第4話 幸せの定義
その日の帰り際、何故か俺は隣にある小さな教会へと足を向けていた。
別にキリスト教でも無ければ、神様とかいう朧げな存在を信じている訳じゃない。
それでも何故か俺は教会の扉を開けていた。
奥の一段高くなった所に小さな祭壇というのか…机の様なものがあり、その横には恐らく神父が説教を説くのであろうと思われる台がある。
俺は何となく幾つも並んだ長椅子のひとつに腰掛けた。
映画で見るような華やかな感じは全くなく、シンプルで古ささえ感じるその教会は、逆に神秘的にさえ感じさせた。
「おや……平日のこんな時間にお客さんが来るなんて珍しいな……」
突然背中から声がして俺は慌てて振り返った。
すると胸に十字架を掛けた中年の男が俺に微笑みかけている。
明るい栗色の髪に、緑色の瞳……。
先程の流暢な日本語の出先が本当にこの男性だったのか、躊躇いながら
「すみません……勝手に入ってきちゃって……」
立ち上がり頭を下げた。
「いやいや、全然構わないよ。教会は常に開かれた場所でなくてはならないと思ってるからね」
ホッとするような温かい笑顔にどこか気まずさを覚えながら
「でも……俺別に……キリスト教とかじゃないし……神様とかも……信じてる訳じゃないから……」
「それはなんの問題もないよ。──もしかしたらだけど………君は誰かに話を聞いて欲しかったんじゃないのかな?」
出ていこうとした俺にその男性はそう言って優しく笑いかけた。
目の前の温かい紅茶がふんわりといい香りをたてていて、俺はそれを見つめた。
「良かったらお茶でもどうかな?」
その言葉に誘われるままに俺は奥の小さな部屋にまで上がり込んでいた。
「……なるほど……」
その男性は俺の下手くそな話に耳を傾けてくれ、そして俺は堰を切ったように全てを話していた。
男同士で付き合っていること。
その恋人の祖母が余命が短いこと。
そして……女だと嘘をついて……その女性を騙していること…………。
「……君は……その嘘が辛くなってしまったんだね?」
穏やかな優しい声に俺は黙って頷いた。
「───確かに……人は子供の頃から“嘘をついてはいけない”…そう言われて育つから、誰しも少なからず『嘘をつく』ことに罪悪感を持つ」
そう言ってティーカップに口をつけ
「良かったら君も飲んでみて。紅茶を淹れるのには少々自信があるんだ」
イタズラっぽく笑った。
それに俺も笑顔で返すと、目の前に置かれたティーカップを口へ運んだ。
口いっぱいに広がる紅茶の香りが、善し悪しの分からない俺にも美味しく感じさせる。
「…………これは…キリストの教えではなく、私個人の意見なんだけれど………私は全ての嘘が悪いとは思わない。…………時には必要な嘘もある」
その男性はまた優しく笑った。
「人を傷付けたり……自分の利益の為だけにつく嘘は決してしてはいけない。しかし、誰かを守る様な…優しい嘘は……時には必要な時があるんじゃないかな……?」
「…………そうかもしれないけど…………でも俺は……あの女性の大切な忍を……幸せに出来ないかもしれない……」
言っていて自分でも初めて気付いた……。
いや……もしかしたら気付きながら……目を逸らしてただけなのかもしれない……。
あの女性を騙しているだけじゃなく……あの女性が大切にしている忍を……俺はきっと……幸せにしてやれない……。
「………………それは……君が男だから?」
その言葉に思わず顔を歪めた。
その通りだったから……。
いくら昔に比べて同性愛者が世間に認められようと……やはり……理解して貰えない事も多いし……結婚も…………子供を持つことも出来ない……。
「幸せというのは人それぞれなんじゃないかな……?」
優しい…温かい言葉に……俺はそれでも紅茶を見つめ続けた。
「今まで私はたくさんの恋人達を見てきた。私の国では日本に比べて同性同士のカップルが遥かに認められている……。それでも、偏見や迫害に合うこともある……。……しかし、私の知る同性同士のカップルはいつでも笑っていたよ。『彼と出会う事が出来て本当に良かった……幸せだ』と……。誰が何と言おうと、周りがどんなに蔑もうと、彼らの想いを変えることも、傷付けることすら出来なかった。彼らはそれほどに、お互いを慈しみ、愛し合っていたからね」
俺はいつの間にか顔を上げ話を食い入る様に聞いていた。
「……その人達は…………?」
「仕事の都合で母国を離れてはいるが……今も幸せに暮らしている。もちろん2人でね……」
そう言って嬉しそうに微笑んだ。
「それに……君たち若い人に比べて、長い時間を生きてきた人達は、その時間の分様々な経験もしているし、とても聡明だ。案外……君の心配を取り除いてくれるかもしれないよ?」
俺を安心させる為なのかまたイタズラっぽく笑うその人に、俺もつられて笑った。
すると、入ってきた教会側のドアと反対の、裏口と思われるドアが開きひとりの男性が顔を覗かせた。
金髪のキレイな蒼い瞳……。
「……やぁ、すまない。お客さんだった?」
そう言って俺ににっこりと微笑むと
「バート、今日はトマトがたくさん採れたから野菜スープにしようと思うんだ」
そう目の前の男性に声を掛けた。
「いいね。楽しみだ」
その返事にドアから覗かせたままの顔が嬉しそうに笑い
「ごゆっくり」
また俺に微笑みかけるとドアを閉めた。
今のそれだけの会話が……2人の雰囲気が……すごく温かく感じて、ついその男性を見つめた。
そしてそれに気付いたのか、その男性は俺に視線を戻すとウィンクして幸せそうに微笑んだ……。
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