第3話 罪悪感
鏡の前で最後の色付きのリップを塗る……。
何年かぶりに履いたスカートがイヤにスカスカして心もとなく感じられ……
「………スカートだけに……ってか…………」
自分を誤魔化す様にそう言うと、俺は大きなため息を吐いた。
鏡の中の自分が……にっこりと微笑み、やがてそれが引き攣った笑顔へと変わる……。
自分で見ても可愛いと思う。
動画を参考にした化粧もムカつく程上手くいった。
白い肌に茶色がかった大きな黒目…。
元からカールしてる長いまつ毛……。
小さく形の良い唇…………。
そして……華奢な肩…………。
子供の頃よく姉貴に「光流はお腹の中で付けるもの間違えて産まれてきた」と……嫌程からかわれた。
「成長すれば光流だって男らしくなるよ」そう慰めてくれた母の言葉に期待しながら、しかしその『成長』は21歳になった今も未だ訪れない……。
そして……過去の記憶が俺の胸を“チクリ”と刺す……。
もう一度ため息を吐き、女友達から借りたウィッグを着けた。
鏡の中からふんわりとカールした髪の長い女が俺を見つめる……。
「…………完全に女じゃねぇか……」
そして俺は鏡の前でぐったりと肩を落とした……。
すると洗面所のドアを忍が “コンコン” とノックして
「──先輩……?大丈夫ですか……?」
心配そうに声を掛けた。
「───ぉ…おう!…」
『支度』が終わるまで絶対覗くなと言った言いつけを健気に守るのが……忍らしい……。
落ち込んでいるのを気付かれない様に静かに深呼吸すると、俺は洗面所のドアに手を掛けた。
忍の前で女の格好をするのが初めてで……。
怖いような……恥ずかしような……。
それがまた落ち込ませた……。
勢いよくドアを開けると“ゴツっ”と物凄い音が響き、途中でドアが止まった。
驚いて隙間から顔を覗かせると手で顔を覆っている忍の姿が目に入る。
「………おまッ……大丈夫か⁉︎」
狭い廊下で間近で待っていたもんだから、いきなり開いたドアに顔面をブツけたらしい……。
「……大丈夫です……」
目の端に涙を浮かべ、鼻の頭とおでこを真っ赤にした忍が笑いながら俺を見た………。
そして…一瞬でその笑顔が消えた……。
「………………忍……?」
俺が呼ぶのにも気付かずに俺を見つめている。
そしてみるみる赤くなる顔…………。
「……忍……?……」
「……………………か……可愛い…………」
ボソッと忍が呟いた言葉が恥ずかしくて、照れくさくて
「──おいっ!そこ退けよ!出れねぇだろ!!」
そして思わず怒鳴ってしまう。
恐らく……忍にも負けないであろう……赤い顔で……。
リビングのソファーに座り、お互いバカみたいに耳まで真っ赤になっている。
しかも忍は床に正座だ……。
「…………何時に行くんだよ……」
「え!?……あっ……昼過ぎに行くって言ってあります!」
忍は顔を上げ慌てた様にそう言うと、また慌てて視線を逸らした。
───なんだこれ………
そう思うのに、俺も忍をまともに見ることが出来ない。
しばらくの沈黙の後
「……そ……そろそろ…………行った方がいいんじゃねぇの……」
やっと口にした俺に
「───!? え!? ──あ……っはいっ……」
忍がまた慌てたように立ち上がり、テーブルに思い切り膝を打ち付けた…………。
電車とバスを乗り継ぎ着いた病院は郊外の、隣に小さな教会がある大きな病院だった。
中庭を車椅子で散歩している人もいたり……穏やかな、忙しない日常とはどこかかけ離れて見えた。
3階にある忍の祖母の部屋は隅々まで掃除が行き届いていて、大きな窓から充分な光の差し込む明るい部屋だった。
「……まぁ………可愛らしいお嬢さんだこと……初めまして、忍のおばあちゃんです」
上品そうな年配の女性が俺に向かってにっこりと微笑んだ。
『おばあちゃん』とは言い難いほど、若々しく見える。
そして忍とよく似た優しい笑顔。
「は…初めまして……、忍……さんと付き合わせてもらってます……ミッ…“ミチル” です」
大袈裟に頭を下げ、ガチガチに緊張している俺に、その
「そんなにかしこまらないで。今日は私のわがままで呼びつけてしまってごめんなさいね」
そう言ってもっと優しく笑った。
忍が“ばぁちゃん子” だと嬉しそうに話していたのが解るほど、その
上品そうに見える割に気取っていなくて、面白くて優しい……数時間過ごしただけの俺も、すっかり大好きになっていた。
「すげぇ良いばあちゃんだな……」
帰りの電車の中で窓の外を見ている忍へ声を掛けた。
「──はい。……自慢のばぁちゃんです……」
寂しそうに笑うその顔が、その
「先輩…………今日は…本当にありがとうございました」
「……別に…………俺……なんもしてねぇし……」
「そんなことないです。……先輩のお陰で……ばぁちゃんに……大切な人……会わせること出来たから……」
俯き優しく笑う忍が切なくて……。
俺は忍の手を握った。
「…………また……会いに行こう……」
前を向いたまま呟くように言った俺に忍は小さく頷いた。
それから忍が忙しくて会いに行かれない時は俺が変わって忍のばあちゃんに会いに行くようになった。
時には忍に言わず訪れる事さえあった。
多分それは……俺が本当は男だという罪悪感への……勝手な罪滅ぼしだったんだと思う……。
「いつもありがとうね」
中庭を散歩しながら忍のばあちゃんが嬉しそうに笑っている。
「お……私…こそ…すみません。こんなに何回も来ちゃって……」
「あら、私は嬉しいわよ。入院生活なんて暇なだけだもの」
何時でも優しく迎えてくれるその女性に、俺の罪悪感ははれるどころか、どんどん増していくように思える。
───俺は…………この人を騙してるんだ……。
何度会っても結局……その思いが消えることは無かったからだ。
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