***

「…………桜、綺麗ね」


 相変わらず、瞳花とうかの横顔は美しかった。その後ろでヒラヒラと花弁を落とす桜の存在感が薄れてしまうほど、私は見惚れていた。鬱っぽく呟く彼女の悲しい言葉さえ、私は愛おしいと思えてしまう。


「今日も来たの?」


 近頃、瞳花は作り笑いすらしなくなった。頬の筋肉は廃れて、少し茶色の混じっていた瞳はこれ以上ない灰色に染まっていた。花瓶の水を入れ替え、今日も色鮮やかな花を添える。白を基調とした殺風景な病室では、気分も滅入ってしまう。舞い散る桜と、この花だけが瞳花の世界に咲き誇る。


「ご飯、食べてないんでしょ? りんごでもどう?」


 そう言って真っ赤に熟れたりんごを差し出すと、瞳花は目を閉じて俯いた。直後、激しい風に乗せられて窓から桜の花弁が入り込んできた。


「……なんで来たの?」


 りんごを切る手が止まる。それが、私に向けての質問だと受け入れるのにかなりの時間を要した。辺りを見渡し、病室にいるのが私だけだと確認して、ようやく理解が追いつく。突然の質問に少し狼狽えつつも、私ははっきりと答えた。


「なんでって……そんなの決まって……」


「もうやめてよ!」


 私の言葉に被せるように、瞳花は声を荒らげる。普段は温厚な彼女は滅多に怒ることはない。まして、その感情が私に向けられたことなど今まで初めてだ。新しく目にする彼女の姿は必死で、庇護欲が掻き立てられる。思わず心臓がきゅっ、と締まった。


「私への、当て付けのつもり!? 毎日毎日綺麗な花なんか飾って……もううんざりなの! もう何も見たくないのよ!」


 子どもみたいにばたばたと手を振るわせて、目には涙を浮かべながら私に訴えかける。見たことの無い瞳花の情けない姿を目に焼きつける。私の知らない瞳花を知る度、得体の知れない感情が湧き上がる。


「ねぇ、瞳花」


 身動きの取れない瞳花ににじり寄る。全身を震わせて「来ないで」と弱々しく静止する声も私の耳には入らなかった。最後には声にならない声しか出ず、瞳花はまるで汚物に触れてしまったかのような表情を浮かべる。


「やめて……いや……」


「瞳花が悪いんだよ。こんなに可愛くて、こんなに優しくて、こんなに弱々しい……」


 私は、優しく瞳花を包み込んだ。耳元でうめき声が聞こえる。その時、私はようやく心の中で蠢いていた感情を理解した。ぐるぐると目眩がするほど私を狂わせるもの。


 


 瞳花のすべてを束縛したい。何もかも私のものにしたい。独占して、征服させたい。そんな歪んだ私の想い。


「桜なんて見ても辛いだけでしょ? だから、瞳花は私だけを見てればいいんだよ」


 桜は嫌いだ。瞳花はいつも褪色病に苦しんでるのに、薄っぺらい桃色で瞳花を悲しませる。私の飾る花だけあればいい。鮮やかで、華やかで、美しい。


「桜は見えなくても、私はずっと瞳花の手を握ってるよ。ずっとそばにいるよ。絶対離れないから」


「……私、ずっと言えなかったことがあるの」


「ん、いいよ。全部言って?」


 両腕を広げて、瞳花のすべてを受け入れる。胸に飛び込んで、私の服を濡らす姿がまた心を歪ませる。そんなことをされて、独り占めしたいと思わないわけがない。止まらない鼓動を抑えるために私の胸で丸まっている瞳花を抱きしめる。ひとしきり泣いたあと、彼女はハッキリとした声で言った。


「私、もう桜が見えないの」


 私の名前は「さくら」。褪色病を患う瞳花の親友。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

灰色の桜 Lilac @nako_115115

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る