第14話 地の果ての故郷

 二週間前――

 少年は一人、遠い故郷への帰路にあった。久々の長期休暇である。のんびりしようと思ったところで父親から受け取った手紙の内容は、急ぎ帰省するように、というものだった。

 故郷はもう三年帰っていなかった。たった三年、しかし三年―― 少年の背丈は頭一つ分高くなった。

 街道沿いの景色はその分だけ小さくなり、三年前より色あせて見えた。このまま手紙が届かなかったふりをして僧院に引き返してしまおうか。そんなことを思いつつ少年は帰路を行く。

 故郷は地の果てにある。

 最後の宿場まで乗り合いの竜車で四日間。そこから荷物を背負い徒歩で一人の旅人も向かわぬ方角に更に四日間。灌木の森を抜け、深い亀裂を越え、魔物たちの巣を大きく迂回し、道らしい道もない荒野を歩き、懐かしい故郷に到着したのは、僧院の寮を出発して、八日後の昼だった。

 古戦場の真っ只中にあるその集落は、崩落した金属の欠片の寄せ集めで、無骨な砦のような姿をしていた。実際、辺境の集落は半ば城塞である。魔物や盗賊の襲来に対して、備えておかなければならないからだ。

「クラインさん! お元気でしたか!」

 門上の高楼に座る老人に声をかける。かつての集落一の狩人で、腰を悪くし現役を引退した今でも長弓の曲射では並ぶ者のない老人だ。老人はキセルから煙を立ち昇らせて、だみ声を上げる。

「ロウじゃねえか! 久しぶりだな!」

 三年ぶりの故郷は妙に騒がしかった。

「何かあったんですか?」

「面倒なことになっていてな。ああ、お迎えどもがお越しになったぞ」

 老人の指す方角を見ると、村の奥から早足の男たちが近付いて来る。村長の部下たちだ。彼らと共に少年は集落の中央に向かう。


 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇


 集落の中央にある屋敷、その応接室――

「やってもらいたいことがあるのだ、ロウ」

 上座に座るのは恰幅のよい中年の大男だ。太い腕を大きく振り回しながら大男は大音声で喋り続けていた。彼は状況を説明した後、両の眼を見開く。

「貴族たちを案内し、彼らの仕事がうまく進むよう、手助けしてほしいのだ」

 少年は気付かないうちに身を引いていた。

「内部は長老たちの方がよくご存知です。私は一度しか入ったことがありません」

 少年が鍛冶師の元で修行していたのは幼い頃の数年だけだ。幼い子供はあの儀式に関われなかった。

「奴らにやる気がないのは分かっていように。あの遺跡の底に何を隠しているのやら…… 奥まで潜る必要はない。動力機の位置まで最低限の道案内ができればそれでいいのだ」

 動力機の故障からもう一月だという。生活に問題も出ているはずだ。あまり気乗りはしなかったが、父親の言い分も理解はできた。

「分かりました」

 少年の答えに男は視線の力を緩める。椅子に深く座り込むと、疲れ混じりの声で告げた。

「貴族は明日到着の予定だ。頼むぞ」


 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇


 屋敷内に用意された部屋に荷物を置き、旅装を解くと、少年は屋敷の門を出た。

 三年ぶりの村の大通りだが変化はない。家屋の端々は朽ちては修復されて、幼い頃と較べてみれば、その素材をゆっくりと変えており、完全に同じなところはほとんどなかったが、何も変わっていない、そう思えた。

 広場は貴族を迎える準備の最中だ。

「おう、頭でっかち、帰ってきてたのかよ」

 振り返ると少し年上の少女が立っていた。見覚えがあるような気のする顔だ。

「まだ数年は都市にいるって話だったけど、随分と早いお帰りだな」

 少女はにやにやと笑う。

「追い出されちまったか」

「違う。手紙が来たんだ」

 手紙? と少女は首を傾げ、それから笑みを深める。

「ああ、狸爺の呼び出しか」

「お前はどう思っている?」

「何のことだよ?」

「今回のことだ」

「どうでもいいかな」

「それでいいのか?」

 少女はくくった髪を指で弄ぶ。

「鍛冶場の野郎どもは、怒り狂ってるみたいだけど、あたしには関係ないよ。それよりも」

 と少女は広場の隅を見る。

「あっちの方が気になるね。貴族向けのご馳走のための食材の山。確実に残り物が回ってきそうな量だ。ロウもそう思うだろ?」

 迷宮のほとりにある集落。忘れ去られた小さな寒村。時代に取り残された古代の城砦では、生活は単調で退屈なものになりがちだ。この喧噪もたまの祭囃子と見るなら、そんな楽しみ方にも共感できた。

 だが誰もがそうである訳ではない。

 動力の届かない集落など、荒野と何が違うだろうか。

 狂える貴族の廃棄場所のごく近くに好んで住むなど馬鹿馬鹿しい限りだ。

 十二年前、少年が幼かった頃にも、迷い出た貴族が大地の全てを腐らせ、集落にも大きな被害を与えていた。

「こんな村、捨てちまえばいいじゃねえか」

 広場の隅では男たちがぐだを巻いていた。電力がないため仕事のできない者たちだ。今口にしたのは酔いの回った青年だが、それはかつて無数の口から出た言葉だ。

 どちらかといえば豊かな村だった。土は肥えており、作物もよく育つ。魔物の巣も大きなものはない。盗賊団も近隣にはいない。だがマクストン迷宮が近すぎた。狂える貴族の引き起こす災禍は、数十年おきだが村を何度も襲い、そのたびに苦しい時期が続いた。

 父祖の地に未練などあるものか。動かせるものを一切合財抱え、もっとましな場所でやり直そう。

 苦しみの中で誰もがそう叫び、冷静な者もその通りと頷いた。

 しかしその移転の動きは常に失敗に終わっていた。

 ここに残ろう。

 祖先たちは最後に決心を翻したのだ。その理由は何だったのだろう。幼い頃、老人たちに尋ねてみたが、覚えていると言う者は一人もなく、ことの経緯は分からないままだった。

「苛立ってるみたいだな」

 少年の視線を追った少女は言う。

「真に受けることはないよ。あれはわがままな子供だ。定住証をとらないまま出て行っても、旅暮らしが待っているだけだからな。出ていく気が本当にあるなら、あんな風に酔っ払ってなんかいない」

 そんな度胸はあいつらにはない。彼女はそう言いたいのだ。彼女はここから離れる気がなく、この村を支えようと決めている。だからそう思うのかもしれない。

 しかし少年はそうではなかった。だから少し共感した。

「旅暮らしも悪くないさ」

 故郷を捨てるという選択は、たぶんそういうことが重なった先にある。

「何だよ、あいつらの肩を持つのかよ?」

 だが兄はその道を選んだ。

 十二年前――

 天地が紅に染まった夜から数ヶ月後、被害の復興を終えた頃のことだ。

『俺はこの村を出る。決めたよ』

 あの兄の言葉は今も思い出せる。もう姿形もおぼろげだが、あの時の言葉はまだ覚えている。

『この村はもう死んでいるのに、死にきれずにいる亡者の村だ。俺はここに生まれちまったが、そんな風になるつもりはない』

 故郷は命ある人々が今も暮らしており、ありのままにあるものを楽しみながら、胸をはって日々の義務を果たしていた。何もなく、何も持たないのに、そこに住む者たちは意気揚々と生き、何を恨むこともなく死ぬ。苦しみを苦しみと思わず、喜びと共に生きるその姿。小さな頃は本当にそれが自慢だった。

 あの頃の少年は故郷の全てが誇らしく、兄の考えが何も分からなかったけれど、次代の村長として都市に出て、僧院で色々なことを知るうち、何となく分かったように思う。

 かつてはベルト開拓の最前線で、主要な巡礼の地だったのだろう。かつては勇敢な開拓者が集い、巡礼者で賑わっていたのだろう。だが今はそうではない。

 今、少年は十六になっていた。

 あの時の兄より年はもう上だ。兄が見ていたものが何なのか、まだはっきりとは分からない。それでも子供の頃のようには、もう思っていない。

「そういう訳じゃない」

 少年はそれだけ言う。

「どういう訳なんだか。しっかりしてくれよ」

 少女はやれやれと肩をすくめた。


 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇


 その夜――

 少年は屋敷の部屋には戻らず、村外れの丘の上に登っていた。二十メートルほどの高さだが、そこからは周囲が一望できる。

 放棄された城砦、そこは史跡だった。この地に集落が存在し始めた頃、ぽつんと塔だけが立っていた頃、ここは支城として機能していたのだ。

 幼い頃は時間が空くと、いつもここに来ていた。

 ここからベルトを見回していると、城壁に囲まれた集落が、ひどくちっぽけなものに感じられて、気持ちが軽くなるような気がした。スターライトの下で、少年は過去の記憶と今を見較べる。世界はあの頃よりもちっぽけだったが、気持ちが晴れることはなかった。

 砦に続く道から誰かが出てきて、少年の座る場へと向かってくる。

「人は一人孤独に向かうだけでは、本当の答えには届かない。なぜなら、生きるということは、何かを愛するということだから」

 その独特の詠うような語りを、少年はよく知っていた。

「お元気そうですね、長老」

 ふんわりとその場に降り立ったのは、手足のひょろ長い隻眼の老人だった。

「愛故に人は喜び、悩み、そして道に迷う。ロウ、生の答えを見つけるということは、愛の本性を知るということだ」

「それは長老の場合だけでは?」

 この小さな集落で三度結婚した男の言葉だ。

「ああ、確かにそうかもしれない。だが考えておくのが大事なのだ。思い込みに囚われたままでは、こうして片目を失うことになる」

 経験に裏付けられた警告を吐き、老人は微笑んだ。その潰れた片目はまだ若い頃からのもので、痴情のもつれが残した古傷らしいのだが、未だ涼やかさを感じさせる顔立ちは、醜い傷痕も戦士の勲章のように見せている。この年を食ってなお軽薄な色男が、四十年に渡ってその任にある鍛冶師の長だ。

「ロウよ、都市ではよく楽しんでいるかね? 羽目を外すならあちらにいられるうちに、一通り済ませておくことだぞ。今はでっぷりと太ったあの堅物も、当時は随分と羽目を外したと聞く」

 老人はこの集落でも数少ない都市留学者だ。冗談ばかり言っているから、皆からは、街で遊び呆けていたのだと思われているが、同じように留学している今は分かる。集落を長年支えてきた彼の深い知識は、死にもの狂いで学んではじめて、得られるものだ。父親のことはおいておこう。

「そんな話をしにここまで?」

 老人は少しためらい、そして表情を改める。

「お前があの男に頼まれたことは知っている。それをどうこう言うつもりはない。今のあの遺跡の状態―― 並の傭兵では命を無駄にするばかりだろう。貴族なら、その心配はせずに済む」

 老人は少年を見る。

「分からないのは理由だ」

「どういうことですか?」

「これは貴族が受ける価値のない仕事だ。マクストン迷宮の近傍とはいえ、魔物の巣など、駆除してみても完全に封印でもしない限り、主のいないテリトリーにはすぐ新たな魔物が居座るようになる。主の代替わりによる混乱の分だけ状況が悪化する可能性も十分ある。では貴族はなぜこの仕事を受けたのか」

「それは、分かりません」

 老人は笑った。

「私もだ。理由も目的も分からない。そして分からないことが怖い。だからこそ準備しておきたいのだ。貴族が無茶をしないように監視を、そして何かあれば知らせてほしい」

 納得できない提案ではなかったが、少年には気になっていることがあった。

「答える前に一つ聞かせてください。それを知らず共犯にはなれません。あなたがた鍛冶師は、あの地に何を隠しているんですか」


 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇


 少年は屋敷に戻るとベッドに座り込む。あの誘いには乗らなかった。老人が秘密を守ったからだ。

 どうしたらいいのだろうか。少年は悩む。

 父親の言い分はよく分かる。だが鍛冶師たちの言い分も理解できた。

 あの地の魔物はそれほど狂暴ではない。だがこの時期は別だ。待って鎮まるなら待てばいい。殺さずに済むものを殺すのは、正しいこととは思えなかった。

 しかし鍛冶師が何を隠しているのか、真実を知らずにその共犯となるのも、不安だった。

 その翌日――

 貴族のキャラバンが村を訪れる。少年は貴族と共に遺跡に向かう。

 そして貴族は発電機の修理を終えた後、それが本当の目的であったかのように、大規模な地下探索を始めた。その様子に少年は心を決めたのだった。




 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇


 遺跡の地下空間にて――

 壁際に戻った僕を待っていたのは、三人の男たちだった。案内兼護衛の傭兵が一人、その後ろには、あの監視役の少年、そして見覚えのない老人が続いた。年は六十過ぎというところか。五体は痩せ細っているが、揺らぎのない歩みには、探索者のような力強さと軽さがあり、しかし立ち居ふるまいには、人を使うことへの慣れと驕りがある。また顔には大きな傷が残っていて、片目は潰れていた。おそらく刀傷―― 戦闘によるものだ。

「いったいどうしたんだ?」

 連れて来た傭兵の話によると、老人は集落の鍛冶師の長で、地上で大真竜のことを聞き、現場の確認を希望したらしい。

「地下での案内を頼む、気が済むまで見せてやれってさ」

 傭兵はそう言うと休憩に向かう。

「ご案内しましょう」

 少年は僕を睨んでいる。老人は平静なもので、少年とは随分違っていた。僕は老人と挨拶を交わし、地下空間の案内を始めた。

 大真竜たちが滅んだ後、魔物たちは更に奥底へ退いており、彼らとの遭遇はほとんどなかった。

 アダマンティウムの船殻以外の全てが吹き飛ばされた何もない空間を、電気灯を頼りに歩く。

 隅々に山積みにされている死骸。鉱石を抉り出された後のそれは、持ち帰る価値のない廃棄物だ。老人はその前をただ通り過ぎた。

 最後に辿り着いた爆心地――

 見渡す周囲数百メートルにわたって何もかもが吹き飛ばされた更地だ。

 焼却装置の解体は終わっていた。

 あの大真竜が滅びた場でも老人は弔意を示したけれど、静穏が破られることはなかった。

 認めることは決してないだろうが、老人の落ち着きぶりを見る限り、大真竜の存在を知っていたとみていい。ならばロボット―― 眠れる少女の存在はどうなのだろうか。今のロボットは、僕も含めて、他の技師たちと同じように、フードつきの外套を深く被っており、顔はゴーグルとマスクで隠されている。重装備のため体型も分からない。身長から子供と分かるくらいで、女であるようにも見えていないはずだ。

「この辺りにはお詳しいのですか?」

 僕の問いに老人は首を振る。

「全くだよ。方角も全然分からない」

 その返答は実に定型的だが、それ以外ない言葉であった。

 この老人は何を知っているのだろうか。付き従う少年を一瞥するが、その挙動に変化はない。少年は何も知らないようだ。地下に何があるのかは、広く共有されていないのかもしれない。

 しばらくして老人は感謝と満足を告げた。僕たちは撤収の最終便と共に地上へ戻る。

 荷物を背負い、階段を昇りながら、念のため、僕はロボットに尋ねた。

(彼はお前を知っていると思うか?)

(分かりません)

(眠っていた間のことは何も覚えていないのか。警戒装置の記録くらい、どこかに残っていないのか)

(警備を固める時間はありませんでした)

(奴らがお前の元に来ていたとしても全く分からない訳だ)

(そうですね)

 ロボットは頷く。

(そんなに悠長に構えていていいのか)

(焦ったところで状況は変わりません。彼らが私の破壊を望んだなら、試す時間は十分にありました)

 どうしたものかな。僕は悩む。

 改めて記憶の中の視界を確認すると、侵入者の痕跡は確かに残っていたが、破壊にしても、それ以外にしても、危害を加えられた形跡は、僕には見て取れなかった。

 ロボットの本当の出自が貴族たちに知れたなら、それを隠そうとした僕も、ただでは済まないだろう。

 だがそれも、あの集落の住民が、どこまで知っているかによる。

 そもそも、眠る姿を見ただけでは、陽電子脳搭載機械とは気付けない。見る限り、触れる限り、人間と何も変わらないのだ。とはいえ、物も食わず、水も飲まず、息もせず、老いることもなく、腐ることもなく、ただただ眠り続けられる生き物など、そういるものではない。彼らは彼女を何と考えたのだろうか。


 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇


 遺跡を出た僕たちは貴族に報告する。アリスは既に発った後だった。ベルを前に老人は頭を垂れる。

「偉大なるエンダーよ、あなたは最善を尽くしてくださった。そのことが十分に確かめられました。明日、我らが宿場にお越しください。祝宴を催しましょう」

 ベルは頷く。

「心遣いに感謝しよう。だが、その前に訊きたいことがある」

 その普段とは異なる凛とした声音は、彼女の公人としての顔だ。

「どのようなことでございましょうか?」

「この地に大真竜が潜んでいたことを、あなたがたは知っていたのだろうか?」

 老人は表情をこわばらせる。

「そんな、まさか―― もちろん全く知りもしませんでした。そのような魔物がここにいたことに、私たち自身とても驚いておりますし、討伐いただき誠に感謝しております」

 ベルトの住人には義務がある。

 王属や、その領域に近い大真竜など、最上位の魔物と遭遇した者は、速やかに報告をしなければならない。

 怠った者には厳罰が下される。だから、こう問われたなら、こう答えるしかない、そういう問答だった。

「今このようなことを訊くのは、失礼ながら不安があるからだ」

 老人はベルを見返す。

「かの者目覚めたる時、夜来たる―― その一文から始まる伝承を、私は既に耳にしている。今、私が知りたいのは、この伝承の中の、眠るもののことだ。地下に潜んでいた大真竜が、あなたにとってのそれでないのなら、それはいったい何だったのか。あなたはそれを何と考えているのか」 

「どうしてそのようなことにご興味を?」

「あの伝承はもう記録に残っており、目にした誰かがいつか追及する。その際、十分な説明がなければ、セントラルの文書係たちは、あなたがたが、数百年に渡って、地底に大真竜があることを知りながら、隠匿していたことの証とみなすだろう。マクストンに近すぎるこの地域で、それは我々にとって明白な叛意となる」

 老人は震えながらベルを見る。

「私たちに何をお求めで?」

 ベルは僅かに輝く霧を身に纏う。

「釈明の機会を与えると言っている」

 その輝きはおそらく無意識の漏出だが、脅しとしては十分すぎる効果があった。

「少し時間をいただけませんか」

「明日伺おう」

 老人はその言葉に僅かに身を固め、ゆっくりと答えた。

「お待ちしております」

 老人は供を引き連れて、大急ぎで、夜道を集落へと引き返していく。極度の緊張で老人たちの顔からは、血の気が失せていた。

 背中を見送り、僕は迷う。ベルは誰に対しても甘い。そしてやり方が不器用だ。

 手続き上許される範囲で、最大限の譲歩をしているのは分かる。だが手続きの詳細を知らない者には、苦心が伝わるはずもない。

 あれでは処刑宣告だ。

 空回りを笑っている暇はない。従ってくれればいいが、もし決死の反抗を挑まれれば、本当に殲滅するしかなくなる。

(彼らの後を追いかけよう)

 門衛に一足先に集落へ向かうと伝言を残し、僕は帰路を急ぐ男たちの背中を追い始めた。暗闇の中、土地勘がないこともあって、全く追いつけず、少しずつ離されているが、ロボットの感知能力があるため、数百メートル離れても見失わずにすむ。

(何をするつもりですか?)

 僕の後ろを走る少女が尋ねる。

(奴らは村に戻り次第、相談を始める。それを盗み聞くことができれば、彼らがどこまで知っているのか、ベルにどう対応する気なのか分かる。誰が集まるかで、関係者も分かる。そうすれば対策も見えてくるはずだ)

(いいでしょう)

 納得してくれたようだ。

(ですが人は気紛れに動くものです)

 少女は独り言のように言う。僕は泥溜まりを避けて、樹木の根を踏みながら進む。夜の冷えきった空気が、草と泥の匂いと共に全身に絡みつく。四肢の先端から凍えていくようだ。

(そう簡単にいくでしょうか)


 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇


 荒野を駆けること、四時間――

 老人たちは集落の城門を抜ける。その足で更に奥に向かうようだ。

(私たちも城門を通りますか)

(駄目だ。見つかりたくない)

 道から外れたところで、僕は壁に取りつく。絡みつく蔦を伝い、僅かな窪みに指をかけて、壁上へとよじ登る。

(随分と慣れた動きですね)

(昔はもっと速かった)

(更生したのですね)

 くすりと笑った眼下のロボットは、軽い動きでひょいっと跳躍すると、僕の頭上を風のように越えていく。

(あまり目立つな。見つかるぞ)

 集落に入った僕たちは、人目を避けて村の奥へと進む。

(村というには物々しい造り、集落というより城砦ですね)

 ロボットは足元のおぼつかない暗闇を、見えているかのように危なげなく歩く。

(創世の時代の集落だからな)

(創世の?)

(人間がベルトに住み始めた頃のことだ。はびこる魔物の群れから身を守るため、堅固な防衛施設が必要とされた時代。あの時代に造られた開拓集落は、独立性の高い城砦になっている)

(ですが防衛施設というには造りが随分と甘いのではないですか? 城壁も低く守りにくそうに見えます。地下で見た変異生物の群れが来たら、ひとたまりもありません)

(それはたぶん平穏な時期になってから、拡張された領域だからだな)

(どういうことですか?)

(周りを見てみろ。城壁内にあるのは耕地や倉庫で、住居そのものは隣の区画にある)

(そのようですね)

 ロボットは周囲の闇を軽く見渡した。僕の目には施設の影しか見えないが、彼女にははっきりと判別できるのだ。

(開拓初期の人々は狩猟で糧を得ていたから、城内に大きな耕地を持つ必要がなかった。そのため、平穏な時期になるにつれ、城砦は拡張を迫られることになった。開拓初期から残る集落は、拡張された時期によって、複数区に区分されていることが多い。ここの構造に合わせるなら、最も大きな耕地、中規模の屋敷地、そして最初にあった城砦だ)

(確かに隅にある建物だけは、かなり老朽化していますが、段違いの防備のようですね)

 少女は目を上げて頷く。

(あの建物に向かっているのですか)

(そうだ。創世の時代の集落では、鍛冶場はだいたい旧城砦にある)

 そこには継戦のための施設が集中しており、鍛冶とはまさにその中核だったからだ。

(奴らの向かう先はそこだろう)

(そのようですね)

 僕たちは集落の中心を貫く大通りを歩き、屋敷地の狭い生活道路を抜けて、旧城砦の領域に到着した。

 高台に建てられた巨塔――

 四囲を囲む二十メートル近い高さの壁が、巨大なシェルターを形作っている。そこに穿たれた小さく分厚い門は、開かれたままになっていた。鉄屑に囲まれた門への道を僕たちは進む。

 道なりに無造作に置かれた無数の鍛冶の装置、それらはごく平凡で、原始的な構造だったが、設計の発想、加工の精度―― あらゆる箇所に製作者の知識と技術の水準が、隠しようもなくはっきりと刻み込まれていた。彼らは自力でこの領域まで達したのだろうか。

(誰か、来るようですね)

 複数の足音、背後からだ。

(身を隠そう)

 僕たちはガラクタの山に身を隠した。直後、姿を現したのは男たちだ。荒野に出ていたらしき外套の一団は、脇目もふらず塔に入っていくと、その場で荒々しく叫んだ。

「彼女はいなかった! 部屋はからっぽだ!」

 帰還した彼らの一声が場に染み込んだ後、塔の中では言語以前の喚き声が沸騰した。

 僕はロボットの実況を聞く。

 聴覚情報を共有できれば楽だったのだが、数秒だけやってみた結果、人類には無理だと気付く。

 感覚データの構造そのものが違っていた。それは聴覚というより振動の知覚に近い。無理に喩えるなら、振動によるずれが際立つように感じられ、人間の感覚で言うところの、文字と捉えられるような知覚形式だった。

 人間の認識では混沌でしかないものから、陽電子脳は人の声を容易く判別していた。

 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇


 からっぽだと、どういうことだ? 玉座も白桟敷も消えていたんだ! あんな大量のもの、どうやって運ぶんだ? 運び屋が十人もいれば十分だろ! だから運べるほど道は広くないだろ! 知らねえよ! 抜け道を通った跡もないんだ!

 最初から回収を考えていたのか? 奴らを誘い込んだのは村長だぞ? あのクソ爺が売りやがったんだ! エルマーは何をしてやがったんだよ! 長老から聞いたろ、やられたんだよ! ウソだろ、誰がエルマーをやれるってんだよ?

 眠り姫はどこに連れて行かれたんだ? 貴族どもだ。奴らが運んでいるんだ! 助け出さないと! 時間はないぞ! 貴族だぞ、勝ち目なんてねえだろうが! クソ貴族が何だってんだ! 奪い返して隠す!

 お、おい、やめろ、村ごと滅ぼされるぞ! 知るか! 偵察だ! 計画を練る! おい、あいつらを止めろ、な、お前ら、なぜ!


 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇


 男たちは貴族のキャラバンに襲撃をかけ、彼女を助け出そうとしているようだ。その混乱した様子を窺いながら、僕たちは対応策を考える。

(どうしましょうか?)

(どうするも何も……)

 このまま放置して貴族を襲撃させ、反撃で皆殺しにできれば、余計なことを言う口もなくなって、全て解決するだろう。だがそうなれば、鍛冶師たちだけではなく、集落全体に厳罰を与えなければならない。ベルにそんなことはさせたくない。それに、生き残りが妙な自白をしたなら、不利になるのは僕とこのバカだ。

(彼らは私のことを知っているようです)

(姫だとか呼んでいたな)

(眠り姫ですね)

 それはかつて存在していた童話の名だ。開拓時代に残っていたとは思えないが、人の心を強く打つ物語は、人の恐れと願いを反映しているものだ。伝承が途切れたとしても、単純な筋立てそのものは、年月のうちに再創造されることが多い。

 問題は、陽電子脳搭載の機械だと、奴らが気付いていたかどうかだが、今は手を出す気にはなれなかった。これは彼らとロボットとの問題だ。

(お前は奴らのアイドルだったようだな)

(納得です。この姿は私の自慢ですから)

 とぼけたことをうそぶくロボットに、僕はため息をつく。

(このままだとどうなるのでしょうか)

(お前がここにいるんだから、襲撃は失敗するしかないな)

 目当てのものがないのだ。仕方のない話である。

(その後は?)

(傭兵たちに返り討ちにされるか、鎮圧後に処刑されるか、何とか逃げきるか、どうなるかは彼らの努力次第だ)

(穏便に済ませたいところです)

 彼女が動き始めようとする。

(どうするつもりだ?)

 計画はないのか?

(どうにかします)

 ないのか。うんざりだ。その時だった。

「待ってください!」

 僕の耳にも響く大声は、あの少年のものだった。

「いつになったら説明が聞けるんですか!」

 僕たちの他にも部外者がいたようだ。


 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇




 少年は困惑していた。

 貴族が語った地下の大真竜の存在――

 それさえまともに信じることができず、途方に暮れていたところにこの混乱だ。

 広場での宴の予定が図面に描かれる。骨董まがいの武器が山と積まれる。そして貴族の隙をつくための戦術が、熱気に満ちた議論で組み上げられる。疲労に酩酊した深夜の勢いのままに、強奪の計画は実現へと近づいていく。

 それは破滅への道だ。

 集落に戻り次第、鍛冶師たちから、経緯を聞こうと思っていた。大ごとにするつもりはない。そのために村長に報告するよりも先に、彼らの言い分を聞きに来たのだ。機会をくれた貴族に弁明するためにも、必須の事情聴取だった。だが塔の鍛冶師たちは、少年には目もくれず、襲撃計画を検討し始めたのだ。

 もう我慢の限界だった。

「大真竜のことを説明してください! もしこのまま何も答えないのなら、父にありのままを全て説明します! あなたがたはそれでいいんですか!」

 少年の怒声に男たちが止まる。そこにいることに今気付いたかのように、男たちは訝しげに少年を見る。

「長老、関係のない奴をなぜ連れて来た?」

「勝手についてきたのだ、仕方あるまい」

 黙って場を眺めていた老人は笑う。

「ふんじばっておきますか?」

「形ばかりそうしておくか」

 老人は頷いた。

「な、何を?」

 汗だくの男たちがにじり寄ってくる。街暮らしの少年は非力だった。身動きが取れなくなった彼は床に転がされる。

「長老、どうするおつもりなんで?」

 老人は言う。

「貴族に反抗した地は例外なく滅びている。お前たちがどこまで先を見ているのか、勢いだけで何も考えていないのか、どうにもよく分からないのだが、本当に襲撃すれば私たちも滅ぶ」

 老人は男たちを見回す。

「覚悟はあるのか?」

 男たちは一瞬息を呑む。沈黙が部屋を支配する。

「当然だろうが! 俺はやるぞ!」

 その重みを突き破るように大声が響くと、ためらっていた残りの男たちも、負けじと口々に叫び始める。

「そうか」

 老人はその叫びの合間に告げた。

「ではお前たちは死ぬ。私も死ぬ。私たちはその死の意味を知っているが、残された者はどう思うだろうか。私たちの罪を共に背負う彼らは、理由だけでも知りたいと願うだろう。彼は次代の村長だ。私たちの味方をしなければ、簡単には殺されないはず。私は彼を証言者として残したい」

 老人は少年を見返した。

「どうかね?」

「あなたが何をしようとしているのか、私には全然理解できませんが、今は縛られて動けませんから、あなたが話せば耳には入るでしょう」

 彼らの言い訳を聞く気はなかったが、貴族への弁明の材料は欲しかった。

「虫がよすぎたか」

 老人は黙り込む。無為な時間が過ぎていく。折れたのは少年だった。ため息をつくと言った。

「私は聞くと言ったつもりです。いつまで黙っているんですか」

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