第2話

ー2015年秋。

 布団から出していた顔が冷えきっている。霜降が過ぎ、朝晩の冷え込みが増してきた今日この頃。寒さに弱い会津にとって辛い時期の始まりである。

 完全に目が覚めるまで温もっていようとうつらうつらしていたら母に『早く起きやがれ』と急かされた為、渋々冷たいフローリングに足をつけた、そんな朝。

 会津は目を擦りながら着替えを済ませて歯を磨き、階段を降りてリビングのドアを開けた。そこにはキッチンでせっせと朝食を盛り付ける母と、テレビを観ながらスープを啜っている姉がいた。

 ドアの音で気付いた姉がカップ多々手にヒラヒラ手を振る。

 

「おはよー、会津」

「……はよ」

「あはは! チョー機嫌悪いじゃん、ウケる」


 朝から騒がしい姉は、会津の無愛想な返事を慣れた様子で受け流しテレビに視線を戻した。コテで巻いたツインテールとバレないギリギリを攻めたスクールメイク。中学に入ってから派手さが増した気がするな、と思いながら会津は椅子に座った。

 まだ寝ぼけてボーッとしている彼の目の前に、目玉焼きとウインナー、トースト、山盛りのサラダが乗ったワンプレートが置かれた。


「さっさと食え。薬もしっかり飲むんだよ、あんたすーぐ風邪引くんだから」

「にがい……」 

「ワガママ言うな」


 母の言う通り会津は体が弱い。寄す処人は皆なにかしらの先天性疾患を持っているものだが、会津は特に酷い。気管支喘息だけでも大変なのに、免疫力が低いせいで感染症を繰り返すので入院することなんてザラにある。根本的な治療法は確立されておらず、重症化を防ぐための対処法として抗菌剤の常飲を医師から指示されているのだ。これさえ飲んでいれば健常者と同じ生活を過ごすことが出来る。

 だが、まあ苦く子供の口に合わないものなので会津は嫌な顔。そこは年相応の反応を示すらしい。脆弱な体を持って産まれたからには仕方のないことだと理解しているから我慢して飲むが。

 フォークで朝食を食べ進めながら思い出すのは、父の言葉。 


(お前なら真実を見つけられる気がする、か……)


 あれからふとしたときに思い出しその度考えるのだが、抗菌剤を飲まなければすぐ病気になってしまう自分に出来るわけ無いだろうという結論に至る。地頭が良いというのは残酷なもので、いつ大病にかかって死んでもおかしくないことを悟らせていた。

 この薬だって、マイナスをゼロに戻すだけなのだから。

 あとは、言葉の色を感じることも評価していたか。確かに寄す処人だからとは関係なく生まれもった能力という点では羨ましがられるのかもしれない。だが例え嘘を見抜いたとしても、それを指摘すると化け物でも見たかのような目を向けられるこの世ではお荷物だ。要らない能力だと、会津は常々思っている。

 パンを咀嚼しながら見やるは壁にかけられた父の遺影。堅実な雰囲気は会津によく受け継がれている。

 寄す処人の成り立ちを語った翌日、父はこの世を去った。まだ三十四歳なのにベッドの上で眠るように亡くなっており、老衰と判断された。寄す処人の平均寿命は五十代と短いのだが、それにしても早すぎた。

 あれから三年たった今でも最期の言葉を思い出しては考える。もしも父が望む真実にたどり着いたとして、自分の手には何が残るんだろうと。

 そんなことを考えていたらあっという間に時間が過ぎてしまい、母に急かされながら完食後、抗菌剤を飲んで、やっぱ苦ぇと舌を出すのだった。

 

 子供たちが通学のため家を出たほんの数分後に鳴り響く固定電話。母が受話器を手に取ると、温かい緑茶のように渋くも柔らかい声が聞こえた。


『おはようございます。寄す処警察の仲井です』

「あ、どーも! おはようございます」


 警察からの電話なのにまるで近所の住民のような挨拶を返すのは、戦後会議で定められた寄す処人の監視方法のひとつが毎週決まった時間に電話を掛けることだからだ。家庭によって日時と時間はまちまちで、米沢家は毎週金曜日に掛かってくることになっている。

 担当者の仲井は、母がこの家に引っ越してきた約15年前からの付き合いなので馴染み深い。

 故に、ふたりの会話はスムーズだった。


『今週は、何か変わったことなどありましたか?』

「いや、特に無いっすね。美咲は相変わらず学校楽しいって言うし、会津の体調も安定してます」

『そうですか、元気に育っているようで何よりです。愛梨さんはご不便されていませんか?』

「全く」

『それはよかった。今週も異変無いようで安心しました』


 溌剌と答える母、愛梨につられて仲井の声も柔らかい。

 この電話が反乱防止策であることは寄す処人全員が周知している。だが戦争から何百年も経った現在、はっきり言うと形だけのもの。寄す処警察側も安否確認がとれたらそれでいいという価値観なので、肩苦しい雰囲気はなかった。

 少しの間世間話を交わし、話の終わりが見えたところで仲井は重要事項を告げることにした。


『愛梨さん、落ち着いて聞いてください。この千葉県内で蜘魅の目撃情報が出ました』

「えっ!」


 魔の手が生活圏内に伸びてきた事実を。

 

「……まさか、この辺で?」

『はい』


 母は震えた。ついさっき子供たちを見送ったところなのだ。もし、登校中に襲われでもしたら……想像するだけで眩暈がした。


『どうか安心してください』


 不安をそっと拭ってくれたような優しい声。

 

『只今うちの精鋭が追っているところです。捜索にもってこいの寄り術を持っています。発見次第直ぐ封印するので、大丈夫ですよ』


 寄す処警察は人数が少ない。四年ごとにひとり加入するくらいの過疎っぷり。だが蜘魅の数が減少した現代では人手不足は回避できていて、蜘魅盲魎の出現がない日は新人教育に力をいれている。そのため組織内の戦闘力が高い。こんな手練れ揃いの寄す処警察の中で精鋭と呼ばれる人間ならば安心できると、愛梨は胸を撫で下ろした。


「宜しくお願いしますね」

『はい。お任せください』


 受話器を置いたときには不安が消え、さて排水溝の掃除でもしようかとキッチンへ足を向けた。


 仲井が仕事用のスマホをきると、横から聞きなれた声が。


「大口叩きますじゃねぇか仲井さんよぉ」


 背が高くてガタイも良い男。仲井の後輩だ。社会人四年目の現状一番下っぱである。

 社会人にあるまじき下手くそな敬語を使うが愛嬌があり、能力は申し分ない彼を仲井は気に入っていた。

 

「混乱を避けるために必要なことだよ、板野」

「澄ますねぇ。ところで、精鋭ってのは俺の事すか?」

「そうだよ。駄目だったかい?」

「駄目ではねーですけどよ……今回ばかりは弱気になるぜ、尻尾すら掴めねんだから」


 ここ数日蜘魅の捜索に当たっていたせいで肩がこったのか、うなだれた拍子にこき、と骨が鳴った。


「マジで見つからねんだよなー。前回も半年張り込んでやっとだし、早く取っ捕まえてぇわ」

「高い知能を持つ個体だからね。経験を活かして逃走が上手くなったんだよ。でも戦闘力は弱いから見つけてしまえばこっちのものだ」

「簡単に言いやがって……手伝ってくださいよ先輩」

「うん、そのつもりで下りてきたんだ。じゃあ、行こうか」


 山のふもと、木々と獣道しか無い場所で仲井が板野の肩に触れた瞬間。

 ふたり共、消えた。

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