美しく胡散臭い道化師
それから私はどうなったかというと、アイザックの世話係になった。
アイザックもまた、敬称や堅苦しい言葉は不要だと言うから、その通りにしている。
そんなわけで、元の世界に帰る方法はないと言われてガツンとショックを受けた私は、吹っ切れるためにも翌日から働き始めた。
エヴァンダーやアレクサンドラさんは私を心配して止めてくれたけど――。
何もしないでいると不安に呑まれそうだから、反対を押し切ったのだった。
「アイザック、公演お疲れ様。すぐに化粧を落とすから、そこに座って」
「ありがと。よろしくね~」
私の仕事は、アイザックのメイクやヘアセット、衣装の手入れや、彼が過ごす天幕の掃除、スケジュールの管理と、みんなの食事の準備だ。
はっきり言って、アイザックのことは今も少し苦手で胡散臭いと思っているけれど、仕事と割り切って彼と向き合っている。
アイザックは初め、私が世話係になるというエヴァンダーの提案を聞いて、やや不服そうだった。
それでもエヴァンダーが説得すると、渋々と了承したのだ。
(はっきりと、嫌だと言えばいいのに……)
決して顔には出さないしはっきりとは言わないけれど、どことなく迷惑そうにしている。
それでも彼の世話係が私の仕事だから、私は自分の仕事をこなした。
エヴァンダーによると、
その理由は、アイザックがなんでも自分でしてしまうから。
だけどアイザックが体調を崩しがちだから、エヴァンダーはどうにかして、アイザックに世話係をつけさせたかったようだ。
そんな経緯でアイザックの体調管理を任された私が手始めにやったことは、彼の肌のメンテナンスだ。
アイザックは全く肌の手入れをしていなかったから見過ごせなかった。
公演が終わって、布でゴシゴシと顔を拭いている現場を目撃した時は、発狂しそうになったものだ。
「アイザック、パックを途中で外したらダメ!」
「でもね、コレつけていると冷たいし、ズレるから動きにくいんだよ~」
夜の公演が終わり、アイザックの天幕で彼のメイクを落とした私は、綿の布に化粧水を染み込ませたお手製パックを彼の顔につけた。
するとアイザックは、私が後ろを向いている隙に外そうとしたのだ。
「ほんの五分くらい辛抱してよ。今は若いから手入れをしなくても肌のきめが細やかだけど、化粧をしている以上、肌の手入れを怠ると後で泣きを見るんだからね!」
元の世界でお肌の曲がり角を実感して以来、血眼になってスキンケアを調べていた知識が、この世界で役に立っている。
アレクサンドラさんにも協力してもらい、この世界にある美容用の素材をやりくりして、保湿効果が高いパックや肌荒れに利くクリームを作った。
そうして完成した化粧品は、団員のお姉さま方が愛用してくれている。
(それに、思わぬ臨時収入をゲットできて嬉しい)
団員のお姉様方の肌がつやっつやと話題になり、公演を見に来た貴婦人たちがお姉様方に使っている化粧品を聞いたことがきっかけで、注文が入ったのだ。
これは商売になると思った私はエヴァンダーに相談して、この化粧品の作り方を信頼できる薬師に売ることにした。
その際にエヴァンダーが銀行に私の口座を作ってくれたから、薬師が化粧品を売る度に、その利益が少しだけ私の口座に入ってくるようになったのだ。
「終わるまで寝台で寝転がっていて。そうすればズレないし、本を読んでいられるよ?」
「ん。そうする」
ぽんぽんと寝台を叩いて誘導すると、アイザックはのろのろと立ち上がって、寝台に寝転がった。
その手には本が握られている。
(アイザックって、意外と読書家よね)
一回の公演だけでもかなり体力を消耗するけれど、稼ぎ時である休日は一日に三回もある日。
そんな日は、たいていの団員たちはさっと食事を済ませて寝てしまうのに、アイザックは寝ないで本を読んでいる。
(そう言えば、アイザックの天幕は夜の間中ずっと明かりがついているけど……ちゃんと寝ているのかな?)
少し気がかりになったものの、彼の楽しみを奪うわけにはいかないから、しばらく様子を見ることにした。
もしもアイザックが寝不足で眠そうにしている時は、注意しよう。
「アイザック、乾いた衣装をここに置いておくからね――あれ、寝てる?」
昼間に洗濯して干しておいた衣装を持って戻ってくると、アイザックは顔にパックをつけたまま眠っていた。
私はそっと、アイザックの顔につけていたパックを外す。
(寝顔は天使ね。ちっとも胡散臭さがない)
伏せられた白銀の睫毛は銀細工のように綺麗にカールしていて、彼の頬に繊細な影を落としている。
「……素直になればいいのに」
アイザックがどうしてあの笑みを貼り付けているのかはわからない。
だけど、彼がその笑みの下に本心を隠していることは知っている。
(時々、アイザックが昔の私と似ているように思えるのよね)
上手く言葉にはできないけれど、自分の本当の気持ちを押し殺している人は、なんとなくわかる。
かつて私がそうだったから――。
元の世界での出来事を思い出しそうになり、私は頭をぶんぶんと振ってその記憶を頭の隅に押し戻した。
今はまだ、思い出してはいけない。
元の世界への未練が捨てきれていないから、堪らず心が乱されるのだ。
「……布団、持ってこよう」
アイザックが布団の上で眠ってしまったせいで、かけてあげられない。
だから私は自分の天幕へ行って、私の布団を取りに行った。
***
天幕を出ると、酒瓶を片手に持ったエヴァンダーと会った。
「お疲れ、アイザックの世話は終わったか?」
「ううん。あともう少しで終わるところ。アイザックが布団の上で眠ってしまったから、私の布団を貸そうと思って……」
すると、なぜかエヴァンダーは目を瞠った。
手に持っている酒瓶を取り落としそうになっていたから、よほど驚いたらしい。
「アイザックが……寝たのか?」
「え? そうだけど?」
「そうか……寝たのか」
噛み締めるように呟くと、なぜかその緑色の目は私をまじまじと見つめる。
「アイザックはな、色々あって、眠れない体質なんだよ。だけど眠れたということは、レイが<彼岸の客人>として祝福を授けてくれたからなのだろうか?」
「ええと、ただ単に疲れていたからなんじゃない?」
「あいつはどんなに疲れていても、そう簡単に眠れないんだよ。だからいつも、本を読んで夜明けを待っているんだ」
「そう……なんだ」
あまり寝ていないとは思っていたけれど、まさか眠れない体質だとは思わなかった。
「それって、病気とか?」
「どちらかと言うと、呪いの類だな。もうずいぶんと長い間、苦しめられているよ」
「呪いを解くことはできないの?」
「普通の呪いなら、神官に頼めば解ける。だけどあいつにかけられた呪いは……魂にしみついた呪いだから、解けないんだ」
エヴァンダーはどこか自嘲気味な笑みを浮かべると、月を見上げた。
その目は月を見ているというより、遠い昔に想いを馳せているようだった。
「ところで、アイザックとは上手くやっているか?」
「うん……まあね」
ただ一人、アイザックを除いて――。
「あの笑顔が胡散臭くて、苦手で……」
「ははは、時々レイのように勘のいい奴がいて、そう言うんだよ」
エヴァンダーは手にしている酒瓶を開けて、ぐいと飲んだ。
蒸留酒らしい匂いがツンと鼻をつく。
「アイザックは昔、家族に裏切られて生死を彷徨ったことがあるんだよ。だから他人には本心を隠しているんだ」
「家族に……裏切られた?」
「詳しくは言えないけどよ、あいつは傷つきたくないから本心を隠しているだけなんだ。レイを裏切るような真似は絶対にしないと俺が保証するから、大目に見てやってくれ」
「うん……」
どんなことがあったのか気になるけれど、詳しくは聞けなかった。
こういうことは、本人が話したくなった時に聞かせてもらった方がいいに違いないから。
(いったい、何があったんだろう……)
エヴァンダーと別れた私は、手に持っている布団をぎゅっと抱きしめて、アイザックの天幕へと急いだ。
***
アイザックを起こしてしまわないよう、忍び足で天幕の中に入ると、苦しそうな呻き声が聞こえてきた。
見ると、アイザックが寝台の上で蹲り、苦しそうに呻いている。
顔色が悪く、額には汗をかいている。
「アイザック! どうしたの?! どこか痛いの?!」
「レ……イ……?」
慌てて呼びかけると、アイザックの瞼が持ち上がり、赤色の目が力なく動いて私を見た。
「……俺、寝てたんだ?」
「うん。ぐっすり眠っていたから、私の布団をかけようと思って、取りに行っていたんだけど……苦しそうな声が聞こえてきたから思わず声をかけてしまったわ。起こしてごめんね」
「いや、おかげで悪夢から覚めたから助かったよ。ありがと」
「体調は……どう?」
「大丈夫、悪夢に魘されていただけだから」
そうは言われても、蹲っていた姿を見てしまっただけに、大丈夫だとは思えなくて。
お節介かもしれないけれど、アイザックから離れたらいけない気がした。
「水はいる?」
「……もらおうかな」
「わかった。用意するから、待ってて」
私は
ついでにリンゴを兎のように切って皿に乗せ、水差しとグラスと一緒に運んだ。
幼い頃、悪夢を見て眠れなくなった私に、お母さんがリンゴを兎のように切ってくれたのを思い出したのだ。
この世界にも兎がいるから、きっとこの形状はわかってくれるはず。
そう思って用意したリンゴうさぎを、アイザックは興味津々で観察している。
一つ摘まんでは、様々な角度から眺めているのだ。
その間に私は体を拭く用の布と水を張った洗面器を用意して、アイザックの天幕に運んだ。
「レイ、このリンゴは君が切ったの?」
「そうだよ。リンゴうさぎ、可愛いでしょ?」
「うん。食べるのがもったいないね」
赤色の目を輝かせて見つめるアイザックの横顔は無邪気で。
(ちょっと、可愛いかも)
によによと笑っていると、アイザックと目が合う。
「食べないともっともったいないよ? これからはアイザックに出すリンゴは全部このカットにするから、安心して食べて?」
するとアイザックは微かに頬を赤くして、リンゴに噛りついた。
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