第9話 出自と目的と手段

 僕は僕自身の心を省みる。僕は勘違いをしたくはない。何のために行動したのか、それを欺瞞で覆い隠したくはない。だからもう一度省みる。

 交渉という言葉は適切ではない。僕はただ脅迫し返しただけだ。レンフルーという降って湧いた脅威を利用し、無知に付け込んだ。耳触りのよい言葉を弄して彼女を騙しこんだ。それだけだ。

 彼女には本来、僕を奴隷にするだけの力があった。だが見てみろ。今や彼女が僕の奴隷だ。僕が口先だけでこのロボットを利用できるのだ。それが今起きたことの本質だ。最悪の気分だった。

 僕は分かっていた。彼女は力で僕を動かそうとしたが、決して嘘をつこうとしなかった。その彼女の誇りを僕は利用したのだ。暴力で人を動かすことと、その愚かさをついて人を動かすこと。どちらがより忌まわしい行為なのか。僕には分からない。だがこうしなければ大事なものを失っていたのだ。だから後悔はしない。僕は自分にそう言い聞かせた。

(もう一度確認させてください)

 テントの隅に座り込む少女は問う。

(私があなたの条件を守る限り、あなたもまた、私に対して、いかなる情報提供を拒まない。そういうことでいいのですね)

 僕は頷く。

(その通りだ。下着の色でも答えよう)

(不要です)

 少女はぴしゃりと断ると、

(では、昨夜のことを教えてください)

(何を知りたい?)

(レンフルーという言葉について)

(構わないが、余所では喋るな。誰もが知っていい話ではない。貴族の恥になることだからな)

 僕は前置きして、話を始める。

(レンフルーは殲滅者と呼ばれ、陽電子脳との戦いで最も多くの陽電子脳を始末した、第一世代の中でも名高い家系だ。全力を出せば全てを溶解する霧で何千もの敵を道連れにするができた。もちろんその規模の力を生み出せば本人は確実に狂うか死ぬかするんだが、レンフルーは全力を出さずとも貴族の中でも最も狂気に近かった。

 貴族は正気を削りながら能力を使う。大規模に展開する能力を持ち、それを使う機会の多い貴族は、稀に五十を待たず変調を迎えてしまう。

 周囲の者の選択肢は二つある。

 一つはその場で生涯を終わらせること。だがそれが選択されることはあまりない。変わり果てても家族だ。狂ったからといって殺すのは忍びない。だが危険すぎて傍に置くことはできない。だから、もう一つの選択肢が選ばれる。

 ベルト地帯に追放するんだ。

 狂った貴族は辺境の迷宮に捨て置かれる。彼らのほとんどはその場に留まり、五十になると死ぬ。だが時に捨て置かれた地から放浪を始め、人里を襲い、その地を滅ぼす者もいた。その被害は大小様々だが狂えるレンフルーは甚大な被害を残した。その被害があまりに酷かったものだから、ベルトの恨みに鈍感な貴族の側にしても僅かながら罪悪感を持っている節がある。狂える貴族としてのレンフルーは、その意味で貴族の傲慢の象徴とも言える。その名を聞くたびに貴族はどこか居心地の悪い思いをする。だから貴族はその名を避けたがる訳だ)

 少女は一言だけ感想を言った。

(あなたがたの社会は狂っています)

(そうかもしれないな。だが問題が放置されている訳じゃない。五十年以上前から、ベルトにいる狂える貴族は、セントラルの天文台で監視されている。そして危険な家系が移動を始めた場合、ベルとアリスが今日そうしたように、ベルト駐在の武官が対応することと定められている。今の社会だって最悪ではないさ。さあもういいか。満足したなら次の段階に進もう)

(次の段階ですか)

(そうだ。もう分かっているだろうが、今のお前はかなり怪しい存在だ。外見からしてベルトの住民ではない。かといって貴族でもない。そんな人間がこの辺境の荒野にいる。たったこれだけの事実でも、まともな者なら疑問だらけになるはずだ。まずお前が何者なのか。そして何が目的でここにいるのか。最後にどんな手段でここまで来たのか。最低限でもこの三点は疑われない程度に詰めておく必要がある。少なくとも二人が納得するところまではな)

 これは昨日から合間に考えてきたことだ。彼女の正体を言うことは論外だった。僕の頭が吹き飛ぶだけではすまない。まず信じてもらえないだろうし、信じてもらえても大混乱は必至だ。最終的にこのロボットを破壊することができたとしても、何十人死ぬか分かったものではない。隠し通さなければならないのだ。

(まずは出自だな)

 僕は説明を始めた。

(この大陸の人間には幾つかの区分がある。まず生物学的には貴族と旧人類種だ。貴族は進化した人類でこの大陸の覇者だ。ほぼ全員がセントラルに居住している。宝玉を隠せば普通の人間と変わらないが、文化的にも独特のところがあるから、そうであるかどうかはすぐに分かる。それにもし文化を模倣できても、力そのものは再現できないから、どこかで詰むことになるだろう)

(つまり貴族に擬態するのは無理である、ということですね)

(そういうことだ。次に旧人類種、一般的な人間だが、まず分類するとすれば居住地だな。セントラルとリバース・セントラル、そしてベルト地帯だ。セントラルにもそれなりの数がいる。技術者をしていることも、貴族の召使いをしていることもある。いい職についていればそれなりに裕福だ。だがやはりお前の擬態先には適さない。理由は貴族と同じだ。文化的に独特のところがあるから、今のお前では演じきれないだろう)

(分かりました)

(リバース・セントラルの人間は、僕にもよく分からない。完全に国境を閉ざしていて、外の者は中に入れないんだ。これも擬態は止めておいた方がいい)

(なぜですか)

(僕自身、彼らをほとんど知らないからな。彼らのふりをさせるのが難しい)

(では結論は一つですね)

(そう、ベルト地帯の人間だ。ベルトの人間は最も貧しい。このベルトという領域は、元々居住目的で造られた空間ではなく、最初の住民は追放された罪人だった、という伝説があるくらい居住に適していない。古代の住居群がある以上、それが真実ではないことは確かだが、貴族の中にはそれを信じている者も多い。僕も、人が永続的に住み始めたのは暗黒時代以降なのは確かだと思っている。ともかく僕もベルト生まれの人間だ。ベルト住民のふるまいはそれなりに知っている)

(ですが先ほどの話では、ベルトの住民というには私の外見は相応しくない。そう言っていませんでしたか)

(あくまで一般的なベルト民としてはだ。ベルトにも少数だが大金持ちはいる。ベルトには集落が点在しているが、その中でも四つの都市は、とりわけ人口が多い。そこなら数えるほどだが、セントラルの住民よりも豊かに暮らす者もいるだろう。狙うとすればはこの層だろうな)

(資産家の数が少なければ、確認することも簡単です。それでは出自が偽りであると、露見してしまう可能性が高いのでは?)

(そこは逆に考える。特定と確認が容易だからこそ、家名は秘密にする。この貧しいベルト地帯で、豊かに暮らせているんだ。どの家も十分に恨みは買っている。家名を知られてしまえば、敵に利用される可能性が出てくる。だから具体的な名は伏せる。そういう理屈で行く。もちろん口にしないにしても、矛盾のないよう、どの都市のどの家か、それなりに決めておく必要はあるだろう)

 僕たちはそうして作戦を練り上げていった。


 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇


 それから数時間後――

 キャンプの中心の現場監督のテントに、僕とロボット、ベルにアリスが集まる。

「ラッカードさん、休養はもう十分だよね」

 アリスは僕の対面の椅子にあぐらをかいて座り、にやにやと笑っている。行儀の悪い奴だ。ベルはその隣に座っている。僕は二人に対面する席に座らされていた。少女は僕の隣に腰を下ろしている。手筈通りにおびえた表情で僕の腕にひっついていた。

「ああ、そこの君、まず言っておくけど。ここはその、何か罰を与えるとか、そういうのじゃなくて、何があったのか事実を知りたいな、っていうだけの場なの。だから、気を楽にしてほしいな」

「罰を受けるのはラッカードだけ」

 ぎろりとベルが僕を睨む。

「ベルも変なこと言わない」

 そんなベルを軽くたしなめて、アリスは僕を見る。

「でもラッカードさんも、申し開きがあるならしっかりすること」

「そうさせてもらう」

「もう」

 アリスは溜め息をつくと、少女に話しかけた。

「じゃまず自己紹介をお願いしていいかな」

 アリスの言葉と共に、全員の目が少女に向けられた。少女は僕を見つめた後、まずベルを見て口を開いた。

「あ、あの、昨日はひどいことばかり言って、すみませんでした。なんだかびっくりしてしまって」

 ベルは僅かに目を見開き、少し照れるように返した。

「あれは、その、私も少し疲れていた。私こそ、水に流してくれると嬉しい」

 少女は静かに微笑む。

「ありがとうございます。では私は……」


◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇


(それで呼び名はどうする? 言っておくが、最初に名乗った識別番号は使えないぞ。あれは人間の名前じゃない)

 僕は全てを相談し終わった後、思い出して尋ねる。考えてみれば聞き忘れていた。

(呼び名ですか?)

(偽名で構わないが、反応できないものにはするな。偽名を使っていると知れたなら厄介だ)

(そうですね……)

 少女は僅かに遠い目をする。

(ああ、思い出しました。昔も、同じように識別番号を名乗って、同じように言われたことがありました)

 たぶんその相手は人間なのだろう。僕はふと想像してしまう。彼女が誰かと会話を交わしたのは、どれほど過去のことなのだろうか。しばらくして少女は言う。

(……フレア。そう呼んでください)


◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇


「私はフレアです。家名は言えません」

 少女ははっきりと告げた。

「言えないってのはどういうことかな」

「家に迷惑はかけたくありません」

「僕がそうしろと言ったんだ」

 僕はそこで口を挟む。

「どういうこと、ラッカードさん?」

「フレアは古い馴染みだよ。セントラルを出た後に、ベルトのとある都市で知り合ったんだ。生まれた家はかなりの資産家で、二人も耳にしたことはあるかもしれない。だが秘密にさせてほしい。言えば確実にその家に悪影響が及ぶからだ」

「確実に悪影響が? どういうことだ?」

 僕が話そうとして少女が押し留める。

「それは私から話します」

 決然とした表情で少女は二人を見た。

「私がここでロデリックに会ったのは偶然です。けれどここにいたのは何も特別なことではありません。私は探索者をしていますから」

 探索者というのは山師稼業の別名のようなものだ。

「探索者を? 君が?」

「見た目だと弱そうに見えるかもしれませんが、これでも大人よりも頑丈なんです」

 そして言う。

「……私は身体に変異を持っていますから」

 その瞬間に二人の表情が凍った。


 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇


 そう、今回の偽りの、全ての中心となるのはこれだった。どのようにしてここまで来たのか。どんな出自で、どんな目的があろうとも、十三、四歳の幼い少女がベルトの辺境まで一人で来るというのは、根本的にありえないことなのだ。この難題をどう克服するか。この点に関しては僕とロボットの間で意見が分かれた。

(単独では来るのはどう考えても無理だ。護衛がいたことにするしかないだろう。今ここにいないのは、途中ではぐれてしまったことにしよう)

 ロボットは首を振る。

(それで故郷まで送るという話になっても困ってしまいます)

 確かにそうだ。

(それを防げる理由は考えておくべきだな)

(どうしてそこまで護衛にこだわるのですか?)

(どういうことだ?)

(護衛がいなくても一人旅ができる力があれば、それで十分なのではないですか?)

(そんなこと……)

(私としては、非力な少女と言うより、少なくとも身体的には規格外の力を持つ存在であるという認識で見られる方がこの先何かと便利ではないかと思います。隠すよりも堂々と力を発揮できる方が動きやすいでしょう)

(それは確かにそうだが……)

 この大陸の人類において規格外の能力を持っている者といえば、一番に挙がるのは貴族だ。だが貴族を偽装するのは不可能である。ならば他に何がいるのかと言えば、もう選択肢は一つしかない。

 それが変異持ちという存在だった。

 大陸には変異生物が溢れている。この変異は人間にも僅かながら及んでいた。多くはろくでもない外見的変化を伴ったが、ごく稀にあまり外見が変わらないまま、別の生物となることもあった。そしてどちらも共通して社会からは、忌まわしいもの、人間ではないものと扱われた。そして変異持ちが生まれた家もまた潜在的に呪われた家系として忌み嫌われた。故に変異持ちは生まれなかったことになる。だが生まれたばかりの我が子を殺せる親がどれほどいるだろうか。

 生まれた子供は闇に流されて、育った異形は社会の裏に蠢く。

(分かった。それで行こう)


 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇


「変異を……?」

 少女は頷くと服をはだける。あらわになった腹部には鱗があった。

「この力のおかげで、私は一人でも旅ができるんです」

 空気が凍った。アリスとベルは顔を強張らせていた。ベルが僕に厳しい目を向けた。

「知っていたのか、ロッド?」

 僕は苦虫を噛み潰したような表情を作る。半分は演技、半分は本気だ。ただこの場を逃れるために、最も恵まれぬ者であると偽る。僕たちがやっていることはそういうことだ。犯罪の片棒を担がされた気分だった。

「……知っていた」

 だが真実はもっと具合が悪い。こいつは変異持ちですらない。六百年の眠りから目覚めた陽電子脳なのだ。僕は既に人類の裏切り者だった。沈黙が場を支配した。

「私たちは何も聞かなかった。彼女がここに来ることができたのは、雇った護衛と一緒だったから。今それがいないのは、途中で変異生物に襲われて、はぐれてしまったから。ともかく今はそれが真実だ」

 それを破ったのはベルだった。

「それでいいな、アリス、ロッド」

 僕とアリスも頷いた。

「フレア、君も分かっているだろうが、そのことはしばらく秘密にしてほしい。キャラバンのみなは信頼しているが、君の真実を知って、どう反応するか、という点については自信がない」

 こうなると思っていた。二人とも期待を裏切らずにいてくれた。僕はそれが誇らしく、だからこそ、彼女たちを騙していることが強烈に後ろめたかった。だが話はまとまった。安堵したところで、

「おーけー。ま、フレアちゃんのことは分かったよ」

 アリスは両手のひらをぱんと合わせる。

「その話はこれでおしまいってことも」

 そして僕を見た。

「でも、ラッカードさんのことは別だよね。あたしの警告無視したこと忘れてないよ。さあてどんな罰を受けてもらおうかなあ」

 楽しそうに笑うアリスに悪寒を感じる。そこで助け舟が入った。

「ロデリックは私を追いかけてきてくれたんです。ここの遺跡は先客がいるって分かったんで、もう少し奥に足を伸ばそうかって私思って。そしたらロデリックが追いかけてきて……」

 ロボットの言葉にアリスは目を丸くする。

「へ、そうなの?」

 アリスの勢いが弱まる。俺は言葉を重ねた。

「何かの危険なことが起きると推測はついていたんでな。急いで引き止めに行ったんだ」

「ぬぬ。それは、怒るに怒れないね」

 最後にアリスは言う。

「フレアちゃんはこれからどうするの? また探索に出るのかな。ならもう大丈夫。道中気をつけてね」

 そこでロボットはにこりと笑って爆弾を落としたのだった。

「あの私、もうしばらくここにいてもいいですか。久しぶりに再会したのも縁ですし、しばらくロデリックと一緒にいようかな、と思っているのですが……」

 空気がまた凍りつく。分かっていたことだが胃が痛い。

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