第5話 古びた家で

 町に入ると狭い商店街の路地を抜け、小さなあばら家が並ぶ集落に入った。そのなかの古びた家の前に立つと、「ここだよ」と言い立ち止まった。どうやらシオンは裕福な暮らしをしていないようだ。今にも朽ち果てようとしている木材でできている一軒の家に立ち止まると、私に向かってこう言った。

「汚いところだけど、さあ入って」


 シオンが玄関のドアを開けると、ギーと何かが軋むような音がした。一歩中に入ると、狭い家にはシオン以外に誰かがいる様子はない。男性が一人暮らしをしているためか、物が乱雑に置かれている。ただ、その中に置かれている物たちは、一応整理整頓はされていて、不潔な感じはしなかった。私がぼんやりと立ち尽くしていると、「さあ、そこに座って」と小さなテーブルに備え付けてある椅子に案内された。

「今、お茶を入れるよ」

 シオンがそう言って台所に行こうとした時、私は立ち上がった。

「私が入れます」

 そして、彼の代わりに台所に立つ。

 お茶を入れるコップはすぐに見つかった。水道栓の横においてある棚にちょうど二つコップが伏せてあったのだ。お湯を沸かし、急須に茶葉を入れる。この茶葉がどのくらいの量で丁度いい濃さになるのか気になったが、あまり物事を深く考えすぎない私は、日頃の勘を信じておおよその量を入れてみた。


 急須にお湯を入れ、しばらく茶葉を蒸らした。時間の頃合いを見て、コップにお茶を注いだ。


 よかった。ちょうどいい色だ。


 私はちょっと緊張しながら、コップを二つお盆にのせると、テーブルへと持っていった。木製の椅子に座り、シオンと向かい合った。

「どうぞ、飲んでみて」

 シオンは繊細そうな細い指でコップを持ち、一口飲んだ。口に含み一呼吸置くと、彼は目を見開きながらこう言った。

「うん、おいしい! 僕が普段飲んでいるお茶とはまったく別のものだ。このお茶はこんなに美味しかったんだ!」

 シオンのそんな言葉を聞くと、ほんのひと時だが自分たちが命を狙われているという緊張感から開放された。


 ただのお茶をこんなに美味しいと言ってくれるなんて、この人は今までどんな味のお茶を自分で入れていたのだろうか。

 そう考えると、なんだかおかしくなってきたのだ。


 私たちが熱いお茶をすすりながら、一息ついたところで気になっていることを聞いてみた。

「ねえシオン、あなたは私と会った時、私の名前を知っていたわよね。どうして知っていたの?」

「うん」

 シオンはあのときと同じように言いよどんでいたが、もう一口お茶をすすると、ゆっくりと話しだした。

「実は僕、貴族に憧れていて、日頃から貴族年鑑を読むのが趣味なんだ。だから、ピティエのことも写真で見て知っていたんだよ」

「えっ? あなた、貴族に憧れているの? あなたを見ていると、上流階級なんか興味ないように見えるけど」

「そうかい? でもこう見えても僕は貴族オタクなんだよ。なんなら公爵家の名前を順に言っていこうか?」

 そう言ってシオンは実際に何名かの公爵の名前を上げはじめ、その人たちの特徴を語りだした。その言葉を聞く限り、庶民上がりの私なんかより、ずっと多くのことをシオンは知っていた。


「驚いた。本当に貴族オタクだったのね」

「信じてもらえたかい」

 シオンはそう言うと、あらためて優しい目を私に向けてきた。

「だから、第二王子であるホーハイトのこともよく知っているし、彼の婚約者であるピティエのこともよく知っているというわけさ」

「そうだったのね」

 そう相槌を打つと、私はすぐにシオンの言葉を訂正したくなった。


「ただ、私はもうホーハイトの婚約者ではないの。昨日、婚約破棄をされたところなの」

「昨日婚約破棄され、今日、命を狙われたということ?」

「そうです。ホーハイトの計画では、私はもう死んでいて、シオンを殺した犯人は私だということになっていたのだと思います」

「本当にそんなことを仕組んでいるのなら、ホーハイトは恐ろしい男だ。あの男は、君を殺人者にするために婚約したわけだから」


 そんな会話をしていると、またしても自分が命を狙われてしまっている危険な存在だと思い知らされてしまう。そして、なんだか暗い気持ちになってきた。そんな気持ちを少しでも和らげるためにはどうしたらいいのだろうと考えた結果、私の中で一つの結論が導き出された。


「ねえ、ここに何か食材はある?」

「えっ? ちょっとした野菜ならあるけど」

「お肉は?」

「うん、ベーコンが少し」

「じゃあ、今から私、料理をしてもいいかしら」


 何か不安なことがあるときは、熱中できることをすればいい。そうすれば、少なくともその間だけは不安を忘れることができるから。そう考えた私は、大好きな料理をすることにしたのだ。普通にお茶を入れただけであんなに美味しいと言ってくれたシオンは、おそらく料理もからきし苦手だろうし。


 保管庫を覗くと、じゃがいもと玉ねぎ、あと人参やブロッコリーの姿もあった。

 基本的な野菜はなんとか揃っているわ。

 それに冷暗室にはベーコンのかたまりが置いてある。

 私は嬉しくなって、今頭に浮かんできた料理名をシオンに伝えた。

「ポトフを作るわ」

「な、なんだいポトフって?」

「ポトフを知らないの?」

 正直、信じられない気持ちになったが、男性という生き物は料理名など全く興味がないのかもしれないと思い直した。

「料理を見たらきっと食べたことがあると分かるはずだわ。楽しみに待っていて、腕によりをかけるから」


 切れない包丁を使い、じゃがいもの皮を面取りしながらむいていく。人参は煮込む時間も考えて、細めにカットする。塩コショウだけでは味が頼りないので、保管庫の奥に眠っていたキノコを出汁に使ってみた。あとは野菜本来の旨味とベーコンがミックスされて、ちゃんとした味になるはずである。

 鍋を一時間も煮込むと、温かくて美味しい空気が部屋中に充満し始めてきた。

「ものすごく美味しそうなにおいがするね。もうお腹が空いてどうにかなりそうだよ」

 シオンは冗談っぽく笑いながらそんなことを言ってきた。

 保管庫から黒パンを取り出し、テーブルに置く。出来上がったポトフをお玉ですくい、お皿に盛った。


「さあ、召し上がれ」

 私はドキドキしながらシオンを見る。

 どんな反応をしてくれるのだろうか。料理名もあまり知らないシオンは、きっと食事に対して無頓着で、何の感動もなく淡々と食べてしまうのかもしれない。

 シオンがスープをスプーンですくい、口に含む。しばらく、味を確かめるようにじっと黙っている。

 私は、緊張して彼の様子を伺っていた。


「おいしい」

 シオンは静かに言った。

「こう見えても、僕の舌はものすごく肥えているんだ。その僕が言うんだから間違いない。ピティエは料理の才能があるよ」

「そう、ありがとう」

 嬉しくなった私は冗談交じりでこう付け加えた。

「あなたの舌が肥えているなんてとても信じられないけど、お世辞でも喜んでくれると私も幸せな気分になるわ。ありがとう」

「お世辞なんかではないよ。ポトフ、おかわりあるの?」

「もちろん」

 多めに作っておいて正解だった。たくさん残ってしまい、食材を無駄にしてしまったらどうしようと不安になっていたが、そんな心配は杞憂に終わった。

 彼は二回もおかわりし、鍋の中はすっかり空っぽになってしまったのだ。


「あー、お腹いっぱいだ。でも、気がつけば僕ばかり食べてしまったね。ピティエはちゃんと食べられた?」

「大丈夫。私もお腹いっぱい食べたわ。こうして料理して、喜んで食べてくれる人がいると、なんだか心配事も忘れさせてくれるわ」

 その言葉を聞いたシオンは真剣な表情になり、優しい目を私に向けた。

「今日は、いろいろ大変なことがあったね。ピティエは疲れをとらなければならないよ。今日は早く寝て、明日に備えよう」

「ええ」


 私はそう返事をしたが、ちゃんと眠れるかどうか自信がなかった。命が狙われているという心配事がある中で、慣れない環境で男の人と一緒の部屋。でも昨日は一睡もできていないのだから、無理にでも眠らないと身体を壊してしまうかもしれない。


 横になっているだけでも疲れはとれると聞いたことがある。今は体も心も休めることが大事だわ。


 シオンは一つしかないベッドを私に使わせた。そして自分は離れた入口付近の床に布団を敷きこんなことを言ったのだ。

「ピティエ、男が近くにいて眠りにくいかもしれないけど、僕は絶対に変な気を起こさないから、安心して眠ってね」

「うん。ありがとう」

「あと、僕のいびきがうるさかったらごめん。それは先に謝っておく」

「わかった。いびきを子守唄だと思って眠ることにするわ」

 そんな会話をしたのち、シオンは部屋の明かりを消した。そして、私たちは、小さな一つの部屋で、一緒に寝ることになったのだった。


 目をつぶり、眠ろうとするが、そう簡単にはいかない。いつ、またホーハイトが命を狙ってくるとも限らない。

 シオンは眠ったのだろうか。先ほどから静かに横になっている。

 不安でいっぱいになっている私は、思わず口を開いた。

「ねえ、シオン」

「なんだい?」

 シオンも眠れていなかったようで、時間を置かずに返事がきた。

「私、怖い。怖くて眠れない」

「だいじょうぶだ」

 シオンはすぐにそう返事をした。

「この場所は誰にも知られていないから。それに、万が一誰かが襲ってきても、僕がこうして玄関側で見張りをしながら寝ているので、ピティエは何も考えずに寝ていたらいい」

「……ええ」


 シオンの言葉からは、私を安心させようとする心づかいが見て取れて、嬉しく思えた。実際には見張りなんて役に立ちそうではないような気もしたが、そういう意図で彼が玄関側にいてくれていることが分かり、ホッとした気持ちにはなった。


「君のおかげで、ホーハイトが僕たちの命を狙っていると分かった。逃げてばかりもいられないので、明日は王宮に乗り込んでみようと思っているんだ」

「えっ?」

 私は思わず声を高めた。

「王宮なんて、そんな簡単に入れるところではないわ。ましてやホーハイトは第二王子よ。いくら向こうに非があっても、ただの貴族オタクのあなたなど相手にされないし、簡単に捕らえられてしまうだけよ」


「いや、大丈夫だよ」

 なぜかシオンは平然と答えた。

「明日は、ホーハイトが僕の命を狙っていることを国王に進言するつもりだ。だから、ピティエ、君は証人として僕と一緒に王宮に付いてきてくれないか」

「私が?」

「怖いだろうけど、君を悪いようにはしない。僕を信用してほしい」


 どこから、そんな自信めいた言葉が出てくるのだろうか。不思議に思ったが、私は物事を理屈ではなく感覚で判断してしまうところがある。なんとなくだが、シオンの強い意志が感じられる言葉に、自然とこんな返事をしていた。

「いいわ。どうせこのままホーハイトから逃げ続けていても、いつかは殺されてしまうだけだから。明日、あなたと一緒に王宮に行ってみるわ」

「うん。そうと決まったら、今日はもうゆっくりと寝よう」


 その言葉を聞き、私は話すことを止め、目をつぶりじっとしていた。今、シオンが話した内容が頭の中に浮かんでくる。しかし、昨日は一睡もできなかったからだろう。不安な気持ちが和らいでいくと、いつの間にか私の頭の中には、何も関係のない風景が浮かんできたのだった。そして、気が付いた時には、もう窓から明るい光が入り込んできていた。

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