八話   新釈 奥の細道   馬の尿(ばり)の段

南部から日本海に出るには、奥羽の深山を越えねばならない。

蝦夷の末裔が暮らしている地である。マタギの舞台でもある。

芭蕉一行は南部道に別れを告げ、鳴子の湯から尿前の関に向かった。

人通るは少なき道ゆえに、関守に怪しまれるも先進む。

この国境の中山越えの山道で、日が暮れてしまい難渋する。

まるで獣道の様な所なので、旅籠なんかありやしない、ぽつんと一軒あるのみ。

そこは見張り小屋みたいな、掘っ建て小屋である。主に声掛けた……


芭蕉「御免くだされや、こいから出羽の国に抜けんとせしど、もう日暮れ」

  「まことに申し訳なきところ、一夜の宿を所望致したき、願いそうろう」

主 「はっ、お面達どっから来たずらか、こげな道なして通るんだ?」

芭蕉「私らは江戸からの旅人、俳諧を作りながらの諸国を巡る旅の途上」

  「奥州街道を北に進み、この峠を越し最上へと抜け、北陸路を西へ」

  「そしてもって、美濃は大垣へとの紀行をしておりまする」

主 「おい、そっただ長旅やってもうて、何がおもしれえんだべさ?」

芭蕉「西行、歌枕の地、いにしえの歴史の舞台に立ちて、俳諧を作りたく」

主 「俳諧? 知らねえ、西行? 初めて聞いたなや、まあええ、上がれって」

  「オラは国の堺の見張りを頼まれてっから。しょうがねえ、泊めてやっぺ」

芭蕉「ありがたき事にそうろう。良しなにそうろう」


宿と言うか、寝ぐらがあって助かった。後も先も獣道である。

こんな山奥では狼、熊が出てきよる、盗賊もいない様な所である。

して、通された部屋は土間の横である、板二枚分の隅で曾良と寝ることに。

馬を飼っている、臭ったらありやしない、なんかやな予感が漂っておる。

まあ、その前に晩飯を馳走になる。


主 「おいや、二人こっちさ来い、飯だぞ」

芭蕉「かたじけなき事、ありがたく頂戴致しまする」

曾良「あの、実はこちらの方は江戸で高名な俳諧の師匠でありまして……」

芭蕉「おいおい曾良や、余計な事は言わんでもよい。飯を頂こうぞ」

  「主の方、この笹包みの中身は何でありまするか、ええ匂いですな」

主 「だすけ俳諧なんて知らんて、そっただこつよりも、笹ほどけ」

芭蕉「これですな、はっ、こりゃこりゃ、手が出てきてもうた、燻し焼きですな」

主 「こいがマタギん名物の熊の手焼きだなあ、熱いうちに食え」

芭蕉「曾良や、お前先に味見をしてくれぬか、旨いかどうか正直に申せよ」

曾良「はあ、したらば先にと、初めて故にとりあえず一口……」


この門人の曾良は人がいい、いつもにこにこしながら芭蕉のお供をしとる。

宿の手配、道の確かめ、荷物持ち、得体のしれない物の味見、なんだってする。


曾良「うむ、こいは旨い。熊とは滋養強壮の塊ですな、手だって旨い」

主 「そうずらよ、手の方が旨いなや、よくとたんと動かしている所がええ」

  「足もええぞ、みんなええ、皮は寒さ防げるしな、昔から山ん神だなや」

芭蕉「ではでは、ほー、これは珍味ですな、熊は手が一番なのですな、旨い」

  「熊はよう肥えておりまするが、何を食べておるのですかな?」

主 「そんだな、鹿、狐、狸、蛇、熊笹なんかよ、まあ、人はめったに襲わねえずら」

芭蕉「人を襲ったら人の味をしめるとなりまするな、山は怖い所ですな」

  「あの、熊と馬はどっちが強いですかな、互角の様にも思えまするが」

主 「山ん中じゃ馬、家ん中だと熊ずらなあ。ワシらは馬を家の土間で守っとる」

  「お前らの布団は土間だぞ。馬の隣だ、何があっても気にすんなや」

芭蕉「はあ、では、馳走になりました。休むことにします」



風流を愛する二人は、野趣溢れる熊の手を全部食べおおせた。

さあ、こんな所で風呂はなし、後は寝るのみ、先ほどの馬の事が気掛かり。

主に虱布団を敷いてもらい、蚤のかいかいを気にしながら床についた。

曾良はと言えば、もう寝ておる、本当に憎めない相棒やないか、ええヤツや。

芭蕉はそんなことを思いながら、寝入ったかに思えたが、寝入ったのだろうか。

その矢先である。ジョジョジョジョジョーージョー……


滝の音に、目が覚まされてもうた。

芭蕉のみ、驚き桃の木山椒の木、曾良はと言えば、ムニャムニャ眠るのみ。

これを風流と言うのだろうか、夢追い人は句を作った。


……蚤虱 馬の尿する 枕もと……


さすがわ芭蕉、そぞろ神、道祖神に導かれての旅行脚である。

すべては風流、絵となり音となり句となりもうす。浮世は、おもしろおかしなり。

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