第12話 故郷の人々 3
ジャイばあさんはそう言ってスタスタと歩き出した。マルは慌てて後を追った。ジャイばあさんは小屋の裏に回って、扉を開いた。その向こうには、黒々とした豊かな黒髪を垂らした大柄な踊り子が、背中を向けて立っていた。
「シャールーン」
呼ばれて踊り子は振り返った。
……なんと彼女は逞しく、美しくなった事だろう! まるで大輪の花のようなあでやかな顔をマルに向けた。
「分かるかい。マルだよ」
シャールーンは頷いた。ロロおじさんのように大げさに驚いたりはしなかった。まるで彼がここに来る事を知っていたかのような、落ち着き払った様子でマルに微笑み返している。マルは、この美しい舞姫を前に言葉も無かった。沈黙のまま、二人はしばらく向かい合っていた。
先に動いたのはシャールーンの方だった。彼女はおもむろに傍の籠に寄ると蓋を開け、中から古いボロボロの紙を取り出した。それは紛れもなく、かつて自分がシャールーンにあてて書いた詩の数々だった。朱色の艶やかな唇から、言葉が漏れた。
「つらい時、いつもこれを読んでた」
「シャールーン! 口がきけるようになったんだね!」
マルは驚きの声を上げた。
「喋るったってごくたまにボソッボソッと喋るだけだよ。ミヌーはうるさすぎるし、この子は男の猟師みたいに無口だ。本当は中間がちょうどいいんだけど、そうはいかないもんだねえ。それよりこの子の踊りを見てやっておくれ。この子は踊りの方がよほど雄弁だ。あんたは昔、いつも小屋の裏から見てたね。今日は正面からしっかりと見てやっておくれ」
マルはジャイばあさんに案内されて、再び小屋の表に回り、中に入った。客席はかつてのように茣蓙ではなく、木の椅子がずらっと並べられている。ほぼすべての席が埋まっていたが、特に中央辺りを占めているカサン軍兵士数人の大きな体が目立った。ステージでは既に二人の芸人が掛け合い漫才をしている。
(ああ、あれはチコとユッコだ!)
マルはすぐにこの見世物小屋の看板芸人に気付いた。二人は本当は血は繋がっていないものの、まるで双子の姉と弟みたいにそっくりだ。揃って悪ガキでヤンチャで、マルは幼い頃よく二人にからかわれていたものだ。そんな二人のことがちょっぴり苦手だったけれども、二人の芸は間違い無く面白く、たくさん笑った。特に彼らが貴族様や役人、といった偉い人達を茶化す芸は本当に生き生きしていて楽しかった。今、ステージ上でユッコは白塗りにおちょぼ口、といった珍妙な化粧にキイキイ甲高い声を上げている。そんな相方を散々ぶん殴るチコ。その度に、客席からドッと笑いが起こり木の椅子はギイギイ音を立てる。
(ああ、きっとピッポニア人を茶化してるんだ)
カサン帝国の敵でありアジェンナの旧宗主国人であるピッポニア人は、ラジオドラマや映画や大衆小説でも散々揶揄の的になっている。マルはそんなお決まりのレパートリーを見る度にちょっぴり心がざわつく。今もまた、思わず自分のピッポニア的な顔をごしごしこすっていた。
その時、いきなり、誰かがムギュッとマルに体をくっつけるように座り込んだ。シンだ。そしてその隣にはミヌー。ミヌーはシンの腕に自分の腕をみっちり絡ませている。ミヌーはマルの目を見詰めながら言った。
「この人ったら面白いのよ! 変な事言ってからかってばっかり!」
「いやあ、だって君、本当に可愛いんだもん! 君の目は木の実のようだ! つまんで食べてしまいたい! それからこの褐色のえくぼ! キスしたら吸い付いて離れなくなっちゃう!」
ミヌー は口に手を当てて笑い声を立てた。
「偉い学校の生徒さんなのに全然そんな感じがしないのね。変な人! ねーえ、どうしてあなた達みたいな偉い人がわざわざこんな田舎に来たの?」
「やだなあ、おら、偉い人なんかじゃないよ。イボイボのマルだよ! イボが無くなって分かんないかもしれないけど! 学校を卒業して戻って来たんだ!」
「え!」
ミヌーはこの時不意に、困惑したような表情を見せた。マルもまた戸惑ったまま、数秒間ミヌーと沈黙を交わしていた。それを中断したのはジャイばあさんの声だった。
「さあ、さあ、もうじきあの子が出て来るよ。お前のその瞳に、しっかりあの子の姿を焼き付けとくといい」
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