第8話 故郷に向かう列車 8
その時、マルは背後から何かが迫り来る気配を感じて振り返った。
マルが目にしたのはとんでもない光景だった。何と、最後尾の三等車両の上にいた子供や若者達が次々とマルとシンのいる先頭車両に向かって押し寄せて来るのだ。
「みんなー! ダメー! 危ないから来ないでー!」
マルは声の限りに叫んだが、すっかり興奮した彼らの耳には届かない。先頭はイオとサニクだった。マルが乗っている石炭を積んだ車両に飛び乗るなり大声を張り上げた。
「天空霊が怒ってるんでしょ!? どうしたらいい? おら、何でもする!」
「おらも!」
さすがはナティの弟達だ。人面獅子を倒すため大活躍した姉に似て勇敢だ。
「天空霊は運転手を眠らせようとしている。だから今、シンが運転手を眠らせないよう声をかけてる!」
マルが言い終わらぬうちに再び天空霊の声が聞こえた。
「こいつらはもうまる一日も眠ってはおらん。しょせんは人間。眠らずにおれるものか! 眠れば人間が作った龍など鉄の道から外れて谷底に真っ逆さまじゃ! そうなりゃお前ら全員谷底で永遠の眠りにつくのじゃ!」
シンがサッと体を上げ、マルの方を振り返って見た。
「やべえぞっ! 操縦席に二人いるけど、半分眠りかけでどうしようもねえ! 俺が操縦を変わってやらあ! お前は出来るだけ大声で歌って起こせ!」
シンは大きくジャンプし、マルのすぐ横に着地すると、マルを再び背負い、運転手の乗っている車両の窓から中に飛び込んだ。
操縦席には二人の男がいたが、二人共大きく体を揺らしている。マルの口からとっさに歌が出た。英雄エデオンの物語の中で、魔物の呪いにかかり永遠の眠りにつきそうになったエデオンを、恋人のサフォ姫が目覚めさせようとする歌だ。
「起きなさい勇者エデオン あなたには するべき仕事がたんとある 選ばれし勇者のあなたよ目を開けて その手に剣の柄を手に 立ち上がる時が来たのです……」
しかし、眠りの魔力にかかった二人は目を覚まさない。マルは二人の体を交互に揺すり、もう一度始めから歌った。それしか出来る事は無かった。マルの歌声に重ねるようにして、列車の上の子供達が合唱を始めた。歌声は太い束となって響き渡った。恐らく列車に乗っている乗客すべてがこの歌を聞いている事だろう。
一方シンは、複雑な装置がたくさん付いた操縦席を見ながら、
「ええい! 一体何がどうなってんだ!? さっぱり分かんねえ!」
と癇癪を起した。操縦席は確かに、まるで生き物の臓器のように不気味で複雑極まりない。
マルが精一杯の声で歌を二回繰り返し終えたその時だった。二人の男のうち一人がパッと目を開いた。
(ああ良かった!)
男は驚いて言った。
(な、ななななんだ、お前は!)
「どうか、しっかり目を開けて! あなたは今眠りそうになってたんです!」
もう一人の男も目を覚ました。
「何だ、何だ? 一体どういうわけだ? 歌が聞こえるんだが?」
列車の上の大合唱はいまだに続いていた。少年達が、マルの歌った歌を再び繰り返している。二人の男もつられたように、やがて歌を口ずさみ、体を揺らし始めた。マルはすっかり嬉しくなった。
「一体どういう事だ? 今日の仕事は歌付きか?」
「そうですよ。この方が仕事もちっとは楽しいでしょ?」
とシン。
「社長がお前達をよこしたのか? あのケチな社長が俺らのために歌い手をよこすとは思えんのだが」
「むしろ社長には内緒にしてた方がいいでしょうね。それにしてもあんた達、随分こき使われてるみたいじゃないですか」
シンと二人の運転手の男達がこんなやり取りをしている間、マルは再び天空霊の声をはっきりと耳にした。
「ええい、忌々しい! イボだらけの足で泥の中をはいずり回っていたお前が人の作った龍に乗っていい気になりおって! だがその歌の力に免じて今回だけは許してやろう。しかしこれからも調子に乗るなら許さんぞ! 分かったな!」
マルは列車の窓から頭を出し、天を見上げた。雲間に現れていた金色に光る恐ろしい目はスーッとと閉じられ、さらに天を厚く覆っていた雲も柔らかく崩れて空の四方八方に散って行く。そしてみるみるうちに穏やかな空の色に変わって行った。
(良かった……天空霊が怒りを鎮めてくれた……)
マルは安堵のため息をつくと同時に、その場にへたり込んだ。列車の上の大合唱はいまだに続いていた。
「一体どういう事だ?」
いまだに事情が分かっていない運転手の男達は、目をキョトキョトさせながら互いに顔を見合わせた。
「あんた達、眠ってたからみんなで起こしてたんですよ!」
シンの言葉に、運転手達は慌てふためいた。
「眠ってた!? わしらが……?? た、頼む! どうかこの事は会社には言わねえでくれ! 首を切られる!」
「でもなあ、こんなでっかい恐ろしい物を操縦しながら眠るなんて大した度胸だな!」
「いやもう、それこそ寝る間も無く働かされてるもんで、つい眠気がやって来て、『これはまずい!』と思って目が覚める。こんな事はしょっちゅうだよ!」
列車の上の子供達は、天空霊が去って安堵したためか、歌うのをやめてお喋りを始めていた。窓の外では、一日じゅうアジェンナ国の大地を焦がし続けていた太陽がすでに休息の準備に入っている事を知らせる柔らかな茜色に包まれていた。マルは雄大な景色を見、窓の外から聞こえる子ども達のお喋りやシンと運転手達のやり取りを耳にしながら考えにふけった。
(天空霊は、なんで急に怒ったりしたんだろう? 列車はもう何年もこの土地を走っているっていうのに……それにしても、この運転手さん達、寝ないでこの仕事をしてるって言ってたな! だとしたら天空霊の呪いが無くたって、眠くなるに決まってるじゃないか! それに、天空霊はおらたちを守ってくれる存在のはず……)
マルはここまで考えてハッと思い至った。(天空霊は、あんな恐ろしい様子だったけれども、実は運転手が眠りかけている事をおら達に教えて、守ってくれたんじゃないか……?)
こう思ったとたん、マルの目にじわりと涙が溢れた。
「ありがとう! 天空霊!」
マルは、みるみるうちに藍色を増して行く空を見詰めながら言った。
「まったく、こんなでけえ化け物を眠りもしねえで動かそうなんて無茶だぜ。次の駅で停まったらひと眠りするんだな。その間俺が代わってやるよ。どうやって操縦するんだい!?」
「ハッハッハ、そりゃあ無理だ。あんたいい体つきしてるけれども、力じゃこれは動かせんからなあ」
シンに対し運転手は笑って答える。
「そうか? まあどっちにしても俺が社長に言ってやらあ。こんな無茶な働かせ方するんじゃねえって」
「ハッハッハ。そりゃあ無理だ。社長がお前さんのような若造の言う事をねえさ。聞くわけねえさ。たとえエリート学校の生徒だといってもな」
「社長がそんな悪人なら俺がやめさせてやる。俺はアジェンナの王子だからな」
「ハッハッハ! おめえ、面白い事言うねえ。さしずめアジェンナのお猿の国の王子ってとこじゃないかい?」
日が沈んで行くアジェンナの大地を駆けて行く列車の天井の上にも運転席にも、ついさっきまでの出来事が嘘のように、和やかな時間が流れて行く。絶え間無く話し続けるシンと運転手の後ろで、マルは空と大地混じり合い闇に包まれて行くのを見詰めていた。そして辺りが真っ暗になった後も、列車は闇を裁断する鋭い鋏のように、奥へ奥へと進んで行く。
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