第6話

朝になった。

 会津は自室で本を読み、夜を過ごした。ふと時計を見ると五時を過ぎたところ。少し早いが着替えようと栞を挟んだとき、脳に静電気が走った。


(これ……昨日と同じ……?)

 

 数秒後、また静電気が走った。一回目のよりも強く痛みを感じる。

 既存寄り術は蜘魅だけでなく、寄す処人にも反応するものだ。


(まさか……!)


 河童が寄す処警察に見つかったと判断した会津は早かった。スウェットのままブルゾンを羽織り、素足にクロックスで家から駆け出した。

 衝動的。焼け石に水。小学生ひとりに何が出来るというのか。

 それでも走らずにいられなかった。たった一度しか話していないとしても、知ってる顔が殺されるのは避けたいと思った。警察を説得できなくとも、せめて逃げ道を教えるくらいなら……。

 ひたすら走る会津の頭は、蜘魅だからとか、昔の戦争とか消えていた。

 大通りに出ると河童の気配。それを辿った先は、奇しくも河童と出会った路地裏だった。


「おい……!」


 目的の緑色を見つけ、ホッとして声をかけたその瞬間。


 ーどさり


 重い何かが落ちてきた。

 

(え……?)


 その重い何かは、人の形をしている。

 会津の目の前にあるのは、河童の背中と床に倒れてびくともしない人間。

 頭に浮かんだ仮説。これが事実だなんて信じたくなくて、呆然と立ち尽くすしかなかった。

 

「ああ、貴方でしたか」


 昨日と同じ河童が振り向いた。金色の目が肉食獣のようにギラついている。その手に持つは薄黄色に淡く光る玉のようなもの。これはなんだろう。そう思うが、聞きたくない。

 聞きたくないのに、目線で察した河童は勝手に話し出してしまう。


「これですか? 尻子玉です。人間の意識が詰まっている……魂のようなものですね。美味しいんですよ」


 テニスボール程の大きさのそれを口の中へ。丸飲みしたのにつっかえることなく、綿飴のように消えてしまった。


「うん、美味しい。この方は素敵な人生を送っていたようですね。ああ、もう食べていいですよ」


 暗闇の中から、黒い毛のようなものがびっしり生えた球体の蜘魅が複数出てきた。名は“悪食”。その名の通り口に入るものなんでも食い漁る妖怪である。黒い毬藻のような姿をしていて、手足、目、鼻、耳は存在せず、体調の半分を占める大きさの口があるだけの、食うことに特化した個体。

 その大きな口が、ぐったり横たわる人間の首に噛みついた。骨ごと噛られたそこから血が噴き出し壁を汚す。他の蜘魅も腕や腰に歯をたてた。

 ごき。ばき。むしゃむしゃ……。

 人から出てはいけない音が木霊する。

 会津は、今自分が見ている光景が現実なのか夢なのか分からない。どうか夢であってくれと願う間もなく、生暖かい血が靴先まで流れてきた。


「なんで……」


 やっと出てきた言葉は蚊が鳴くように頼りないものだった。


「なんでと言われましても……私は人間の尻子玉が主食なのです。お腹が空いたから食べた。それだけです」

「……そうじゃない、そうじゃなくて……」

「もしかして、貴方を食べなかった理由を知りたいのですか? 説明せずとも分かっていらっしゃると思っていました。だって貴方は……」

「違う! なんでっ、なんで嘘を……!」

 

 会津の言い分はこうだ。

 河童は人を食わぬと言った。人を襲う一部の蜘魅のせいで生き辛くなっていると確かに言った。だから見逃したのに、こんな裏切りあり得ない。

 涙をためて、震えながら訴えた。


「嘘は吐いておりません」


 反して、河童は至極冷静に返答した。

 

「言ったでしょう? “人間”は食わないと。私の目的は尻子玉だけですから、肉体の処理に困っていまして。そこで、なんでも食べる悪食に喰わせることを思い付いたのです。ごく一部の蜘魅のせいで評判が下がっているのも事実。最近封印されすぎなんですよ。人間を陥れる側のはずなのに逆になっている。不名誉この上ないでしょう?」


 河童の表情は無だ。まるで世間話のような軽い口調。悪意しかない言葉だらけなのに、何故こんなに澄んだ色をしているのか。


(あぁ……そうか)


 会津は悟った。人は嘘を吐くと黒い言葉を発すると思っていた。だがこれは勘違いだった。黒い言葉の正体は罪悪感。騙しているのだから、人は無意識にも抱いて当然のもの。だが……河童は蜘魅だ、人間ではない。本物の悪は身を守れればそれで良いのだから罪悪感なんて抱かない。だから言葉は八面玲瓏になったのだ。

 何故もっと疑わなかったのかと会津は己を恥じた。両親から散々言い聞かされてきたのに。人間と蜘魅の間には修復不可能な亀裂が入っているというのに。たった数時間良い顔されただけでコロッと騙されて、親に嘘まで吐いて、関係ない人を巻き込んだ。しかも、無惨な死を遂げて……もはや、性別すら分からない。


 ーこうなったのは誰のせい?


(俺だ。俺が、昨日通報していれば、この人は生きていたんだ……)

 

 会津の回りには人格者が多い。口は悪いが根は優しい母、寝起きで不機嫌な態度を取っても明るく笑い飛ばしてくれる姉、些細なことでも解決策を一緒に考えてくれる幼馴染み、言葉に色を感じるという突拍子もない話を真っ先に信じてくれた父、いい人ばかりだ。だからこそ……この世の生き物全員いい人だと勘違いしてしまった。

 己の無知が、この悲劇を招いたのだ。

 そう結論付けてから息切れが止まらない。泣きたいが、呼吸に必死でそんな余裕ない。張り付く喉、乾いた唇。何度も何度も息を吸っているのに苦しくて酸欠になり、景色に白いもやがかかっていく。


「矢張人間は分からない。顔を青くする必要が何処にあるんですか?」


 河童は顎に手を当て、首をかしげた。


「人間も、皿までは食べぬでしょう?」


 ぶちん。


 会津の中の、何かが切れた。


「ぁ……ぅ、あ……あああああああああああ!」


 会津から発現した突風が鎌のような鋭さで河童を切り刻んだ。悪食も、遺体も、壁も、地面まで抉りとる。全部細かくなって吹き飛ばされ、どれが何だか分からない。 

 己に対する怒り、呆れ、絶望。度重なる精神的負荷が引き起こした、寄り術の暴走だった。

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