第8話 取引

 乾いた銃声が響いた。

 微かな動きを視界の隅に捉えた瞬間、僕は反射的に回避行動をとりつつ、銃口を向け、引き金を引く。血と脳漿を噴いて倒れたのは炎を纏う屋敷の使用人だった。宝玉が大量の創生光を放ち蒸発する。その場に残るのは魂なき屍だけ。これが貴族の死にざまだ。暗闇の中、柔らかな絨毯の上を僕は銃を構えて歩く。

 屋敷内は静かだった。エンダーが放った強襲部隊が既に屋敷全体を蹂躙している。ロデリック・エンダーは屋敷の住人を切り捨てたのだ。

 暗殺者の仕事は殲滅で、それは果たされている。生き残りはいないはずだった。だがいると考えて動くべきだ。

 僕はこの屋敷に戦いに来た訳ではない。探しもののために来たのだ。だが戦う用意を解くことは単純に死を意味する。先ほどのように隠れて難を逃れた者が突然襲ってくることもある。その不意打ちに対処できるかどうかは、備えているかどうかで決まるのだ。僕はただの人間でしかなく上位の貴族に抵抗などできない。だが貴族も死ぬ時には死ぬ。下位の者は特に。人間にも貴族は殺せるのだ。 

 僕はただ探す。

 僕ほど、この屋敷を知る余所者はいない。僕は間取りや家具の配置を覚えることに、非人間的なまでに長けている。それが戦闘要員ではない僕がここにいる理由の全てだった。

 僕は探し続けた。

 貴族の内部での権力の均衡にどのような異変があったのか、僕には分からないし、知ろうとも思わない。今僕がしているのは、あの男に命じられた仕事―― それ以上でもそれ以下でもなかった。

 探しものは一人の子供―― その子供はイフリート家系の傍系に当たる。イフリートの家系は第一世代貴族の一つだ。あの男はその子供を利用し、次期当主争いに割り込みをかけて、イフリートを内側から掌握しようとしたのだ。その策自体は成功しなかったようだが、かの家系を未曾有の混乱に陥れたことで、所定の目標は十分に達成したと言えた。イフリートが以前の勢威を回復するには相当の時間がかかることだろう。

 あの男の敵は増える一方だったが全く気にする様子はなかった。奴にはそれ以上の味方がいた。世渡りのうまい男だった。

 残るのは最後の後始末―― 子供とその周囲の者は知りすぎていた。ロデリック・エンダーは抵抗を排除し、僕はその間に探索を行う。イフリートの猟犬が突入して来る前に。

 僕は暗闇の中を歩く。

 屋敷の隅、高級そうな木の階段を登り、二階の廊下を突き当たりまで進む。奥まった位置にある部屋は書庫だった。

 隠し部屋というものも実際に設置できる空間が限られている以上、意外に似たような隠し方をしているものだ。この屋敷も典型だった。本棚の裏に隠された扉。その向こうは暗い部屋。

 そこには子供が一人いた。まだ五歳ほどの少年だ。僕は少年に銃口を向ける。少年は自分に突きつけられたものがおもちゃだとでも勘違いしたのか、怖れる気配もなく、興味津々の目つきで僕を見た。

「何だよ? お前、何持ってんの?」

「これのことか?」

 僕は手の中の鋼の凶器を振る。少年は頷く。

「拳銃だ」

 僕は答えてしまった。この時、問答無用で撃つべきだったのだ。

「ケンジュー? 何だよそれ? 面白い形してるな。何に使うんだ?」

 その瞬間、少年の右手の腕輪から燃える炎のような赤の霧がふわりと漏れ出てくる。触れた周囲の木製家具がくすぶり始める。イフリートの火焔霧―― 貴族に武器など必要ない。彼らは生まれながらにして超越者なのだ。

 少年は「まずった」と無邪気に笑い、霧を収めると銃口に顔を近づける。

「いきなりこんな所に閉じ込められてさ、意味わかんねえんだけど。これ変な形だな?」

 僕は指が震えるのを感じた。いかにイフリートの炎でもこの距離で銃弾は防げない。今引き金を引けば確実に少年の脳髄を吹き飛ばせる。殺さなければならないのだ。それが一番いい方法のはずだった。今までだって、何人も同じように殺してきたはずだった。だがこの無防備な少年は、あの時の自分に、抵抗することも知らなかった自分に重なった。

「なあ、お前は、俺をどう思う」

 少年は言った。

「なんだか知らないけどさ、お偉いさんの跡取りらしいんだけど、ここにいるんだったらお前も知ってるよな、うまい飯は食えるし、みんな優しいし、勉強とかは大変だけど、それも仕方がないことだし、嫌なことはないんだけどさ、何だか変なんだよな……」

「……何がだ?」

「外に出られないんだ。俺はさ、色々なものを見てみたいんだ。ならなきゃいけないのなら、跡取りにでも何でもなってやるけど、それまでは少しくらい、夢を見てもいいんじゃないかと思うんだ」

「……夢って?」

「俺は動物を見て、触って、調べたいんだ。あいつら、かわいいだろ。一度でいいから本物に触ってみたいなあ」

 少年は照れながら呟き、僕を見つめる。

「分かってんだぜ、頭の悪い俺でも。何かまずいことが起きてることぐらいは。俺はどうなるんだ? お払い箱かな? いや別にそれでもいいんだけどさ」

 少年の目は不安と希望に揺れていた。

 彼は何も知らない。だが彼を擁立していた一派が残虐な暗殺を繰り返した事実は消えない。イフリート本家の復讐心は少年自身を討つまで収まらないだろう。その復讐は評議会も認める正当な復讐。ならばそれは正義だ。君の夢は叶わない。君は僕が撃つ。僕が撃たなければイフリートが焼く。君は死ぬ。手が震える。

 どうしていつもこうなるのだろうか。なぜこんなものばかりを見なければいけないのか。僕は何のためにセントラルに来たのか。引き金にかけた指から力が抜けた。僕がぐずぐずと話し込んでいた時間はさほど長くはなかった。しかしその間に僕は脱出不能になった。イフリート直系の強襲戦力である猟犬が屋敷を制圧していた。僕と少年はそこで捕まる。僕には幾つかの余罪があった。

 拷問の後、解放された僕をロデリック・エンダーは強引に郊外に連れて行った。そこは荒れ果てた水路のほとりだった。少年はぼろぼろの姿で磔にされていた。

 全身の皮膚は火焔で焼き焦がされ、頭は潰され、四肢は切り落とされ、胴には幾本もの杭が刺さっていた。

 苦しんで死んだのだろう。表情は歪みきっていた。腕の宝玉は失われていた。ロデリック・エンダーは肩をすくめた。

「ドジを踏みやがって、詰めが甘いんだよ。分かるか、お前がさっくり一撃で楽に死なせてやるべきだったんだ。そうすれば何もかも穏便に済んでいたんだ。俺の名を継ぐお前には期待していたんだが、アンナ婆さんの見立ても当てにならんな」

 お前の期待なんぞ糞喰らえだ。監禁で痩せ衰えた身体を操り、僕はロデリック・エンダーに背を向けた。振り返る必要はない。僕はその足でトランスポーターへ向かう。僕は十五歳でセントラルを追放され、ベルトに戻ることになった。

 そして三年が過ぎ――

「これは君にしかできないこと、じゃないかもしれない。でもきっと君にしかできない、君にしか気づけない何かがあるはずだよ」

 黄金の瞳の少女はそう言って、トランスポーター近くにいた僕を誘った。

「こんなとこで腐ってないで、どう? 今ならこのアルテミシアが、もれなく力添えしちゃうよ?」

 その言葉は救いだった。未来も目標も見失い、日々の暮らしを回していくことしか、考えなくなっていた僕にとって、それは再出発のきっかけだった。


 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇


 目覚めると周囲は既に明るい。スターライトの照射量は最大になっているようだった。思い出したくもないことを夢に見た気がする。頭が重く、まぶたを動かすのも面倒だった。だが考えなければならないことが多すぎた。時間を浪費してはいられない。

 まぶたを開く。

 頭上には夕焼けに輝く瞳があった。肝が冷える。無感情な視線だった。だが、それで意識がはっきりとした。

(……目が覚めたようですね)

 むっつりとした表情のまま、ロボットの少女は口を開くこともなく言う。触れずとも声は届くようになっていた。服装はぶかぶかの作業着だ。以前の服はぼろぼろになっていたので着替えをもらったのだろう。

(お前のおかげで、しっかりとな)

 俺は起き上がる。

(いつからここにいる?)

(朝からですよ)

(ベルとアリスはどうした?)

(ご心配なく。許可はもらってあります)

(あいつらが許したのか)

(どうして断られることがあるでしょうか。か弱い子供が、見知らぬ大人たちの中で、ただ一人の知り合いのそばにいたい、と頼んでいるのです。当然の結果ですね)

 笑わせる話だった。戦闘用サイボーグがか弱い子供だと。だが何も知らない者から見ればそうとしか思えないのも確かだった。

 彼女が見た目通りの人間の少女なら危険性などあるはずもない。男一人にも抵抗できず、スラムを一人歩きしていれば、あっという間に拉致されて売り払われてしまうような弱い存在、そんな程度にしか思われないはずだ。

(朝食を用意しています)

 テントの隅にトレーがある。

 パンと燻製の肉、それにスープがのっている。スープはもう冷えてしまっているようだった。

(時間はあまりありません。食べながら話しましょう)

(こういう時、口を使わずに喋れるってのは便利だな)

 パンをスープに浸しながら食べつつ、人間というのも不便な生き物なのかもしれない、と僕は少し思った。

(そういえば、お前は食事はできるのか)

(朝食ならもう食べました。そうでなければ生物として不自然です。分解炉は装備されています。分解に使う分と得られる分で、エネルギー収支はほぼとんとんなので、動力源にはなりませんが、生物として擬態するには十分でしょう)

(分解なら排泄は必要ないのか? だが、しないと不自然じゃないか?)

(下品ですね。心配は不要です。一部を加工したうえで、排出する機能も備えています)

 少女は眉をひそめると、

(そろそろ聞かせていただきます)

 そう言った。

(何をだ?)

 僕は問い返した。

(昨夜のことです)

 彼女は今ここで直接的な暴力に訴える気はないようだった。テントの端、寝床から離れたところに座り、静かに僕を見つめている。やりたくてもできないのだろうと僕は思う。音を出せば周囲に悟られる。貴族に気付かれれば少女はもう終わりだ。

(正直なところ状況を把握できていません。あの赤い霧は何なのですか? あなたがたはいったい何をしたのですか?)

 少女は僕を睨む。

(そんなに知りたいのか?)

 僕は少し意地悪な気分になった。

(……別に)

 少女は予想通りの回答を返す。

(ふうん。なら説明する必要はないな)

(またですか、あなたは)

 少女は表情を変えなかった。

(今度はどうして欲しいのですか? 電撃で? それとも暗闇で? もっと直接的な暴力がよろしいですか?)

 その反応は本当に予想通りだった。このロボットは苛立っている。途方に暮れて困っている。僕のことあるごとの反抗にどう対応していいか迷っている。それで暴力に訴えるしかないのだ。

(毎回そればかりだな! お前は自分の望みを誰かに押しつける時に、脅迫しか使えないのか? それがどれほど非効率か分からないのか? よく考えてみろ、僕がそれでうまく動いたことがあったか? 他にやり方があるとは考えないのか?)

(何が言いたいのです?)

(交渉は本質的には力の較べ合いだ。強い者が意志を通す)

 少女は頷いた。

(分かっているではないですか)

(だがそれだけでは通らない。いいか、武力を背景に理不尽な要求を突きつけた時、人間はどうなると思う?)

 ロボットは戸惑っていた。

(勝てないのなら従うしかないでしょう)

 そして分かっていなかった。

(お前はそれでいいのか? お前は勝てないなら従うのか? そうは思わないだろう?)

(私は陽電子脳、造られた道具です。あなたは生物です。私は仕事を成し遂げるために在る。あなたがたは生きるため、子孫を繋げるために在る。そうではないのですか?)

(生きるためか。それも一つの真理かもしれないな。でも僕たちは遺伝子の乗り物じゃないんだ。僕たち人類は確かに生き続けて、世代の連鎖を繋げて来たから今ここにある。だけどそれは、全体的に見ればそうなっているってだけで、個体から見ればそんなものは関係ない。僕たちはただ感情と欲望に駆り立てられる。少なくとも僕はそうだ。僕は命が一番重要だとは思っていない)

(では何が重要なのですか?)

(大したものじゃない。

(痛みも死も恐れないと? そんな人間はいません。それに分からないなら、じっくりと教えてあげればいいでしょう)

(そうだな。それで何とかなることもある。だがそれも慣れるし、苦痛を本格的に味わう前に死ねば万事解決だ。黙って苦痛を受け入れると思ったら大間違い、それこそ逆効果ってものさ。死んだ方がましなら何でもできる)

 実際、僕の死を前提にすれば、彼女を巻き添えにする方法は幾らでもある。特に周囲に貴族が二人も控えている今なら。とは言えまだ死にたくはない。こんなことで死ぬなんて馬鹿らしい限りだ。だがそれにしても、馬鹿らしくない死なんてあるのだろうか?

(ではどうすればいいのですか? あなたはどうして欲しいのですか?)

 少女が根負けしたように尋ねてきた。

(最良の交渉の終わり方は、双方が共に利益を得る解決を見つけることだ)

(私に取引を持ちかけたいと、そういうことですか)

(僕が君の求めに応えやすくして欲しいだけだ)

 少女は黙り込む。その表情から内面を読み取ることはできない。彼女の仕草と思考がリンクしているとしても、今は外しているに違いない。

 僕はふと冷静になってその姿を眺めた。赤みがかった金髪に白い肌。食事の後ということを反映してか、少し血色はよくなっている。

 この少女は本当に陽電子脳を搭載したロボットなのだろうか。

 もしかして彼女は古代のテクノロジーを受け継いだだけの人間の子供なのではないだろうか。

 実際この少女は陽電子脳らしくふるまおうとしており、確かにそう見えないことはない。だがそもそも僕は陽電子脳がどのようなものなのか、それ自体を伝聞でしか知らない。もし彼女の演じるものが実際の陽電子脳と違っていたとしても僕には区別などつかないのだ。

(何が望みですか?)

 少女は僕に尋ねた。僕は物思いから覚める。

(いい判断だ)

(言っておきますが、あなたの要求が、全て受け入れられるとは思わないでください。私には私の目的があります。それに抵触することはできません)

 僕は全力で無感情を維持する。読まれてはならない。こんなにも喜んでいる自分を。

(大したことじゃない。僕の希望は単純だ。今の君は理解しているはずだ。単純な力では、この大陸はどうにもできない。昨夜の貴族の力を見た今なら、それはもう認められるだろう?)

(確かにあの力は規格外であると思います)

 少女は短く肯定した。僕は要求を伝える。

(君には情報が必要だ。だから僕は君にこの大陸の知識を語って聞かせよう。もちろん君の正体の隠匿にも協力し、できる限りで君を守ろう。その代わりに、三年間だ。君は僕の傍に三年間いて、僕の手助けをしてほしい。君の力は有用だ。言ってしまえば金になる。もちろん危険なことを強制したりはしない。自分の身を守ることを優先するのは当然だ。ただし、僕の家族には手を出さないでくれ。もちろんこの大陸の環境にもだ。大陸が居住不能となっては、僕も生きてはいられないからな。その後のことはそこで考えよう。今のところはこのあたりでどうかな?)

 僕たちはある意味似たもの同士だと思う。思考の傾向が似通っているのだ。目的のためなら手段は選ばない。目的が手段を正当化する。僕はそういう人間だ。道理というものを弁えていないのだが、元々盗賊なのだから当然というものだ。僕の倫理は暴力や詐欺を完全には否定しない。だがそのせいで陽電子脳とは気が合うようだ。

(一緒にしないでください)

 わざと聞かせた思考に少女は冷ややかに答える。

(私は寛容で慈悲深い存在です)

(拷問大好きロボットが、何か妙なことを言っているな)

(あなたのような、自分のことしか考えていない悪人と、一緒にされては大迷惑です)

(人類千億をぶち殺した当事者が何を言う)

 少女は僕を睨んだ。

(いちいち茶々を入れないでください)

(お前は最低最悪の悪党なんだ。自覚しろ)

 少女は目を細めた。

(今のあなたと話しても何の意味もない)

(同感だ)

 そして少女は頷いた。

(……その取引を受けましょう。私はあなたのいう条件を守ることを、約束します。ただしその約束が続くのは、あなたが務めを果たす限りでのこと。義務を怠ったその時には、契約は即座に破棄します。それでよろしいなら……)

 僕も頷く。

(それで問題ない。交渉成立だ)

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