十話 新釈 奥の細道 曾良の、息抜きの段
この河合曾良なくしては、芭蕉の旅は成りいかなかったのでは。
芭蕉門下十哲の一人、また深川八貧の一人でもある。真心の人である。
信州は上諏訪の酒蔵に生を受け、六才にて両親を亡くす。
長男なれど養父母へ引き取られ、またまた十二にして二人を亡くすことに。
その後、伊勢は長島へ行く、やがて三十を過ぎて江戸へと出る。
神道、地誌、国学、和歌に興味を持つ、それで芭蕉の元へと繋がる。
芭蕉曰く、「性隠閑を好む、交金を断つ」とある。
これは何を意味するのか、また貧しかった、生涯一人者か。
曾良にとっては芭蕉が救いだった。俳諧、生きるよすがとした。
旅の同行に選ばれて心底喜んだ、師匠に尽くし支えようと。
前もって、名所備忘録をしたため、西行ゆかりの地などを記す。
道中では僧衣を纏い、まるで影のように師の後をゆく。我は影にと。
句を残しながら、随行記に事細かに足取りを書き連ねる。
その中に一か所、別にて街道を進むの段あり、出羽国温海宿に泊まった後よ。
このまま羽州浜街道を下り越後へと向かうとき、二手に分かれた。
奥州三関の一つ、鼠ヶ関を先に越えたは芭蕉のみか、二人してなのかは定かならず。
芭蕉は馬で向かい、義経伝説の地を見ての海沿いを辿る。
では曾良はと言えば、山に向かいて温海温泉によってからの鼠ヶ関。何があったのか。
芭蕉とのやり取りが、聞こえて来ようぞ……
芭蕉「おい曾良や、道中難儀をかけてすまんのう。ここらで息抜きとせぬか」
「わしは、海沿いを馬で進み、義経が跡の地を見てからの鼠ヶ関とする」
「お前は、山を越え、ちょうど温泉場がある、温海温泉によってからや」
曾良「はあ、それはええですども、師匠さんも温泉につかったらええのに」
芭蕉「あのな、お前は真面目は良し、なれど心に油させ。遊んで来ぬか」
曾良「そげなこつ言うても、不向きにて所作も知らず、まして女心はわからず」
「いつまでも湯に浸かって、酒飲むのが関の山、それで充分にて」
芭蕉「温泉場には女が付きものゆえ、これも風流と心得て一句作ってこんか」
曾良「こいも風流、一句ですかな。それならばわかり申した、何が何でも作って来ますぞ」
芭蕉「うむ、それがよかろう。では、夕刻には越後の中村宿で会おうぞ」
曾良「はあ、そういたしましょう。では、ご無事で……」
我らが曾良は、人擦れしていないのである。
幼少期から点々としており、人の情を良くと知らずなり、まして女心をや。
芭蕉翁の粋な計らいで、温泉場に半ば送り込まれたけれども、はたと困った。
湯女が出て来たら、どげにしよう。まして僧ではないが、僧衣である。
向こうは僧と思うのではないか、いや、たとえ僧でも引き込むか。
ままよ、まあこれわからずだが、これも句の為、いざ温泉場へ……
曾良「おいや、旅のもんだども、湯に浸からせてはくれぬか」
湯女「これはお坊様、よくと来てくだされたのう、ささっ、入れって」
曾良「この温海温泉は鄙びた場であるな、湯治がたんと来るかいや?」
湯女「そらな、男衆が鶴岡や酒田から来てな、骨休みとか、ええこつしてるど」
曾良「そう、ええこつとは、これ如何に?」
湯女「垢落としだべさ、そこらじゅうの垢さ落としてな、やけに元気んなんだ」
「ワテらはのう、それこそ骨抜きんして、宿から出れんようにすんのや」
「そんで稼ぐ、泊まりを長引かせてな、ふらふらんなって帰るのもおっぞ」
「でな、味しめてな、また来たくなんだ、男ってそんなもんだなや」
曾良「拙僧は、あっ、いやいや僧ではないんだが、まあ、それみたいなもの」
「では、よしなに垢落としをお頼みいたす。おまかせします」
湯女「おお、そんでええ。じゃ、そこさ脱いで湯屋へ来い、ふらふらんしたる」
曾良「あ、うん、よしなに……」
かたや、年期の入った四十路の湯女である。
痒いとこ、よう知っておる。力も強い、垢がぼろぼろと出た。痛キモである。
曾良も四十路である。なれど、女に疎い。流れが読めずなり、湯女は言う……
湯女「なあ、お坊さんや、いつまで洗わせる気かえ、手が疲れてもうは」
「たいがいの客はの、洗わせるんはそっちのけでな、こっちを洗いたがるわ」
曾良「いやいや、自分のことは自分でしてくだされ、これにて充分で」
「しばし湯に浸かってから、酒を少々もらえまするかな」
湯女「ああ、ええ、じゃあ支度しとるで」
それからというものである。しばしどころか、待てど待てど湯から出ず。
湯女は何かあったかと思う次第。だけど何もなし。ただ、思案中なり。
曾良は曾良で、これからどうしたものかと、湯の中で迷いそうろう。
このまま浸かろうか、いや、それじゃ、違う意味でふらふらとなるではないか。
本当は、あの湯女にふらふらにされたい、でも、どうやって。
わからん、俳句どころじゃない、困りそうろう。
ここで苦しまみれに、一句捻りだした。
……温泉場 拙僧は浸かる まじめ風呂……
夕刻に、師匠にどう伝えようか。
湯の中で、まだ考えるになりにけり、その前に、あの湯女には、これいかに。
……湯女とかけ 客は湯にとけ あてはずれ……
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