第3話

その日の夕方、下校前のホームルーム中。号令を終え、教卓に立つ日直が紙に書いてあることをそのまま読み上げていく。今日学校で起こった出来事を発表する時間、会津の肩を誰かの指が軽く叩いた。

 右に視線を向けると誰の仕業かすぐにわかった。隣の席に座っていて、家も隣の雄勝鳴子。彼女も寄す処人であり“五感鈍鋭術”という、自分自身はもちろん触れた人の五感を操れる珍しい能力をもっている。

 だが重度の軟体類アレルギーが生まれつきあって、色素着色剤に含まれているイカスミにも反応してしまう。なので着色剤は服用出来ない。橙色の眼は黒いカラーコンタクトで隠し、胡桃色の髪は色素が薄い、で通している。大きな猫目とショートヘアが特徴的。背が高く、さっぱりした性格なので同性に好かれるタイプである。

 そんな朗らかな彼女が神妙な顔をして、クラスメイトに気付かれないくらいの小声でこう言った。


「あいづくん、顔伏せて」

「は? なんで……」

「目、緑になってる」

「……!?」


 バッ、と窓ガラスに映る己を確認してみると、真っ黒だったはずの目が月が欠けるように元の色を取り戻し始めているではないか。


(そんな……まだ時間はあるはずなのに)


 着色剤の効果が切れた。最後に飲んだ日から三週間しか経っていない。一錠で四週間は効果が持続するのに、だ。

 実は、まだ未成熟な子供だと効果時間にズレが生じることがあるのだが、会津はまだそれを知らない。

 焦りが思考回路を遮断した。


「だ、大丈夫……じゃないよね。先生に言って早く帰らせてもらおうか?」


 言い考えだと思ったが、それは一瞬で過ぎ去ってしまった。


「いや……今先生を呼んだらクラス全員の視線が集まるだろ。目を見られる可能性が高まる」

「そ、そっか……じゃあ、親に電話して迎えに来てもらうとか。あぁでも、公衆電話が昇降口の目の前にあるし聞かれたら困るか……」

「だな。帰りの会が終わるまでうつむくしかねぇな……」

「あ、じゃあランドセル立てた方がいいよ、顔が隠れるから。あと、私の帽子貸してあげる。一緒に帰れたらよかったんだけど今日塾があるから、その代わり」


 机の下で橙色のキャップを手渡してくれる。ハートと音符たっぷりな女の子向けのデザインだがこの際仕方ない。会津はありがたく使わせてもらうことにした。


「ありがとう。助かる」

「全然いいよ! むしろ、こんなことしかできなくて悔しいくらい」


 鳴子の大きな猫目が、申し訳なさそうに伏せられる。他人を自分より心配し決して見捨てない。会津はこういうところが好きなのだ。

 幼いながらも、姉御肌で世話好きな性格の鳴子が第一発見者だったことに胸を撫で下ろした会津だったが、次いで完全に薬効が切れる前に家へ帰れるかが心配になってきた。

 運が悪いことにホームルームの恒例行事“今日あった嫌なこと”でプチ会議が始まってしまい、だらだらと話し合いが長引く。タイムリミットは刻一刻と迫っているのにまだ終わらない。会津は内容を深く聞く気になれず、ただ俯き前髪で目を隠してこの場を凌ぐしかない。

 そして、号令が終わると同時に教室を飛び出したのだった。


 今どれくらい色が戻っているのが確認する余裕もなく只走る。足を動かす度前髪が揺れ、目が見えてしまわないかハラハラしていた。

 小学生の通学ルートは決まっている。同じ小学校に通う児童ほぼ全員が使っているであろう大通りが一番の難関。ランドセルを背負った子供の姿が今日も多数見られる。

 どうやったらこの大人数の目を欺けるか。考えた打開策は人通りの少ない路地裏を使うことだった。迷わずひと目がつかない路地へそそくさ駆けていく。

 ……この選択が地獄を見る元凶になることも知らずに。


(ここなら、誰も来ないだろ)


 子供ひとりがやっと通れるくらいの幅しかない路地裏。会津の両隣にあるのは使われているのかすら分からない廃ビルである。誰かが通ったことがあるのか、地面には所々タバコが押し潰されていて、いつからあるのか分からない空き缶が爪先に当たって軽い音をたてた。とても通りやすいとは言えないが、異色の目を見られて騒がれる方が厄介だ。今日だけ、と我慢して歩を進めていると……。


「っ!? いてっ……」


 突然、静電気のような衝撃が脳内を走った。ほんの軽いものであったが何せ初めての感覚だったので、驚きで足が止まってしまう。

 額や後頭部をペタペタと触ってみるが怪我をした感じはない。はて、と首をかしげた時思い出してしまった。3年前、父との会話に続きがあったことを。

 寄す処人は、ふたつ異能力を持っている。ひとつは“固有術”。発風能力や瞬間移動、記憶操作など人によって多種多様な術のこと。

 もうひとつは“既存術”。寄す処人であれば誰もが持っている術のこと。術と表すには微妙な立ち位置であるが、確かに存在する力なのだ。それは、自分の半径十メートル以内に蜘魅や盲魎など、異能の力を持つものがいるかどうか分かるもの。突然、静電気が走ったような衝撃を感じるのだと聞いた……さっきの会津のように。

 父はこう続けていた。


「衝撃が強ければ強いほど危険だ。もし“痛い”と感じたのなら、振り返らず逃げろ」


ー化け物が来るぞ。


『ここで何をしているんですか?』

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