第4話
会津の背後から、明らか人間ではない声。
紳士的な口調に全く似合わない、獲物を締め上げる蛇のように不気味な色。
足が縫い付けられたように動かない。今の会津はまさに、萎縮戦慄だった。
動悸が激しい。まるで耳の中に心臓があるような。ガンガン危険信号が鳴っているのに、見たら終わりだと分かっているのに、振り向いてしまった。
薄暗く、大通りよりも気温が低いそこには……顔の半分ほどを占める大きな金目。口裂け女のようなくちばし。毒々しい緑色で、ぼこぼこと盛り上がっている皮膚。
「っ……!」
あからさまに人外、これが蜘魅なのだと瞬時に分かった会津の手から僅かな風が。それは徐々に渦を巻き……。
『あぁっ! ごめんなさいごめんなさい驚かすつもりはなかったんです困っているようだったのでつい声をかけたと言いますか、あの本当に申し訳ない……!』
「…………え?」
手のひらサイズの台風を型どりかけていた術が、しゅんっと消えた。
さっきまでの恐怖は何処へやら。わたわた手を振る蜘魅に、ただただポカンと目を丸くする会津。
『あ、あの! 私はただのしがない河童でございまして対した術も使えませんしとって食おうなんて思っておりませんそもそも人間は食いません! キュウリの方が好きです!』
誰も会津を食う気だろうなんて言ってないのにやたら早口で捲し立てている。この状況で自分は怪しい者ではないと言い訳すればするほど疑われるのがお約束だが、発される言葉は混じり気の無い白だった。
嘘はついていない。そう確信した会津は、警戒しつつも改めて河童と向き合った。恐ろしい見目の化け物はよく見ると小柄で、会津と相違無かった。
「……お前は何でここにいる? 何しに来た」
緊張で震える手を強く握り締め眉間に皺がよった。無理もない、蜘魅と遭遇したのはこれが初めてなのだから。
つり目がさらに鋭くなっている。河童は目線だけで殺されそうだと怖じ怖じしながら口を開いた。
『わ、私は……最近転生したばかりでして。住んでいた山が無くなってしまい途方に暮れ……街へ降りれば食料と新しい住み処が見つかるかと考えました』
この言葉も白。行き場がなくふらふら下りてきたのは本当らしい。
蜘魅も異能の力がふたつある。既存術は、死んだ日からきっかり三年で転生してくる“転生術”。この河童はそれを使いこの世に再登場したばかりだという。まるで“引っ越してきたんです”みたいに軽々しく言ってしまうのが、会津には新鮮だった。
いけないいけない、こいつは大量虐殺を起こした妖怪だと気を引き締め質問を続ける。
「蜘魅は人を襲うと聞いた。無害なふりして俺を殺すつもりだろ」
『とんでもない! そんな酷いことする蜘魅はごく一部だけですよ! 迷惑してるんです、ごく一部の非道たちのせいで蜘魅の印象が悪くなるの』
「言葉が黄色い。なに焦ってるんだよ」
『そりゃあ焦りますよ! 貴方風術使いでしょう!? 風がこう、手に巻き付くように……ぶわーってなったら吃驚するでしょ! 殺されるかもと恐れているのは私の方です! っていうか言葉が黄色いってなんですか、人間は分からない!』
(…………まぁ、確かに)
河童から見た会津の行動はナイフを突きつけられたことと同義である。少なくとも言葉の色に関して追求するのは辞めた方がいいと彼は心の中で反省した。
拠り術は寄す処人本人の感情によって力の加減が左右される。心が揺らげば揺らぐほど制御できなくなり最悪暴走してしまう人が実際にいる。さっきの会津がいい例だ。あの時は暴走状態に片足突っ込んでいた。
河童も河童で、人間の心情を察する余裕がなかったらしい。蜘魅にとっては代々仲間を葬ってきた寄す処人。術を向けられては恐怖を感じる方が当然と言えるだろう、例え襲う気がなくとも。
つまりこの状況を一言で言い表すと、お互い吃驚してパニックになった。
それだけである。
「……っはぁ~」
『えっ、ど、どうされましたか大丈夫ですか?』
警戒心が完全に解けた。
一気に脱力してしゃがみこんだ会津に、河童はおろおろと手を伸ばし背中を擦ってやる。綿毛も飛ばないくらい優しい力加減。
河童は、人を襲う蜘魅はごく一部だと言った。この言葉に嘘の色を感じなかったから信じていいだろう。襲わないのに、それを信じてもらえないまま逃亡生活を繰り返しているのか。もし自分が同じ状況だったらと考えると……同情できる。冤罪をかけられて自分の色を隠しながら生きていく寄す処人の境遇と似ていたから。
案外悪いやつではないのかもしれない。そんな気持ちが顔を出した。
「ここは寄す処警察の本部がある県だ。彷徨いてたらすぐ捕まっちまうぞ」
「えっ! ということは、ここは千葉県!? 嗚呼どうしよう大変だぁ……!」
顔面蒼白で右往左往する河童が、大量虐殺を行った化け物だなんて信じられない。むしろ身長も相まって、ただの鈍臭い子供に見える。
ふと、河童は何かを思い出したように立ち止まった。
「あれ、貴方は何故通報しないのですか?」
そう。蜘魅を見かけた場合、寄す処警察緊急ダイヤル“000”へ電話する権利がある。それは、寄す処人であれば親から耳にタコが出来るほど聞かされる常識。
河童は人間に見つかるとすぐに通報され捕まった過去があるので、こうして会話を続ける少年が不思議だった。
一方その少年、会津は……自身にも理由が分からなかった。ただ、人を食わない確信がある事と、なんだか憎めない性格を持つ河童を警察に突きだし始末してもらうことに罪悪感がある。
『……どうしますか?』
試すような……いや、覚悟を決めた言い方。数百年にわたる逃亡生活がどの様なものだったか、この一言に詰まっていると会津は受け取った。
「…………通報は、しない。河童をみたことも言わない」
蜘魅が過去にした罪はよく知っている。だが、その百鬼夜行に河童はいなかった。そう信じて。
「人間は皆、私の存在を否定するものだと思っていました。でも……貴方のような人も、居るのですね」
心底嬉しい時に見える、橙色の言葉。会ったことを黙るだけでこんなに鮮やかに発色するなんて今までどんな思いで生きていたのだろうと、会津は胸が締め付けられた。
『ところで、髪色が明るくなった気がするのですが……』
「……あっ!」
会津は、着色剤の効果が切れていたことを思い出し咄嗟に髪を押さえた。緊急事態は何も解決していなかったのだ。目は、完全に空色と苗色のダイクロイックアイに元通り。前髪も銀色を取り戻していた。
『えっと、やはり何か事情がおありで……?』
「この髪と目を見られると、まずいんだ」
黒い錠剤を飲むことで一般人と変わらない容姿に変える必要性を簡単に説明する。
河童は沈痛な面持ちで会津に寄り添った。
『こんな綺麗な目を隠さないといけないなんて……人間の街は生き辛いのですね。お家はこの辺りなのですか?』
「いや、3丁目だ」
『3丁目……さっき通りました! 人目につかない順路を知っていますので、ご案内させていただいてもいいでしょうか?』
「あぁ、助かる」
大きな水掻きが特徴的な手に引かれながら通った細道は、十二年この街に住んでいる会津でも知らなかったもの。草を掻き分け顔を出すと、そこから家の外観が見えた。
(本当に着いた……)
道中、本当に着くのかと心に浮かんでいた心配が、感謝と罪悪感に変わる。
「ありがとう。本当に助かった」
『例には及びません。それより早く中に!』
河童は周りに人がいないか確認してから小声で背中を押してくれた。そのお陰で会津は誰にも見られず家の中へ入ることができたのだった。
帰宅後真っ先に母へ事情を話し、しっかり夕食を食べて風呂に入ってから着色剤を飲んだ。母が毎度の如く、丸一日飲まず食わずになるんだから、と言って聞かなかったからだ。
錠剤が水と共に喉を通った感覚が最後、強烈な眠気がフラフラと脳が揺れている錯覚を起こし……電源ボタンを押されたテレビのようにプツンと意識が途絶え、そのままベッドに倒れこんだのだった。
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