第7話証言その7  山根 章男

ずいぶん久しぶりだね。君は変わらないね。中学卒業以来だから 30年以上振りか。わざわざ横浜まで御足労さまです。未だに車椅子生活でね。大概のことは、僕はヘルパーさんに頼んでいます。不便極まりないけどね。そらくんの件で、色々と訊き回っていると聞いたけど、今はジャーナリストか何か?事件の本質が知りたい?僕は宙くんとは、あれきり会ってもいないから、情報といっても当時のことしか小出しにできないと思うけど………あの小学校時代の悪夢でしかないんだけど、僕が4階のベランダから落ちたのは、宙くんは全く関係なくて、関係ないっていうのは変だな。確かにベランダの向こう側に渡って度胸試ししようよって言ってきたのは彼なんだけど、僕と彼はとても仲が良くて、覚えてるよね?登下校も一緒にしていたって。で、帰りに学校の塀の狭い通路を二人でサーカスみたいに渡ったりとかさ、彼の軍団たちと自転車鬼ごっことかやったよね?覚えていない?君もいたじゃないか。鬼は自転車にまたがって、逃亡者を轢いてもいいルール。今から考えると野蛮そのものだよね。彼はやはりカリスマがあったよ。僕が知る限りでは学年で一番。崎辺?あんなの比較になるもんか。あの渋谷の事件を起こしたから言ってるんじゃないよ。渋谷の事件にしたって、宙くんの本心でないことは僕は分かっているんだ。あの事件でたくさんの人の血が流れ、人が死に、たくさんの人生が壊れた………しかし渋谷大虐殺を生きた人たちの絶望も計り知れない。彼は、うーん、そうだなあ。新しい狂った神の悪の世界を創りたかったんだなあ。チープな言い方をするとね。今風に言うと彼の考えはエモいとか言われるんだろうね。覚えていないかな?皆で集団で徒党を組んで、濱田さんの実家の駄菓子屋を万引きした話。そうそう、『ショップはまだ』ね。もう潰れたでしょう?僕は落下事故のあと、すぐにコッチの方に引っ越してきたから………よく僕のこと覚えていたよね。SNSで知った?なるほど、僕は下半身不随状態になってから、そういった人たちを励ますコミュニティを作っていて、マメに更新してたからなあ。宙くんって飼育係だったんだ。僕と一緒に、お互いに小動物が好きだったから、校舎裏のうさぎ小屋で一緒に飼育していたよ。あるとき崎辺たちのグループがうさぎにちょっかいを出すのを見て、見かねた彼が崎辺の持っていた金属バットを奪って奴を追いかけ回したんです。もう殺すつもりだったのかなというくらいの勢いでした。衝動や欲望をコントロールできない資質だった気がする。あるいはメタ認知能力が弱かったのか。で、それから暫くして、君も知っての通り、うさぎのバラバラ解体殺害事件が起こった。あのときの宙くんの狂いっぷりったらもう担任の松林でさえも抑えきれなかったくらいで先生4人がかりくらいで、ようやく宙くんは大人しくなった。犯人は崎辺?そんなわけない。崎辺にそんな小動物をバラバラにするような度胸は無いよ。君も察しの通り、犯人はあいつだよ。宙くんは暴れ疲れたあと、校庭で呆然と座り込んで、声をあげて泣き続けた。呼気も乱れてきて身体もガタガタ震えて、意識は完全に飛んでいた。国の総理大臣が二度も襲われた昨今とはワケが違う。40年も前にこんな猟奇的な犯行をするやつがいたんだ。かん口令を慌てて出してたけど、昨今、猟奇殺人やら動物虐待やら、児童虐待等様々な物騒な事件があるよね。理由の無い殺人、意味の無い虐待、わけのわからない狂った犯罪………どれもこれも「動機」が読めないものばかりである。いや、犯人に言わせると動機はある、自白することもある、がとてもじゃないけれど一般常識からして『信じられない』理由であることが多いんだよ。僕がね、ベランダから落ちたとき、なんとなくなんだけど、そういった心の声みたいのが聞こえた気がした。彼の件に関しては、君も知っているはずだよね。僕はあの頃、唯一彼とは親しかった。それは僕もクラスの中では浮いた存在だったからだろうね。それと僕自身も母親一人で育てられて、K町の廃屋のようなアパート住まいだったこともある。K町が荒んだ地域だっていうのは有名な話だから、幸いそんなことではイジメは無かった。崎辺のバカみたいな調子乗りはいたけどね。ウサギの事件があって以来、宙くんは犯人探しをやめなかった………というよりは犯人が出てくるのをあえて待っていた。そしてようやく犯人を見かけたと言ってきた宙くんは、一目散に僕のクラスに駆け込んできて、犯人を一緒に捕らえようと言ってきた。あのベランダの向こう側に犯人がつたって逃げていった。宙くんはそう言った。僕は宙くんの言葉を信じたが、何しろ校舎の4階だ。下を眺めると足が竦んで、動けなかった。それをもどかしく思ったのか、彼は先にベランダの向こう側に移り、手すりを掴んでいた。まるでこうすれば大丈夫だよと僕に手本を見せるかのように。『もし、先生にバレたりしたら、度胸試ししようとしたって、言い切ろうな』宙くんは僕にそう言ってきた。僕がね、この話を他人にするのは君が初めてだ。僕はずっと、ずっと、40年近くも真実を隠し通してきた。彼が亡くなって、自分の中で何か終ったのだろうと思う。結果、犯人はいなかった。ベランダの向こう側に立つ僕の心臓はバクバクしていた。だんだんバクバクが行き場を無くすほどに大きくなり、不用意に口を開けようものなら、何らかの拍子で手を離してしまいそうなくらいに緊張感は増していた。そしてアイツを見つけた瞬間、一瞬安堵した僕は手を離してしまったんだ。アイツは、きっとアイツはまだほくそ笑んでいるよ。今回の事件でね。僕たちの唯一の誤算は、悪意を放ち続けるアイツを生かしてしまっていることだ。放っておくと第2第3の矢部 宙が誕生してしまうのを僕たちはただ黙って見ているだけになってしまう。アイツは今でも、敗者や弱者に自らの存在意義を認められるような材料を提供し続けているのだから。

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悪意の媒介 バンビ @bigban715

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