ムーンウォーク

14時発なら13時には棺桶。そう決めたスケジュール通り、R.Bは13時には暗い部屋に自分を慣らし始めていた。

「準備万端ですか?」さっきからそこにいたのか、今来たばかりなのか判別つきかねるテンションで、いつの間にか暗闇からAが出現していた。集中を切らさないようR.Bは無言で頷く。

「いつも通り詳細はお伝えできません。あちらの時代にいくつかトリガーが用意されてますので、それを勘で引いていただいて、あとは流れでお願いします」

いつも通りだ。まかせてくれ。R.Bはそう視線で答えたが、その刹那、大きく目を見開いた。

「あったあった、心残りが。ちょっと待ってください。あさってダービーだわ」

「ダービーですか?競馬の?」

「はい、東京優駿。年に一度の競馬の祭典です」

「なるほど」Aが左手にはめたディスプレイで確認している。

「第117回日本ダービーがあさって日曜に開催予定ですね」

「そうなんでよ、昨日戻ってきてすぐチェックしたんですけど、今回は特に応援したい馬がいるんですよ。王の血統と謳われるケーニヒデアブルメン」

「なるほど、親子4代でのダービー制覇がかかっていると。競馬のことはよく知りませんがドラマティックなレースなんですね」

「ええ、ええ、ドラマ性は抜群です。なので、その、良ければ週明けの出発にできないでものでしょうか」

「すみません、今回は企業案件なのでドラマより仕事がギリ勝ってしまいますね」

まあ仕方がないか。せっかくの集中を削がれないように落胆を最小限に抑えたR.BにAが提案した。

「ただできることはやりましょう。代わりと言ってはなんですが、当日、東京競馬場に連れて行きますよ。ですから、帰ってきて記憶を引き継いでもらえたら」

「ここから東京まで行くつもりですか?」

東京まではかなり距離がある。もし今日発たなくてもレースは家で視聴するつもりだったR.Bは、その提案に素直に驚いた。経験上、実地で体感した記憶を引き継げばほぼリアルに等しいと知っている。これは逆に感謝するべきかもしれない。

「素敵です。さすがA先生」

「先生はやめてくださいよ。藤子不二雄じゃないんだから」Aが照れたように笑う。

「フジコフジオ?」R.Bの顔にはキョトンと書いてあった。

「漫才コンビですか?フジコとフジオの男女コンビぽいネーミングでミスリードを誘いつつ、実は芸風が真逆の達者なふたり」

「かなり合ってるけどちょっと違います。漫才じゃなくて漫画です。平成の世では超有名な漫画家で素晴らしい作品をたくさん残してます。確かここのカフェにも置いてますよ。プロゴルファー猿とか」

R.Bの顔面のキョトンが不審に置き換わった。

「猿がゴルフ、ですか?しかもプロ。猿がプロテスト受けられます?プロテストを受講できるタイプの猿ってどんな猿なんですか?」

「いや、猿は猿じゃない。猿は人間です」Aはそうきっぱりと言い切った。

「猿は人間」哲学めいた一文をR.Bは反芻する。

「そう、猿は人間でミスターXも人間。紅蜂も人間」

「そりゃミスターXは人間でしょうね。ミスターなんだから。猿には感じられない、すごく人間味がある響きですよ。それで、あの、べにばちってのは蜂ですか?」

「そう、蜂のこと。紅い蜂だけど人間」

「蜂だけど人間?」R.Bの脳裏に蜂人間が出現していた。

「紅蜂はクールビューティーだね。わたしの印象だと」なぜかAが照れている。

後にR.Bは知ることになる。カフェに置いてあるプロゴルファー猿を読んで、パッと見ではミスターXが一番やばいことを。そして、Aのパートナーが紅蜂を彷彿とさせることを。

「あと、猿はプロじゃないです。いや、後からプロになるんですけど」

「猿でもなくプロでもなくプロゴルファー猿ですか。ミスリードだらけで平成ってめちゃくちゃですね。これから行くのが令和でよかった」

そんなメッセージを残し棺桶の中でR.Bが旅立とうとしている。

「残念ながら、プロゴルファー猿は昭和です」

Aの返答はR.Bに届いていただろうか。

「あと、キングカメハメハの3×4てどんな意味ですか?」こちらはもちろん届いていなかった。

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