第8話

板野が運転する車内で、会津は事のあらましを話した。迷いはなかった。己の罪を、愚かさを、言葉にせずにいられなかったのだ。言葉を紡ぐ度、心臓に刺さった針を一本ずつ抜いていくように痛む。板野はそれを黙って聞いていた。


「……それで、頭が真っ白になり何も考えられなくなって……後はご存じの通りです。俺の軽率さが人を巻き込みました。本当……」

「もういい。もういいから、自分を責めるのはやめてくれ。頼むから」


 パトカーを道路脇に停め、シートベルトを着けたまま会津の肩を抱く。無表情の会津に反して板野は目に涙を浮かべていた。


「蜘魅の退治および封印は俺らの仕事だ。犠牲者が出たのは俺らの責任なんだよ。お前は悪くない」

「でも、俺が通報しなかったから……!」

「関係ねぇ。河童の戯れ言に騙されたやつはごまんといる、お前だけじゃねぇ。うまい口聞かされて操られた上にあんなもん見ちまったんだから、お前も被害者なんだよ」

「でもっ、割りきれない!」


 板野の言い分も分かる、優しいとすら思う。でもその優しさに身を任せることは人としての矜持に反する気がして素直に受け取れなかった。

 まだ小学生にして強い責任感。自分は悪くないと思ってしまえば楽になるのに断固として意思を曲げない。板野は見ていられなかった。もう、どれだけ言い聞かせても会津の悔恨の情は消えぬだろう。ぎり、と歯を噛み締めた。

 大人として出来ることは無いか必死で頭を回転させる。そうして導きだした答えは、いたってシンプルで……難しい課題だった。


「なら、忘れんな! 後悔を、絶望を。自分を責めるためじゃなくて同じことを繰り返さねぇために! この経験を生かすんだ!」


 この経験を生かす。いいたいことは分かるが、肝心の具体策が思い浮かばない。

 その日から会津は経験を生かす方法を考え続けた。あの路地はもちろん大通りまでトラウマになって学校に行けなくなった。食欲も激減し、一日の半分近く眠ることだってある。それでも考えた。

 そして季節が移り変わる頃。窓から外をぼーっと見つめながら思い出すは板野の言葉。

 繰り返さないためにこの経験を生かす。

 難しい、とても。


(でも、確かにいい方法かもしれない)


 起きてしまったことは変えられない、だから、もし近い将来で会津と同じ目に遭う子供を救う方法を考えるしかない。ずるずる引きずっていても仕方ないのだ。

 では、具体的に何をすべきか。答えはすんなり出てきた。

 リビングへ降りてきて、洗濯物を畳んでいた母へ一言。


「俺、寄す処警察になる」

「…………は?」


 母が手に取っていた靴下が音もなく床に落ちた。


「正直、寄す処人が廃れた原因を聞いたとき…それで、郷の民を救う人がまだいることに驚いた。“散々助けてもらったくせになんで誰も耳を貸さなかったんだ”って腹立たしかったから。でも……一見平和な現代でも蜘魅に苦しめられる人がまだいるんだよな」

 

 あの戦争は忘れるべきではないと思う。だが、もう何百年も前の話だ。現代を生きる郷の民にはなんの罪もないのだから傷つけられていい理由など無い、というのもあるが……あの件で傷ついたのは喰われてしまった被害者だけではないことが一番だ。

 被害者の家族が、手のひらサイズの骨壺に頬を寄せながら泣いているところを目撃した。やっぱり着いていけばよかったと悔やむ鳴子の悔しそうな表情を見た。忠告を聞かなかった会津を叱りつつ、監護不足だったと自己嫌悪に陥る母を影から見ていた。姉も、板挟み状態で家が休まる場所じゃなくなったのに気にしていない風を装っているんだと察した。自分の失敗で大切な人が苦しむことが、会津には耐えられなかった。

 それでも、逃げた方が楽だろう。忘れられたらどれだけ良いだろう。そんなことを考える弱気な自分を握りつぶすように拳を作って、はっきり宣言した。


「もう誰にも、あんな思いさせたくないっ!」

 

 大事な人を守るために強くなりたい。

 幼い少年の一大決心は、世界を大きく変えるだろう。

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