第3話 パラディスの森

 自宅の小さな部屋に戻っても、私の気持ちが落ち着くことはなかった。


 ホーハイトの恐ろしい計画を知ってしまった私は、罪人として処刑されてしまうのだろうか。


 そんな不安が渦を巻くように頭の中を駆け巡っていった。このまま他国へ逃げたほうが良いのでは。そう思ったが、逃げる前に国境で捕らえられるのがおちである。

 何の解決策も見つからぬまま、時間だけが過ぎていく。とりあえず寝て身体を休める必要がある、そう思った私は、固い安物のベッドに身を横たえた。


 暗闇の中、じっと目をつぶるが、なかなか眠ることができなかった。血相を変えて怒鳴り散らしてきたホーハイトの顔がずっと目に浮かんできた。「ただでは済むと思うな!」という言葉が何度も繰り返し聞こえてきた。

 結局、一睡も出来ぬまま、窓の外が明るくなった時だった。突然、目の前の空間が歪み、そこから魔法郵便の紙が現れた。魔法郵便とは魔法使い同士で交わされる、異空間を使った伝達手段の一つだった。


 私は空中に浮かぶ仮想の紙を手に取り、二つに折りたたまれている用紙を広げてみた。そこにはこう記されていた。

『今すぐパラディスの森に行け。もし行かぬなら、お前の命は無いものと思え』

 パラディスの森とはここからそう遠くない小さな森だ。特に危険な野生動物もおらず、山菜などが採れる比較的安全な場所でもある。


 そんなところに行けとはどういうことだろう?

 森に行くと、何か罠が仕掛けられていて、私にとってとてつもなく悪いことが起こるのでは。


 私はそう思ったが、かといって行かぬなら命はないと記されている。しばらくどうすればいいのか考えていたが、長く考えている猶予もない。結局私は魔法郵便に書かれている通り、パラディスの森に向かうことにした。


 まだ早朝の空はどんよりと曇り、重たい空気で満たされていた。いつもはきれいな鳴き声を聞かせてくれる小鳥たちも、今日はその姿も見せずにいる。

 ただ、今の私には、外の風景を観察する余裕はなかった。頭をめぐらしていることといえば、これからどんなことがおこるのだろうという不安しかない。


 きっとこれはホーハイトが仕組んでいることに間違いない。けれどどうすればいいというのだ。自分を守るため、私は今何ができるのだろうか?


 そう考えながら足を進めた。すると、太陽がまだ午前中の柔らかい光を放っている間に、私はパラディスの森に到着したのだった。

 ここから先のことは何も記されていなかった。何をすればいいのか思いあぐねていると、森の奥から人の声が聞こえてきた。男性の叫び声で、かなり切迫しているように聞こえた。


 何か物騒なことが起こっているかもしれないが、森の中に飛び込んでいけるはずもなく、固まったようにじっとしていると、森の中から一人の男性が飛び出してきた。

「危ない! 逃げるんだ!」

 男性は私に向かってそう声をあげた。

「どうされたのですか?」

「魔族だ、魔人が現れた!」

 魔人! 安全といわれているパラディスの森にどうして魔人が……。

 私はそう思いながらも、男性の指示通りここから逃げようと身体を反転させた時だった。

 逃げ道を塞ぐように、目の前に一つの物体が現れた。

 黒い炎のようにゆらゆらと揺れた人型の物体、目は凶暴に赤く輝きこちらを見つめている。間違いなかった、そこにいるのは魔界から侵入してきた魔人だった。

 森から走り逃げてきた男性も私の横で立ち止まり、魔人に道を塞がれどうすることも出来ない様子である。

「すまない、君を巻き込んでしまった」

 男性は、私に言った。

「相手は魔人だ。成功する確率は低いが、僕が魔人を引き付けてみる。その間に君は逃げてくれ」

「そんな」

 私は頭が真っ白になってしまい、どうすればいいのか何もわからなくなってしまった。

「人間では魔人に勝てない。魔人を倒せるのは同じ魔族くらいなものだ。僕がやつを引き付ける。その間に……」

「待ってください」

 男性が動き出そうとしたその時、私はとっさに叫んだ。

「私に試させてください」

「試す? どういうことだ?」

 男性は私を見て首を傾げた。

「説明は後でします。一か八かやってみます」

 私はそう早口で話すと、両手を合わせ魔術を行う準備をした。

 成功する可能性は果てしなく低いが、決してゼロではない。どうせ駄目なのなら、最後にやってみてもいいはずだ。

 足下に魔法陣を張ると、雪の結晶のような模様が地面に広がった。


 お願い、成功して!


 そうなのだ。私は今、『魔族召喚術』を行おうとしているのだ。人間は魔族を倒すことなどできない。魔族を倒すとすれば、下僕となる別の魔族を呼び出して倒すしか無いと考えたのだ。


 幾何学的な文様の魔法陣が青白く輝き始める。

「コルトウマリロージャ・エルブレムロイタージン・ロッソサブタージ!」

 呪文を唱え、合わせた両手を魔法陣の先に向かって突き出した。

「召喚せよ! 我が下僕となる魔の国の者よ!」


 私は声を張り上げた。しかし、新たに魔族が出現する様子はない。

 目の前にいる黒く揺れる魔人がじわじわと私たちに近づいてくる。今はこうしてゆっくりと動いている魔人だが、その動きは人間の何倍も素早い。この状況から逃げ出すことは不可能だった。


 もうここで死ぬしかないのだわ。


 目の前の黒い物体の揺らめく炎が一瞬マントを広げたように大きくなり、私たちを飲み込もうとした。

「うっ」

 隣りにいる男性が短く声をあげたその時だった。

 白い光を放つ何かが、襲いかかる魔人の前に出現した。そして何が起こっているのか考える間もなく、白く光る物体が黒い魔人を一瞬にして二つに切り裂いたのだった。


 どういうことなのかは理解できなかったが、私たちに襲いかかってきていた黒い魔人の姿はもうない。その代わりに新たに出現した白く光る人の形をした物体が目の前にある。

 私が混乱している中、炎のように揺れる人の形をした物体がこちらを向いた。黄色く光る鋭い視線がこちらに向けられている。

「ご主人さまの仰せによりやってまいりました。ヘレーロと申します」


 ご主人さま? ということは……。


 やっと私の頭が回りはじめた。

「あなたは、私が召喚した魔人なの?」

「はい。その通りでございます」

「今、私たちを襲ってきた黒い魔人はどうなったの?」

「ご主人様の危機だと思い、私めが抹殺しました」

 抹殺……。

 魔人ヘレーロから出てきた抹殺という激しい言葉に一瞬ひるんだが、それでも命を救ってくれたことに違いはない。

「ヘレーロ、ありがとう。あなたのおかげでたすかったわ」

「もったいないお言葉、ありがとうございます」

 そう述べたヘレーロは、その場でスッと姿を消した。魔族召喚は、その完成度によって魔族の出現する時間が決まってくる。このように早く姿を消したということは、私の術の完成度が低かったということだ。しかし、そんなことはどうでもいい。今まで全く使えなくなってしまった魔族召喚術が、この絶体絶命の状況で、見事成功したのだ。私はその奇跡のような現実を、まだ完全には受け入れることができずにいた。


 一連の様子を横で見ていた男性は、目を丸くしながら私にたずねてきた。

「これは、いったい……、どういうことなんだ?」

 男性は混乱しているのだろう。首を横に振りながらつぶやくように言葉を吐き出した。

「さっきの魔人はどうして僕たちを助けてくれたのだ? あの魔人はどうして僕たちを襲ってこなかったのだ?」

 私は、男性にことの成り行きを説明しなければと思い、急いでこう答えた。

「あの魔人は私の下僕です。魔族召喚術で呼び出した魔族なのです」

「魔族召喚術? 君はそんなすごい魔法が使えるのか?」

「いえ普段は成功しない術なのですが、今日はなぜかたまたま上手く使えたのです」

 私がそう話した時、私の視界の隅に一人の女性の姿が映り込んだ。その女性は、私たちの姿を確認した後、クルッと背中を向けて逃げるように走り去っていった。


 あの女性、どこかで見たような……。


 そう思ったが、遠くから見たこともあって女性が誰だかはっきりとは分からなかった。ただ、どうしてこんな場所に女性がいるのだろうかと気にはなった。

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