九話 新釈 奥の細道 平泉の段
旧暦五月十三日と言えば、新暦六月の終わりをさす。
五月雨で煙るなか、一面には白い卯の花が咲きそよいでいる。
北上川は原野を流れる、この地に来たかった、芭蕉は喜び勇んだ。
杜甫の五言律詩が頭をよぎる、国破れて山河在りか、思いは飛ぶ。
ああ、ついに来た、奥州藤原三代の都、平泉へと。
中尊寺は光堂と経堂で、清衡、基衡、秀衡の棺、仏に首を垂れる。
宝物は散り失せ、扉は破け、金色の柱は朽ち杉のままとなる。
栄華は何故も儚く消えたのか、やはり義経か、いや頼朝か。
いやいや武家とは、そう言うもの、争そいに勝て残り、負けて滅ぶもの。
必然には勝てない、武家だけではなく、この世は諸行無常なり。
義経よ、静御前と共に散り、何を思ったのか、夢に現れてはくれぬか。
芭蕉は願いつつ、枕に頭をのせた……
義経「おい、そちが呼ぶので来た、源九郎判官義経である」
芭蕉「まずもって現れてくださり、恐れ多いことであり、ありがたき幸せこのうえなく」
「お父上の敵討ち、源氏の世を作ったお働き、あまたに語り継がれておりまする」
「貴公はこの奥州で育まれ、千載一遇の好機に登場なされ、大働き、お見事でした」
「兄上の喜んでおられるお姿も、このしがない俳諧師にも大いにわかりまする」
「波乱万丈の人生なれど、これあっぱれと思う次第にござりまする」
「あの世では、きっと兄弟仲睦まじく過ごしておると、思いまする」
「そう、かの絶世の美女、静御前様は如何かと……」
義経「静か、静がわしと共に高舘で散った時、最期に何を言ったか教えてしんぜよう」
「こいが定めと思うて、この世はこの世、来世で思い叶えてのう、と言ったのじゃ」
「何が兄じゃ、兄だけでは平家を倒せんではないか、返す刀で弟を倒したか」
芭蕉「あの、拙者が言うのもなんなれど、兄弟は他人の始まり、でもこの世のみ」
「貴公のおられるあの世では、それどころか稚児のように仲睦まじいかと」
「やっと、本当に仲直り出来たのではと、思い廻らせておりまするが」
義経「我が無念、語って聞かせようぞ、しかと聞け、ええか……」
「兄じゃはのう、二つの源氏が許せんかったのじゃ、まあ、今ではわかるぞ」
「武家の治世には隙が出来る、そしておごりが出来き滅びの始まりとなる」
「おごりとは明るさの事ぞ、人も家も暗いうちは滅ばず。平家の明るさを見よ」
「もう武家ではのうなっておったわ、公家気取りの西のお笑いびととな」
「そこへいくと、この奥州は違っていたが、焼け落ちて草原となるに至る」
「なあ、このわしが平泉を滅ぼしたかと思うか、それとも兄じゃか?」
芭蕉「大そう難しき問につき、早々には答えに窮しまする。時の流れとしか」
義経「静なら、こう言うのであろうか、風は種を運び実り刈られた、とな」
「まあよい、わしは出来た女を得て果報者じゃったわ。今じゃ、一緒じゃ」
「兄じゃの事もええ、たまにだが酒もって、ひょっこりと来るぞい」
「何か、そん時の作り笑いが面白くてのう、こっちも笑っておるわ」
芭蕉「おお、それはそれは目出度しですな、こちとらも安堵致しましたです」
「きっとお父上の義朝様も微笑んでおられるかと、母上の常盤御前様もですな」
「あっぱれ源氏ですな、国破れて山河在りなれど、あの世では源氏は続くですな」
「ああ、ええ話を聞かせてもらいました、お姿も見ること出来ました」
「このことは相棒の曾良に語り、悦に浸りたいと思いまする」
「その曾良と言うのは、貴公の弁慶にあたるのですが、家来ではないのです」
「露払いと言うのか、太刀持ちにあたるのか、荷物持ちなのか、その」
義経「おい、弁慶を持ち出すと長くなるぞ、今宵はここまでじゃ、また夢でな……」
ここで芭蕉翁は目を覚ました。
そうだ、曾良には弁慶の夢を見てもらいたいものよのう。
弁慶のように太刀にて守る事は出来んでも、あの笑顔で守ってくれとるわ。
みちのく、ここ平泉では涙した。五月雨は消した。
……夏草や 兵どもが 夢の跡……
……五月雨の 降りのこしてや 光堂……
その夢の跡を、曾良と共に進む。
善人の曾良は、義経の従者、老いたる兼房に卯の花を重ねて一句。
……卯の花に 兼房みゆる 白毛かな……
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