」
櫻子はアラビアンナイト全集と図説をだいたい同じくらいな重さになるように、2つに分けてカウンターに置いてくれた。
「これくらい一人で持てますよ?」
「黒木さん、たくさん持つと大変だし途中に階段もあるでしょう。危ないからちゃんと先輩を頼って?」
「頼みづらいよね。 でもこれで頼みやすくなったんじゃない?」
これが櫻子の気遣いだとしたら、なんて櫻子は優しくて気が利くんでしょう。
銀河ちゃんはちょっと困ったような顔をしたけれど、いつものきりりとした銀河ちゃんに戻って、本の山の片方に手を添えた。
「先生のおっしゃる通りですね。琴葉先輩、お願いしていいですか?」
「もっちろん!」
私と銀河ちゃんは本の山を1つずつ抱えて図書室の出口へ向かう。
「入口は開けてあげるわ。」
櫻子もカウンターから出てきて、出口までついてきて、扉を開けてくれる。
「さっきも言ったけれど気をつけてね。コンクール、私も応援してるわ!」
銀河ちゃんの顔がぱっと明るくなって、嬉しそうに応える。
「藤枝先生、ありがとうございます!」
「頑張ろうね、銀河ちゃん!」
私と銀河ちゃんは図書室を後にして、コンクールや櫻子…藤枝先生について話しながら音楽室へ戻っていった。
銀河ちゃん、嬉しそうだったなあ。
そりゃあ櫻子は優しくて綺麗で魅力的で。好きになっちゃうよね。……え? まさかね。
……いやいやいや櫻子は私の恋人だから!!
その夜。
私はたまらなくなって櫻子にメールした。
『銀河ちゃん、櫻子のこと好きなのかな。』
『さあねぇ。でもどうあっても。私は貴女の恋人よ。琴葉から離れる気なんて無いわ。』
櫻子から送られたメールを読んで、私はモヤが晴れたようにほっとした。
『嬉しいです。ほっとしました。櫻子は絶対に離しません。』
いつの間にか、秘密のメールアドレスでも本当の名前、琴葉、櫻子と呼び合うようになっていた。
付き合い始めた最初は、うっかり誰かに画面を見られてもいいように、私は若葉、櫻子は櫻花、と呼び、呼ばれていた。
でも偽名だと、なんだか自分達じゃ無いような気分になってしまって、本名をつい使ってしまうようになった。
そして偽名を使うのはもう止めようと、2人で決めて、この4月からそうしている。
このメールアドレスも、メッセージそのものも、誰にも見られないようにより一層警戒して使っている。
必然的に、メールでやり取りするのは眠る直前の夜だけになってしまった。
その分、たとえ数分でも。
私は幸せでいっぱい。
幸せに満たされて私は眠りにつく。
また明日、櫻子に会えるんだから。
寄り添える時間が短くても、その短い時間いっぱいいっぱいを大切に2人のものにするんだ。
終わってしまっても、また明日を楽しみにするんだ。
「続きはまた明日」と、明日に楽しみが伸びていくんだから。
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