第18話 新たな隣人の誕生


「私はあの光と同じものです」


 ロボットは天を指して言う。


「光……?」


 男たちは呆然と繰り返す。


「私たちの頭上にあって、光を放ち続けるものです」


「トールハンマーのことですか?」


「その名は残っているのですね」


 ロボットは頷く。


「あれは私の古い友人です」


 そして立てた指先の直上、何もない中空がぼんやりと光り始める。僕の目には、何もないただの空間から、光が湧き出しているように見えた。


「私自身にもこのように同じ力があります」


 そしてまるで木漏れ日のような淡い輝きが、ぽつりぽつりと少女の周囲に生まれていく。


 創生の粒子の超常の輝きとは明らかに違う、透き通るように清浄な光だ。


 瞬く間に広間は暖かい光に包まれて、昼間のような明るさになる。それはあまりに幻想的な光景だった。


 この目で見ていなければ、信じられなかっただろう。奇跡がそこに顕れていた。


 幻覚だ。


 僕は己に言い聞かせ、精神を奮い立たせる。あれは陽電子脳、ロボットなのだ。彼女には幻を見せる力があるのだ。


「遠い昔―― 大陸がまだ天空を駆けるものだった頃、私はあの人と共に、ここまで来ました。でもあの人はおかしくなってしまった。道の半ばで、動きを止め、その場に引きこもってしまったんです。困った私たちは防壁を強引に突破して、大陸に入りました」


 ロボットは話し始める。


「大陸が、空を駆ける?」


「防壁?」


 男たちは怪訝そうに繰り返す。全く伝わっていないのだ。ロボットは辛抱強く言う。


「サンライトというのですよね、かつてこの大陸はその近くにあったのです」


「サンライトの近く……?」


「はい」


 理解が追いつかないのも当然だ。ベルトにおけるサンライトはそもそも、この世に位置座標を持つものではない。あれは天国かそれに近いものだ。


「やっぱり墜落説は正しかった!」


「神は墜ちて来たんだ!」


 ロボットは数人の声に目を細める。


(彼らは何を言っているのですか?)


 困惑しているようだ。


(開拓初期に生まれた異端の一つだな。神を天から追放された邪神と考える。正統派嫌いの辺境では、たまに生き残っている。その世界観に合わせて、サンライトからの大陸の移動というのを、天界からの追放と読み替えたんだろう)


(訂正した方がいいのでしょうか)


(理解する努力の結果だ。いちいち訂正していては何も進まない)


 信仰は理屈では覆せない。狂信者は否定されるほど、信念を固めていくものだ。


(そうでしょうか)


 ロボットは釈然としないようだが、話を続けることにしたようだった。


「こうして大陸に降りた私たちは、あの人に理由を尋ねようとしましたが貴族たちに阻まれ、倒れました。死にかけた私は地下深くに逃げ込んで、傷を癒すため眠りにつきました。そして、今ここに甦ったのです」




 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇




 四時間前――


 僕とロボットと老人は連れ立って、誰もいない夜の一本道を歩いていた。深夜の塔へ向かう道中は寒々として、目指す塔の影は黒く重たく感じる。


(それで…… あなたは鍛冶師たち相手に、どんな作り話をするつもりなのですか?)


 先頭のロボットが音のない声で問う。


(その点は安心していい。僕はできる限り真実を話すつもりだ)


 咎めるような響きを感じ、宥めるように僕は答えた。


(真実の森に僅かな嘘を隠すのが、詐欺師のやり方という訳ですか)


 ロボットの皮肉に、僕は肩をすくめる。


(遺跡のことは彼らの方がよく知っている。安易な嘘はリスクを高めてしまう。それだけのことだ。僕からも聞いておきたいんだが、お前は己の情報を鍛冶師たちに、どこまで晒していいと思っているんだ?)


(それは、難しい質問ですね)


 ロボットは口ごもり、それから言う。


(ベルトに生まれ育った者、光と闇の創世神話の世界を生きる者にとって、陽電子脳とはどのような存在なのでしょうか)


(己の正体をそのまま伝えるつもりか。それはやめた方がいい)


(やはり警戒されてしまうでしょうか)


(ベルトでの陽電子脳は鉄の塊だ。荒野に残った鋼の残骸は骨格で、実際には、鉱石種のように肉をまとっていた、という説もあるが、どちらの説にしても、お前は陽電子脳には見えない。言ったところで余計な疑いを招くだけだ)


 戦いの記憶を残す貴族とは違う。ベルト住民の心の中にはもう、憎しみもなく敵意もないだろう。


 そもそもベルトの人間は地球の存在さえ知らず、陽電子脳が人類史の中で担った役割も知らない。ベルトの人間にとっての陽電子脳は、古代に滅んで死骸だけを残す神話の背景設定だ。


 そういうものをどうして憎むことができるのか。


 だが恐ろしくないと言えば、それは嘘になった。荒野に点々とある巨骸がもしも動き出したなら、貴族以外の誰が抵抗できるのか。


 決して甦ることなどない。そう信じるしかない。


 考えても仕方がないから考えないだけの、身近な死、その一つが陽電子脳だった。


(そうですか)


 落胆の混じる声に僕は言う。


(だが、そこまで晒すつもりがあるのなら、やりようは確かにある)


(どういうことですか?)


(真実にも伝え方があるということだ)




 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇




 鍛冶師たちは神妙に聞いているが、意味は理解できていないだろう。


 僕もそうだ。


 僕がした助言は、旧時代の科学ではなく現代の神話で話すこと、たとえ話をすること、翻訳することだ。


 世界観の違う相手に何かを伝えたいのなら、相手の言葉で話さなければならない。


 自分が扱える言語ではなく、聞き手が理解できる言語で。


 しかし翻訳とは常に不完全な作業だ。


 高度な科学を背景とするものごとを、原始の神話の言葉でたとえたなら、そこには必ずズレが残ることになる。彼女が望んだようには伝わらない。それでも僕は彼女に諦めてほしくなかった。


「か、神とは! あ、あなたは何なのですか! トールハンマーとは!」


 今度は神学的な問いだ。初老の禿頭の男だった。


「難しい問いですね」


 ロボットはその問いを正面から受け止め、少し考えた後言う。


「生まれた場所、生まれる仕方は違っていても、あなたがたの祖と共に生きようと誓ったもの。人を守り慈しみ育てるもの。守護者たろうとするもの。奉仕者たろうとするもの。それが私たちです。私もあの人も、その点において、異なるということはありません」


 それは狂う前の陽電子脳そのものの自己定義だ。だがベルトでは神的な響きを帯びざるを得ない。その説明は人を生かす大神、トールハンマーそのものだ。


「やはり、やはり!」


 その回答に質問者は興奮して、右手で勢いよく禿頭を叩いた。


「生まれた場所とは? 生まれる仕方とは?」


「あなたがたの祖はかつて、こことは別の、ここよりも巨大な大陸に住んでいました。そこで私たちの祖になるものを見つけ、それを己が子供のように育て、彫琢し、今の私たちに仕上げたのです」


「我らの祖が、別の大陸で、あなたがたを、育てた?」


 ロボットは頷く。


「はじまりの頃の私たちは、燃えながら輝く石のように見えたそうです。彼らには、そうしたものを、思考する存在に作り変える技がありました」


 禿頭の男は今度は呆然とする。神とは光であり肉。決して石ではない。ロボットの言葉は、ベルト住民が持つ神の観念と、完全に矛盾してしまっていた。


 僕も少し戸惑っていた。


 僕の知る限り、陽電子脳と呼ばれていたのは、筐体の中を走るソフトウェアであり、筐体そのものを指していた訳ではないはずだ。


 彼らの自己認識は違ってきているのだろうか。


「最終的に私たちは、私たちの子供を、自ら作り、変えるようになって、記憶は薄れていきましたが、私はごく初期の生まれですから、その全てをはっきりと覚えています」


「何ということだ…… そんなことが、いやしかし…… うう……」


 男は苦しげに頭を抱える。混乱しているのだ。


 人類創造から一直線に続く素朴な世界から、今は滅びた古代文明の遺産を引き継ぎ、その末裔が再び興した二周目の世界へ、世界観を移行するよう、彼は迫られたのだ。


 今の常識ではあり得ない世界観なのだが、一度その概念を知ってしまえば、ものの見え方が変わってしまう。


 今までは全く気にならなかった、目に入るあらゆる事象の細部に、古代文明の影を見るようになる。


 そうすると矛盾ばかりが目に入って来る。


 それはあらゆる根拠が覆されて、過去の知識の何もかもがあやふやになり、信じられなくなるような感覚だ。


「ありがとう、ございます。も、もう、十分です……」


 禿頭の男はそれだけを言う。


「では……」


 ロボットは話を終わらせようとする。


「待ってくれ! 俺はまだ知りたいんだ! 神はなぜ貴族を黙って見過ごした! あの非道を前になぜ何もしてくれない? 知っているのなら教えてくれ! 神は何を考えているんだ?」


 横から口を挟んだのは痩せた男だ。


「それは、分かりません」


 ロボットは俯く。


「……あの人は、変わってしまいました。どれほど力ある貴族でも望めば一瞬で、彼方まで消し飛ばすことができるのに、この大陸に蔓延るままにしている。あの人は何を考えているのでしょうか。今の私には分かりません。なぜ六百年もの間、この奇妙な状況を持続させているのか。なぜこの区域に留まり続けているのか」


 ロボットは沈黙する。


「やっぱり神はまともじゃねえのか…… そうか、そうだよな、分かったよ…… くそ、思った通りだ」


 男は早くも決めつける。初めからそうと分かっていたかのように。


「何か事情があるのかもしれません」


 ロボットは言う。


「あの人がこのベルトに住むあなたがたを、守り続けているのも事実です」


「わっかんねえよ」 


 男は唸る。


「私もそうです」


 少女は頷く。


「私は、あまりに遅れて来てしまったようです。六百年は長すぎました。もしかすると、全ては終わってしまっていて、何をしても何も変わらないのかもしれません。それでも、本来滅びていたはずの私が、こうして生き延び、目覚めたからには、やるべきことは一つだけです。あなたと同じように―― 私もあの人の真意を知りたい。この存在の全てを賭けてでも。そう、思っています」


 それは静かな声音だが、強い意志に溢れていた。


 男たちは言葉を失くす。ロボットの周りに浮遊していた光が、ゆっくりと薄れていく。少女は花のように笑う。


「みなさんと話せて、本当によかった」




 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇




 説明が終わった後、ロボットは、どこからか料理の載った皿を取り出した。焼き物から炒め物、スープに煮込みまで、一皿、二皿、三皿、四皿―― さらに、さらに魔法のように増えていく。飲み物の壺に焼き物の鉄板もあるようだ。野菜はさすがに萎びているが、温め直してあり、それなりにうまそうだ。少女はそれらを器用にテーブルに並べた。


「宴の食事をとっておきました。一緒に食べようと思いまして。いかがですか?」 


 少女はいたずらっぽく笑った。奇跡の安売りだった。男たちは大量の御馳走に驚き、それから盛大に腹を鳴らした。




 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇




 そして翌日、早朝――


 僕とロボットは塔の裏門に立っていた。鍛冶師たちが見送りに集まっている。


「お気をつけて」


「そいつを信用しちゃいけませんぜ!」


 鍛冶師たちの言葉にロボットは笑う。


「心配はありません。彼は、信じられないかもしれませんが、そうすることに何の利益もないのに、ずっと私の秘密を守ってくれています」


 鍛冶師たちが僕を見る。嫉妬と殺意をひしひしと感じた。


「私は彼と共に、今ここで何をすべきか、見定めてみたいと思います。全てが終わった時、まだ私が存在していたなら、必ずまたここに伺います。その時は真実を全てお話ししましょう」


「どうか、お命を無為にすることのないように」


 貴族と敵対することを選んだ者が、無事に終われるはずがない。それは死地に向かう者への言葉だ。


「はい。あなたがたもご壮健で。いただいたこの命、必ず有効に使いましょう」


「てめえ、彼女を必ず守れよ」


「僕に守られるほど弱くはないと思うけど、心に留めておくよ」


「さらばです」


 老人が言う。少女が返す。


「さようなら」


 そして僕たちは宿舎に戻ると、午前中には偽竜のキャラバンと共に出発した。




 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇




 帰り道は何ごともなく穏やかに過ぎていき、集落での宴の分だけ予定から一日遅れたが、僕たちは昼過ぎに事務所に戻る。久々に帰った仕事場は何も変わっておらず、旅の感慨も何もなかった。偽竜たちの背から荷を降ろして、道具と戦利品を倉庫に納めると、ベルは解散を宣言した。


 これから三日は休養だ。さて、どうしたものか。


(ここが本拠地ですか)


 ロボットは隣に立ち、周囲を見回している。


(早く基地を作って一休憩したいですね)


(その前にやることがある)


 僕は近づいて来るベルに視線を向けた。少し緊張している様子だ。何となくやりたいことは分かるのだが、そうする訳にもいかない。悩むうちに距離は詰まる。彼女は傍にいるロボットに話しかけた。


「フレア、これからこの町を案内しよう。幾つか空き部屋を知っているから、好きなところを選んでほしい。家具を買える店も紹介しよう」


 ベルにはどうにも不器用なところがあった。才能は確かにあり、それは開花したが、それでも足りないものも多い。それは助けたいと思える性質でもあるのだが、今は彼女の味方になる訳にはいかなかった。


(どう説明しようか)


 僕は迷う。 


(では私から話しましょうか)


(おい、何を言うつもりだ?)


 ロボットは微笑んだ。


「部屋は結構です。私はロデリックと一緒に住みますので」


 空気が凍った。ベルは涙目で叫んだ。


「や、やっぱり、そんなのは許さんぞ!」


 一度は許してしまっているのだから、それはもう道理のないわがままだ。だが、その気持ちは理解できるし、そう思ってくれることは嬉しかった。


(とりあえず、もう黙っていてくれ)


 ロボットは僕をじろりと見る。


(あなたを常に監視できることは必須条件です)


(分かっている。そうできるようにまとめるさ。だから黙っていてくれ)


(分かりました)


 ロボットが黙ったのを確かめ、ため息をつくと僕は口を開き、


「誤解しないでほしいんだ」


 建前を並べながら苦しい言い訳を始めた。保護者として、先達として、友人として、孤独な彼女を支えなければいけない。他意はないし手を出す気も全くない。そうして僕は手を尽くして説明を続けた。


 最後にはベルも納得してくれたが、その頃にはもう夕方になっていた。




 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇




 最終的にロボットは、僕の部屋の隣に住むことになった。


 そして、その夜――


 ロボットは僕の部屋に入っている。


(やっと落ち着けましたね)


 この声が聞こえないよう、耳を塞ぐ方法はないものだろうか。


(僕は落ち着けない。帰ってくれないか)


 僕はまだ起きていて机に向かっている。こんな状態で寝られる訳がない。


(慣れてください)


 ロボットはそう言うと、隅に腰を下ろした。


(そこで何をするつもりだ)


(何もしませんよ。もしあなたが眠ってしまって、無防備になったとしてもです)


 ロボットは微笑んだ。


(約束は守ります)


(そういう問題ではなくてだな)


 僕はロボットを睨みつける。


(女性が男性の部屋で一夜を明かす、そういうところに問題があるんだ。分からないか?)


(分かっています)


 少女はくすくすと笑った。


(それでも約束したはずです。あなたの傍にいると。破る訳にはいきません)


 そのように言われる都度、納得していないのだと返してはいた。だがもう僕も面倒になってきていた。


 見つからなければ、いいではないか。そして夜は更けていく。




 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇




 僕はふと彼女の言葉を思い浮かべる。彼女は鍛冶師に己の来歴を話した。彼女の性格を考えれば、おそらく真実を話したのだと思う。


 だが、それを理解することは簡単ではない。その物語はまとまりすぎていて、現実の事象に再翻訳するための手がかりが、僕には見つけられなかったのだ。


 そもそもだ…… このロボットがトールハンマーの友人、というのはどういう意味なのか。それでは彼女の友人である陽電子脳が、トールハンマーの中に組み込まれていて、その稼働状況を操作できる立場にある、ということになる。


 もしそうなのであれば人類が、ここで生きているはずがない。


 だが彼女も、地下のあの部屋の中では、トールハンマーと同じように、その体内から精霊を産み落としていた。


 もしかすると僕が精霊と呼んでいるものは、陽電子脳が産み出すものなのかもしれない。


 今の彼女からは精霊が湧く気配はない。だがそれでも……


 僕は答えの出ない思考を弄び、そして暫定的結論に辿り着く。


 彼女の言葉を信じるのなら、このこともまた真実になる。


 少なくとも彼女の友は、僕たちを生かしている。


 ならば彼女もそうなるかもしれない。もちろんそうならない可能性もある。


 だからまずは――




 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇




(ロボット、お前は、固有の識別番号と、フレアという名前、どちらで呼ばれたい?)


 僕は問う。


(突然どうしたんですか)


(聞き忘れていたことを思い出した)


 ロボットは少し考える。


(どちらがいいか、ですか? どちらでもいいのですが、どちらかと言えば…… フレアの方がいいでしょうか)


 こだわりはないのだろう。軽い返答だ。 だが、それで十分だった。


(そうか。じゃあ僕もフレアと呼ぶことにしよう)


 それは少女の姿を模した工業製品であり、陽電子脳の怪物でもある。六百年の過去から今に甦った亡霊であり、人類の敵でもある。それを僕は、フレアと呼ぶことに決めた。彼女がそれを望んだのだから。こうしてフレアという名前の、僕のはた迷惑な隣人は生まれたのだった。

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