帰りたい

「え~っと、これは飛行機と言って、私たちの移動手段だよ。これで空を飛んで、遠い場所に行くの」

「大きな鉄の塊だね。これ、本当に空を飛ぶの?」

「うん、ちゃんと飛ぶよ」

 

 何から話すべきか迷った私は、一緒に転移したスマホを使いつつ、元の世界の話をした。

 

 もちろん、この世界では圏外だから、インターネットを使った検索はできないのだけれど。

 保存していた写真や、友だちと交換したチャットメッセージを見せながら、元の世界での生活をざっくりと話した。

 

 やはりスマホは珍しいようで、アイザックはまじまじと観察している。

 

「この道具、本当に便利だね。まるで魔導鏡みたい。魔導鏡よりもずっと便利だけど」

「そういえば、似ているかもね。魔導鏡の方が電気がいらないから、環境に優しくていいと思う」

「環境……か。俺たちはそういうことに全く関心を持っていなかったから、知らない間に壊していないか心配だな~」


 意外にもアイザックは、政治や経済や教育に興味があるようで。

 バンバンと質問してくるから、私は学校で学んだ知識を頼りに答えている。


「ねえ、レイって、元の世界では貴族だったの?」

「全然。一般家庭――平民と同じような環境で育ったよ?」

「ふ~ん……、それなのに政治も経済も学校で学べるのか。レイがいた国は教育水準が高いな。カルディアとは大違いだ」

「カルディアの教育はどんな感じなの?」

「まず、教育を受けられない国民もいる。貧民街に住む国民は教育を受けていない者がほとんどだ。内容も身分によってバラつきがある。貴族は政治や哲学も学べるけど、平民は魔法と読み書きと計算くらい……かな?」

「勉強にも身分差が影響しているんだね」

「ああ、身分のせいで多くの機会を失う国民が多い。カルディアの教育も、レイがいた世界のようになればいいのだけど。……きっと、王族が入れ替わらないと、そうならないのだろうね」


 一瞬だけ、アイザックの赤色の目の奥に、影が差した。

 諦めや絶望に似た感情が滲んでいるような表情。

 

 そんな彼を見ると、胸の奥がざわざわとして落ち着かなくなる。

 

「――おっと、いけない。こんなことを言っていたら、不敬罪で捕まってしまうね。俺が言っていたことは内緒にして?」

「わかった、墓場まで持って行く」

「ははっ、それは頼もしい」

 

 声を上げて笑うアイザックの表情が明るくなり、少し安堵した。

 だけど、垣間見てしまった彼の暗い表情が、頭の中から離れない。


(昔のことを、思い出したのかな?)

 

 エヴァンダーから教えてもらったアイザックの過去が、脳裏を過った。

 

 アイザックの顔をじっと見てしまったせいか、彼は私の視線に気付いて、小首を傾げる。

 

「レイ? どうしたの?」

「あ、ええと、ちょっと考え事をしていたの」

 

 意気地なしの私は、アイザックに昔のことを聞けなくて。

 慌ててスマホの画面を触って、彼に見せる画像を探した。


「次は何の話をしようかな……あ」

 

 突然、スマホの画面が真っ暗になった。

 電源ボタンを押してみたけれど、全く反応してくれない。


 とうとう電池が切れてしまったのだ。

 

「……あ~あ、もう使い物にならないなぁ」


 充電する電気もコードもないこの世界では、もう二度とこの画面に映像が表示されることはない。

 

 こうやって、少しずつ元の世界との繋がりを失っていくのだと思うと、やり場のない感情に苛まれる。

 

「家族や友だちの顔も、住んでいた場所も、好きだったものも、もう見られないんだ……」


 元の世界に帰れないのは、やはり辛い。

 

 吹っ切れようとしても、心は吹っ切れてくれなくて。

 決意と本心の間にある乖離が埋まらないせいで、苦しくて仕方がないのだ。

 

「どうして私が、この世界に連れて来られなきゃいけなかったの?」

「レイ……」

「私なんかじゃなくても、……良かったじゃん」

 

 この数日の間に抑えていた想いが、堰を切って溢れ出した。

 真っ暗になったスマホの画面の上に、ポタリと透明な水が落ちる。

 

「うっ……ううっ……ひっく……」


 嗚咽が止まらない私を見かねたのか、アイザックがハンカチを取り出して、手渡してくれた。


 涙を拭くために貸してくれたというのに、泣くので精一杯な私は、ただハンカチを握りしめることしかできなくて。

 

 そんな私を、アイザックはそっと抱きしめた。

 

 今の私は涙で化粧が落ちているから、かなり酷い顔になっていると思う。

 きっと私のせいで服が汚れるだろうに、アイザックは全く気に留めていない。

 それどころか、幼い子どもを慰めるように、私の頭を撫でてくれた。


「我慢しなくていい。魔法で防音結界を張ったから、言いたいことは全部言って。……大丈夫、俺以外の誰にも聞かれないから」

 

 優しい言葉に安心した私は、声を上げて泣いた。 

 盛大に泣いて、感情のまま喚き散らした。


 みっともない姿を晒している私に、アイザックは優しくて。

 落ち着いた声音で、相槌を打ち続けてくれた。

 

 ――それから、どれくらい経ったのかわからない。

 目が覚めると、私はベッドの上にいて。

 自分が泣き疲れて、寝落ちしてしまったのだと悟る。


「あ、あれ? ここって、私の天幕じゃない……?」

 

 いつも起きた時に見える風景とは違うし、顔を横に向けると、アイザックが頬杖をついてこちらを見ていて。

 

「おはよう、レイ。……まだ夜だけど」


 布団から外に出した手を、アイザックが握っていることに気づいて、慌てて離した。

 

「うっ……お、おはよ……。あの、色々と迷惑かけてごめん……」

 

 アイザックが寝かせてくれたのだとわかり、恥ずかしさのあまり、頬が熱くなる。

 気まずくなって俯くと、アイザックはまた笑った。


「レイ、俺の手を見ていて?」


 そう言い、空いている方の掌を私に向けてひらりと翻したその刹那。

 甘い香りが鼻先を掠めて、アイザックの手の中に真っ赤な薔薇の花が一輪現れた。


「すごい! 魔法みたい!」

「魔法みたいではなくて、正真正銘の魔法だよ」

 

 差し出されたその花を受け取ると、棘が綺麗に取り除かれている。

 

「これはお礼」

「え? 感謝してもらえるようなことはしてないんだけど? むしろ迷惑をかけたよ?」

「実は昨夜、レイが気持ちよさそうに寝ているのを見ていたら、つられて眠ってしまったんだけど……悪夢を見なかったんだ。悪夢を見ない夜なんて、十年ぶりくらいだよ。俺はいつも悪夢に魘されるから、眠れなかったんだ。きっと、レイが元の世界の話を聞かせてくれたおかげで悪夢を見なかったんだと思う。本当に、ありがとう」


 よほど嬉しかったのか、珍しくアイザックの声が弾んでいて。


(本当に、それだけで悪夢を見なくなるものなの?)

 

 全く身に覚えのないことに感謝されると、調子が狂う。


「もし必要なら、毎日話そうか?」

「本当? そうしてくれると助かる」

 

 こうして私は毎夜、アイザックに元の世界の話を聞いてもらうことになった。

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