第5話 大好きな人

アパートに戻り、化粧を落とし着替えをすると、まだどこか重たい気持ちのまま俺はソファーへと腰掛けた。

あの教会での話を頭の中で繰り返す。


確かに……残りの時間が限られた人間に「あなたの孫は男と付き合ってます」なんて、告げる必要のない事だ…と頭では解っている。

それなら嘘でも“普通の恋人” としてこのまま嘘を突き通すべきだと……。


結局俺は……自分で辛くなった嘘を、忍のばぁちゃんに押し付けようとしているに過ぎない。


自分が楽になるために…………。


「──先輩……?どうしたんですか……?明かりも点けないで……」


夕方の薄暗くなった部屋で、忍が心配そうに笑って部屋の明かりを点けた。


「……ごめん…………帰ったの気付かなかった……」


「……何か…あったんですか?」


忍は俺の隣に座ると、心配そうに顔を覗き込んだ。


「…………別に……」


「……昼間……ばぁちゃんから電話がありました。今日もミチルさんが来てくれたけど、元気が無かったって……喧嘩でもしたのかって……」


「───忍のばぁちゃんが…………?」


「先輩、時々行ってくれてたんですね……。ばぁちゃん……すごい喜んでました。俺にも……あんな良い人そうそういないから大事にしろって……」


嬉しそうに微笑む忍から思わず目を逸らした。


「───違う…………」


「……先輩…………?」


「俺は良いヤツなんかじゃない……。忍のばぁちゃんとこに行ってたのだって…………ただの……罪滅ぼしで…………」


「先輩…………それ……どういう意味…………?」


忍の顔が不安で曇っていく。


「──だって…………あの日…………俺が酔っ払った勢いで忍に告白なんかしなきゃ…………俺が…………お前を好きになんなきゃ……きっと今だって普通に彼女がいて……そしたら……………俺なんかじゃなくて…………普通に紹介出来て…………」


───そしたら……忍だって……嘘つく必要なかった……。


「………………そんな事……考えてたんですか?」


しかし忍は呆れたように、でもどこかホッとした様に


「あの日……先輩から好きだって言ってもらう前から……俺は先輩のコト好きでしたよ」


俺の顔を覗き込み困った様に笑っている。


「だから……彼女と別れたことも……まして、先輩と付き合ったコトを後悔したことなんて一度だって無いです」


「───忍……」


忍は「はぁ……」と大きく溜息を吐くと


「先輩、こっち来て」


自分の膝をぽんぽん…と叩いた。


「抱っこしてあげます」


「───バッ…カッ!……ふざけたことぬかしてんなッッ──」


一気に熱くなった頬が赤くなっているのが自分でも分かって、つい大きな声を上げた俺をまた困った様に忍が笑う。


「いいから。ほら……」


そしてまた自分の膝を叩く忍をしばらく睨みつけ…………

俺はおずおずと忍の膝の上に大人しく収まった。


「先輩……不安になっちゃったんですね」


優しく、けれどしっかりと抱きしめてくれる忍に、俺も抱きつき温かい肩に顔を隠した。


「おれ……先輩がおれを見つけてくれて……好きになってくれて……本当に良かったって思ってます。先輩を好きになって本当に良かったって……」


その言葉に嘘が無いと分かる。

何故なら俺は……忍がそばにいてくれる様になってから、ずっと幸せだと思えてたから。


───けど、俺は…………


「……でも…………俺は……忍を幸せにできないかもしれないし…………」


忍の服をギュッと掴み、ボソボソと言った俺に忍はまた呆れた様に『はぁ〜……』とさっきよりまだ大きな溜息を吐き


「こんだけ好きになった人と一緒にいられるのに……幸せじゃない訳がないじゃないですか」


心底呆れた様な声を出した。


そして……


「……先輩にまで嘘つかせてごめんなさい……辛かったんですよね……」


「ごめんなさい」忍はもう一度呟く様にいって、俺の髪を優しく撫でた。

それがバカみたいに居心地が良くて……忍の声も匂いも全部が俺を安心させてくれた。


それなのに俺は……


あの協会での話がやっと理解出来た様に思える。

大切な人の為の嘘なら……

それが誰かを傷付ける訳じゃないなら……

この嘘を突き通そうと決めた。


「……ばぁちゃんに……全部話します。ちゃんと本当のこと……」


「───え………」


顔を上げると、切ないくらい優しい忍の笑顔が俺を見つめている。


「俺が好きになったのは、このままの先輩で……それに、俺が今守りたいのも、守らなきゃいけないのも……誰でもない、先輩だから」


───あぁ……こんなだから……俺は幸せだと思えるんだ。


「それはダメだ」


そう言って俺は忍の両頬を指でぎゅっと摘んだ。

そうでもしてないと……忍の愛情に泣きそうだったから……。


「弱気になってた。忘れてくれ。──忍のばぁちゃんには嘘を突き通そう」


「…………へんふぁい…………?」


別に俺たちの愛情はその嘘の上に成り立ってる訳じゃない。

俺はそのままの忍が好きで、忍も……こんな俺を好きだと言ってくれる。

だったら……忍のばぁちゃんの笑顔の為に嘘をついたって………良いじゃないか……。


忍が笑ってくれていて……幸せだと言ってくれている。

俺は──それを信じていよう。


ほっぺたを摘まれたまま少し不安そうにする忍から手を離すと、俺を抱っこしたままの大好きな人をキツく抱きしめた。


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