第19話 追放と出発

 夜空の下――

 宴が終わり村が寝静まった後、少年は屋敷の部屋には戻らず、村外れの丘の上に登っていた。二十メートルほどの高さだが、そこからは周囲が一望できる。

 これでよかったのか?

 少年はもやもやとした気分で自分も協力したその結末を振り返った。

 突然の発電機の不調――

 貴族のキャラバンの到来――

 誰かに謀られたかのような流れだった。だが父親は大真竜のこともエルマーという名前さえ知らないようだった。目先の損失回避だけを考えていたのだ。

 釈然としないのはそれだけではない。あの青年はどうしてエルマーのことしか話さなかったのか。貴族たちはどうして眠れる女神とやらを隠そうとしたのか。長老の言葉はどこまで信じられるのか。

 疑問は幾つも湧き上がってくる。だが全てはもう終わってしまっていた。事情を知らない者は誰もが喜び、奇特な半神に感謝を捧げていた。横暴ではない貴族というのはそれだけで得難い奇跡なのだ。答えが見つけられたとして、この状況で何ができるのか。

「訳が分からない……」

 何がどうしてこんなことになったんだ? 頭がどうにかなりそうだった。苛立ちが全く治まらない。残骸に寝転がったまま、夜の黒い空を見上げる。星は何も答えてくれなかった。

 村の中心の塔に目を向ける。あの中には鍛冶師が閉じ込められている。あの人たちは今何を考えているだろうか。

 少年は想像しようとしたが、すぐに面倒になってやめた。


 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇


 翌日の昼過ぎ――

 村の外れの刑場に男たちが集まっていた。鍛冶師たち、長老、村長、その側近たちだ。少年も証人の一人としてそこに立ち会っていた。

「私が全てを計画し、私が彼らに命じたのだ」

 長老は昨日と同じ言葉を繰り返した。

「他に言いたいことはないのか?」

「ない」

 きっぱりとした否定だ。取り巻きが村長を見る。

「ならば理解しよう、長老。そして見損なったぞ。このたびの騒動は全て貴様の扇動によるもの。私にできる限り最大の刑罰を与えよう。我が権限にて貴様の入門権を永久に剥奪する。荒野を死ぬまで彷徨い、孤独に朽ち果ててなお、永劫に屍を晒すがいい」

 どうしようもなく形式的な言葉だ。父も分かっているだろう。その言葉はただ静かだ。長老も黙って、それを受け入れる。

「そして残る者には別に労働を課す。罪人の指示に従っただけとはいえ、その咎は軽いものではないからな」

 鍛冶師たちは呻く。

「焼き印をここに」

 老人の額に赤く燃える鉄が押し当てられた。肉の焼ける匂いと低い呻きが続いた。

 そして一時間後――

 門前で老人は出立しようとしている。少年は少し離れたところで見ていた。老人は少年に歩み寄る。

「ロウ、気にしなくていい。なるようになった結果だ」

「長老、でも……」

「お前は私によく似てきた」

 俯く少年に老人は笑う。

「聞け、老人の最後の教えだ。いい男には落とし穴が多い。女との関係には気をつけろ。誘いには軽々に乗らず、よく選んで、その後は、他の女には目も向けないことだ」

 そして老人は鍛冶師たちに目を向ける。

「すまぬが後のことは頼むぞ。私の所有物はみなで分けて、いらぬものは処分してくれ」

 老人は見送りたちに笑いかけ、背を向けた。旅立つ兄のように、杖一つだけを手にして、散歩に出かけるように、老人は去って行く。どこか軽快な足取りだった。


 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇


 長老の背中を見送った少年は、鍛冶師たちが解散した後も、その場に残っていた。

 長老も鍛冶師たちも、恨みも怒りも嘆きも何もないどこかすっきりした顔だった。

 なぜそんな風にいられるんだ?

 しばらくの時が過ぎた後、二人の鍛冶師が旅装で現れる。どちらも未婚の若者だ。

「ど、どうしたんですか」

「長老を追うんだよ」

「そんな突然に、みんな困るでしょう」

「家族には旅に出るともう言ってきた」

「あの人だけに苦労を負わせられねえ」

「長老を看取ってから帰ってくるよ」

「じゃあな、ロウ」

「縛ったりして悪かったよ、元気でな」

 二人は少年の肩を叩くと駆け足で去っていった。その表情は奇妙に晴々として輝いているように感じられた。


 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇


 そして、それからしばらくして――

「いつまで突っ立ってんだよ、ロウ」

 少し離れた瓦礫の陰から声がした。そこにいたのは旅装の男だ。その姿にはどこか懐かしさがある。背丈はあの頃の倍近いが、面影は十分に残っていた。

「随分大きくなったなあ」

「兄さん」

「覚えていてくれたのか」

 兄は笑う。その表情は昔のままだった。

 懐かしく、嬉しく、心が軽くなった。

「お久しぶりです。お元気そうですね」

 少年も微笑み返す。

「生きていたのか、とは言わないのか」

「生きていると信じていましたから」

「そう言ってくれると嬉しいな」

 しばらく思い出を話し合った少年は、少し落ち着いて兄の姿を見直す。兄が身に着けた旅装は旅の途中というよりは荒野を住処とする山師のもののように見えた。今はどう暮らしているのだろうか。

「どうしてここに?」

「ああ、実は、親父に頼みごとをされていてね、そいつがうまいこと終わったか、確かめに来たのさ」

 嫌な予感がした。

「頼みごと?」

 兄は軽く笑って答える。

「貴族の商会に声をかけたのは俺なんだ。俺もここ数年で随分顔が広くなって、そのコネを使って、ちょちょいとな。親父は安けりゃどこでもいいと言ったんだが、やっぱり信頼できるところがいいよな」

 思いもしない言葉だった。

「ど、どうして?」

「親父に困っているって言われたからな。まあ少しは助けてやるかと思ったんだ」

 少年は唖然とする。

「復讐ですか」

 兄は目を丸くする。

「何のことだ?」

「あなたはこの村を、死んでいるも同然と言った。だから本当に終わらせに来たってことですか?」

「何を言ってるんだ? って、ああ! よくおぼえてたな、あんな昔のこと! 恥ずかしいが、あの時は、そうだな、こんな今にも滅びそうな村なんて、そのまま滅んじまえって思ってた。こんな辺境で一生暮らすなんてありえねえって。でもベルトを回ってみて分かったんだ。どこでもそう変わらない。街道沿いでも景気のいい話はないし、都市だっていいことばかりじゃなかった。だからさ、わだかまりはもうないし、親父が困ってるってんなら手を貸すさ。いい技術者を呼べねえかって言われて、探し回ってな、随分と難儀したが、最後に寄った貴族の商会が、首を縦に振ってくれたんだ。いやはや、本当に助かった。親父に聞いたが、貴族たちも、しっかりやってくれたみたいじゃないか。これで一安心だな、全くほっとしたぜ!」

 兄は悪びれもせずにそう言った。少年は絶句した。知っていたんじゃなかったのか。だから出て行ったんじゃなかったのか。

「ま、魔物のことは……?」

「魔物? ああ、あの言い伝えの魔物か。どでかい大真竜がいたらしいな。まさか本当にいるとは思わなかったが、親父からそいつを聞いた時には、貴族を呼んでおいて本当によかったと思ったよ」

 兄は長老と同じように村を棄てた身だ。何か知っていたのだろうと思っていた。だが実際には、軽い気持ちで村を出て、今では後悔しているらしい。魔物のことも何も知らないようだった。

「どうしたんだ? ああ、もしかして、そうか……」

 兄は寂しそうに笑った。

「ま、安心しろ。俺はここに帰る気はもうない。次の村長はお前さ。この村のことは頼んだぜ。成長したお前の姿を、一目見れてよかったよ。次はいつ会えるか分からないが、息災でな!」

 そう言うと、ぷらりぷらりと手を振って、軽い足取りで兄は去っていく。

 純粋な善行をしたという顔だった。

 復讐心も悪意もそこにはなかった。

 では、これは何なんだ。

 この結果は誰かが悪意をもって、引き起こしたことじゃないのか。

 誰もが悪意もなく、よかれと思うことをして、こうなったということなのか?

 大地が崩れ落ちたようだった。貴族への恨みが消え、父親への疑いが消え、後にはもう何も残らなかった。

 不運。偶然。それらがただ重なった。それだけのことだった。

 この理不尽を誰かにぶちまけたかった。だがこの気持ちを分かってくれる人は、もう誰もいなかった。長老はもういない。鍛冶師たちは少年をもう、仲間としては見ていない。故郷の風がひどく寒々しく感じられた。


 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇


 しばらく何も考えられずにいると、

「おう、頭でっかち、どうしたよ、深刻そうな顔しやがって」

 狩人の少女が声をかけてきた。名前はまだ思い出していない。

「何でもないよ」

「それが何でもないって面かよ。まあいいや、これでも食えよ」

 少女の誘いで門上の鐘楼に昇る。風が心地よく、気分が落ち着く。干し肉をかじる。結構うまかった。

「長老のことは、残念だったな」

 少女は弓をいじりながら言う。

「ロウの証言が決め手だったんだってな」

 少年は何も答えられなかった。

「気にするのも分かるぜ。でも、しょうがないんじゃないか。ロウもひどい目にあったんだろ? あれだけ好き勝手暴れた奴らを、そのままって訳にはいかない。長老はロウの証言がなくても、自分で自分の責任を背負ってたと思うな。ロウはやるべきことをしっかりやったよ。それだけのことなんだから、ほら、切り替えていこうぜ」

 励ましてくれているのは分かる。だがそういうことではないのだ。

 少年は記憶の兄に共感していた。言い伝えの欺瞞を嫌悪していた。鍛冶師には大切なものなのだと分かってはいた。だが自分ではそこまで大切だとは思えなかった。兄もそうだったのだろうと思っていた。

 だがそうではなかった。

 兄は言い伝えの真実など何も知らなかったし、だから嫌悪もしていなかった。

 田舎暮らしが嫌だったから飛び出しただけで、今は後悔しているとまで言ったのだ。

 村を助けようと力を尽くしただけで、言い伝えを潰そうなどとは、全く思っていなかったのだ。

 愕然とした。認められないと思った。そして、そんな自分に失望した。

「ありがとう」

 出た言葉はあまりに形だけだった。

「ならもう少ししゃんとしてくれ、ってとこだけど、まあ、いいか、今日はしょぼくれてればいいさ」

 少女は笑うと、干し肉の包みをまた一つ広げた。


 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇


 翌日の早朝――

 旅装の少年は門を出た。振り返った故郷はひどく薄汚れて見えた。もう、その門を見ても何も感じなかった。この景色はしばらく見たくない。少年は背を向けると帰り道を歩き始めた。

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