6.愛の鞭をっ!

 男女おおよそ一生の問題をけた真剣勝負も、後半戦に入った。くじ引きのが減るごとに、涅槃ねはんに近づくような法師ほうし解脱げだつっぷりが、本筋を横に置いて痛々しい。


 十六歳の六女、栞姫しおりひめが引いた文字はしん犬飼いぬかい現八げんぱちたまの文字だ。


 闊達かったつ城之戸姫きのとひめ、勝ち気な竹野姫たけのひめらが、せめて姫の範疇はんちゅうに収まっているのに対して、この栞姫しおりひめは怖いもの知らずの向こう見ず、思い立ったが胴丸鎧どうまるよろい大薙刀おおなぎなたで、関東大戦では犬士たちの後ろについて何度も出陣しかける始末だった。


 そんな栞姫しおりひめが、の文字を凝視して、満面をしゅに染めた。


 お相手の現八げんぱち精悍無比せいかんむひの二十六歳、剣術、槍術、弓術、十手術じゅってじゅつ組討術くみうちじゅつ武芸諸般ぶげいしょはんに通じ、世に名高い芳流閣ほうりゅうかくの決闘を同じ八犬士の犬塚いぬづか信乃しのと繰り広げた、当代一をうたわれる武人だった。


 栞姫しおりひめも、特別に師とあおいで、なんやかやと指南をねだっていた。大抵、悪気もなく抜き身の太刀で斬りかかってくるので、現八げんぱちの方は辟易へきえきしたものだったが。


「お、おお、お師匠さま! これからも、その、よ、よろしくお願い致します!」


「おう。おまえが嫁ってのも、なんか妙な感じだが……まあ、良い機会だ。ちょっとは、おとなしくなってくれよ?」


 現八げんぱち牡丹ぼたんのあざは、右のほおにある。顔立ちのりの深さも手伝って、凄絶せいぜつそうだが、それだけに笑うと、なんともたまらない愛嬌あいきょうがあった。


 水縹色みなはだいろ大袖おおそでが乱れるのも思わず知らず、栞姫しおりひめが立ち上がる。しゅを過ぎてまっ赤な顔も文字通りの、仁王立ちだ。


「はいっ! 武の道も、ますます精進を致しますっ!」


「いや、だからな……」


「も、もも、もちろん! 夜の道も精進いた、致しますれば、ねやの中でもよろしく御指導の、あ、愛のむちをっ!」


「でっけぇ声でなに言ってやがるっ! そういうところだぞ、暴走娘っ!」


 さすがに、この満座まんざ拳骨げんこつを落とすわけにもいかない。


 感極かんきわまって、四十八手の独学修行っぷりまでアピールし始める栞姫しおりひめに、当代一をうたわれたはずの武人が、右に左に翻弄ほんろうされていた。


 いいかげん、あちこち騒がしくなってきた大広間で、続く十六歳の七女、小波姫おなみひめの文字を引いた。若干二十歳、女性と見紛みまが繊細せんさいな美男子の、犬坂いぬさか毛野けのたまの文字だ。


「まあ、毛野けのさま……! あら、まあ……!」


「ぼくのお嫁さんは、小波姫おなみひめですか。嬉しいです。末長く、仲良くしていきましょうね」


 毛野けのが、小波姫おなみひめ微笑ほほえみかける。花の咲き誇るような絢爛けんらんさだ。


 実際、女装で正体を隠して、一族のかたきを追っていた毛野けのを、誰一人として疑う者はいなかった。それどころか、後に八犬士のきずなを結ぶことになる犬田いぬた小文吾こぶんごに至っては、初対面で結婚の約束まで口にしている。


 小波姫おなみひめほおが、ぽうっと紅潮こうちょうして、瑠璃色るりいろ大袖おおそでに、ぽ、ぽ、と涙ではないしずくが落ちた。


「では、私と小文吾こぶんごさまは、竿姉妹さおしまいということになるのでしょうか……それとも穴兄弟あなきょうだい心太ところてん……?」


「まず、鼻血をふきましょうか。それから、いろいろおかしいので、ゆっくり話し合いましょうね」


「筆がはかどりますわ……!」


 曲手くるわで真琴まこと筆名ひつめい小波姫おなみひめが執筆、滝田城たきだじょうの有志が刊行している大河武芸愛憎浪漫『八輪の牡丹ぼたん』は、安房一園あわいちえんの、おもに婦女子にベストセラーを記録している。二十巻を超えてなお勢いを増し、最近では隣国からも受注、物語の舞台となる滝田城下町たきだじょうかまちが観光スポットになっている、らしい。


 ちなみに小文吾こぶんごのへたれ攻め×毛野けのの誘い受けが鉄板、現八げんぱち×信乃しの×壮助そうすけただれた三角関係、道節どうせつ×大角だいかくが危ういプラトニックで、異論は認められている。


 残る八女の、十五歳の弟姫いろとひめが、二本のの片方を引く。文字はていで、小波姫おなみひめになんだか複雑な認識をされている、犬田いぬた小文吾こぶんごたまの文字だ。


 松葉色まつばいろ大袖おおそでも少し持て余し気味な、小柄な末娘の弟姫いろとひめに対して、小文吾こぶんごは十と一つも上の二十六歳、力士もかくやという筋骨隆々きんこつりゅうりゅうの大男だ。人好ひとずきのする童顔で、戸惑とまどったように頭をかく。


「いや、これは、参りましたな」


「そんなことない……大きい人、好き」


 弟姫いろとひめが、小文吾こぶんごに歩み寄る。座っている小文吾こぶんごと、目の高さが、ほとんど同じだった。


「……抱っこ、して」


 ことさら、幼なげな態度で甘える弟姫いろとひめに、小文吾こぶんごも観念して相合そうごうくずす。


「かしこまりました、我が姫さま」


 小文吾こぶんご弟姫いろとひめを抱き上げて、立った。


 弟姫いろとひめの頭が、大広間の天井に触れんばかりだ。見慣れたはずの犬士たちまでが、小さく感嘆の息をもらしたほどの、神話の建速須佐之男命たけはやすさのおのみことを思わせる堂々さだ。


 この巨軀きょくで、関東大戦では行徳口を鉄壁に守り、押し寄せる攻め手のだたる豪傑ごうけつたちを、一騎討ちでことごとく倒している。


 七人の姉たちも、ほころぶような笑顔で、弟姫いろとひめを見上げる。弟姫いろとひめが、にやりと悪い顔になった。


「お姉さまたちが、みんな下にいる……ふふ……私が、一番……!」


 間髪入れず、沸点の低い竹野姫たけのひめ栞姫しおりひめがいきり立った。


「ちょ、ちょっと、なに言ってんのよ! それなら、あたしだって! ほら道節どうせつ、肩車っ!」


「お師匠さま! 上に、乗せてください! 僭越せんえつながら、その、お頭に、ま、またがらせて……っ!」


「「よさねえかっ!!」」


 大袖おおそでどころか腰巻こしまきすそもたくし上げて、まっ白い太腿ふとももをあらわにする近い将来の嫁たちに、道節どうせつ現八げんぱちの異口同音の突っ込みが落ちた。


「おー! それじゃあ、私たちが……」


「もちろん、駄目だぞ」


 城之戸姫きのとひめのノリは、思考も呼吸も完璧に読んだ壮助そうすけに、あっけなく機先を制されていた。


 こうして八本のの、七本が引かれて、冷静に考えれば無駄に運命をけた大抽選会だいちゅうせんかいが幕を下ろした。


 最後に残ったの文字は、じんだ。


 長女の配慮で妹たちに選択の機会をゆずった、十九才の静峯姫しずおひめのお相手は、十歳の少年犬士、犬江いぬえ親兵衛しんべえだ。

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