第33話 最強の参上と惨状

 ◆◆



 スペードのジャックと呼ばれる様になって如何ほどの時間が経ったのだろうか。最初はそんな悪趣味なコードネームが嫌だった。だが、自然とそんな感情も消え失せていき、今ではそう呼ばれることに誇らしくも思っていた。


 そして、エグレとの対決は心からわたしの本分を全うしている様で気分がよかった。これほどの強者と対峙できるのならば、これ以上の喜びはない。だが、そこに戦況はダイヤのセブンの手助けもあり、やや優勢で進んでいた。勝利はあと少しのところで掴めると思われた。そして、ダイヤのセブンの狙撃により、エグレが肩を負傷したことにより、この均衡は一気に崩れた。勝機は見えた。いや、勝利を確信した。と、思った矢先に予想外のことが起きた。


 ひとりの男が仲裁に入った。いや、正確にはエグレの手助けに加勢したのだ。


 その男から感じられる膨大な魔力の流れ、手練れの佇まい、そして、圧倒的強者の余裕――直感した。そして、その顔に覚えもあった。十年前よりも頭部の白髪が増え、少し老けた印象を抱くが、それでも忘れられない。忘れられるはずがない、その顔に絶望する。


「どうしてお前たちは、再び魔王の復活を企てている?」


 男は飄々と問う。


 だが、そんなことをよりも知りたいことがある。訊かなければならないことがある。確認しなければならないことがある。


「あんた、英雄のサトウ・サイキョウかい?」


 わたしは縋る思いで問う。違うと言って欲しかった。人違いだと聞きたかった。


 だが、男の回答でわたしの疑念を確信へと変わり、そして再び絶望する。


「あ、ああ、そうだけど、先に俺が質問をしたのだから、答えてから質問するのが筋ではないかね?」


「やはり生きていたか! サトウ・サイキョウ!」


「いや、どうして魔王を復活させようとしているのか答えてよ」


 と、サトウ・サイキョウは笑いながら言う。なんとも決死の決闘を行っていた緊張感が嘘の様に、小馬鹿にした様な言い草である。


「……魔王様を復活させたいのは、この世界を再び変える為、そして、自分自身を家族を仲間を守るためだ」


 サトウ・サイキョウはわたしの答えに対して不思議そうに逡巡してから口を開いた。


「……それによって、再び戦火の時代に突入することになる。その片棒を担ぐというのか? 君や家族に危険が及ぶかもしれないのに?」


「そんなことは分かったうえで決断したことだ。英雄さんよ。僕たちが悪に見えているか? そうだよな。魔王を復活させて世界を対立と混沌の世界に再びいざなおうとしているのだから。だがな、僕たちからすれば、お前が悪なんだよ。大悪党なんだよ。僕たちは自分の正義とその正義を信じる仲間の為に死ぬ覚悟だってできている」


「君たちがやっていることは悪だ。かつての戦争の様に多くの者が死ぬことになる」


 偽善だ。詭弁だ。あんたの様な強者だから言うことができる綺麗事に過ぎない。戦争でしか得られない対価がある。争いでしか生きられない人間がいる。死によって守られる者がいる。戦争が悪だなんて詭弁だ。死が悪だなんて偽善だ。


「善悪は多数決で決まるのか? 多くの者が喜ぶなら少数は苦しんでもいいと? ずっと弱者は苦しんでいろと? そう言いたいのか?」


「世界を変えたい願いは理解するがその方法を、努力のやり方を間違えるなと言っているんだよ。俺は自分の仲間を救うことが正義であり、仲間に危害を加える者は悪だ。そして、君たちの行動も看過できない。やはり、君たちはこの世界の悪だよ」


 それは子どもに言い聞かせる様に優しい口調で、噛んで含むように滔々と語る。


 方法や努力が間違っている? わたしたちが悪だ? ふざけるな! どれだけ苦しんでわたしたちが結論を出したことも知らないで! 何も知らないくせに、何もしないくせに、英雄だろうが最強だろうが、勝手にわたしたちを決め付けるな! わたしたちにはこれしか結論がなかったのだ! それを部外者が知ったような口で悪だと決めつけるな!!


「希望のないこの世界で救世主を求める――弱者の僕たちができる精一杯の足掻きのどこが悪だというんだあああああああ」


 わたしは憤慨する。今までの人生でこれ以上にないほどに――

 

 だが、サイキョウはそんなことは意に介さずに、嘲笑した笑みを浮かべながら問う。


「――で、なに? 熱くなっているところ悪いけど、別に善悪に興味はないんだよね。それにどう? お前らが必死で復活させようとする救世主なんかよりも圧倒的強者と対峙する気分は?」


「……最高だよ。最強の貴方を殺せば計画はより完璧なものになる」


 もちろん、強がりだ。想定していた最悪の状況であり、考えられる最低なシナリオである。この男ひとりの存在によって、我々の計画はすべてが水の泡となりかねない状況である。すぐにでも、この男が生存していることを仲間に伝えなければ。しかし、エグレひとりであっても不可能と思われたのに、サトウ・サイキョウから易々と逃げられる訳がない。


「そう、じゃあ、掛かってきな」


 サトウ・サイキョウは余裕綽々な雰囲気で挑発する。


 ここで勝てば大金星だ。両手に持った長剣をグッと固く握る。


「おらああああああああああああああ!!!!」


 気が付いた時には叫んでいた。自分を鼓舞する様に、強大な敵へ立ち向かう勇気を無理矢理振り絞る様に――



◆◆



 ――いやー、危なかったーー。なんか戦いが始まっているし、エグレは流血しているし、多分、あの銃弾が避けられなかっただろうから、本当に危機一髪というところだった。いやーーー本当に危なかった。


 しかも、仮面のコイツけっこう喋ってくれたな。なんかよく分からないけど、聞いたことをダラダラとひとりで喋って、ひとりでなんか怒って、やっぱり魔王を復活させようとしている組織の一員だからやべー奴だな。


 さらに痛々しいのは、あれだけ息巻いておいて然して強くない点だよな。なんか、必死に刀を振り回しているけど、多分、これじゃーいつまで経っても切られることはないな。うん、余裕だね。よかったーーー、俺が引きこもりニートしている時にめっちゃインフレしてなくて。バトル漫画なんてすぐにインフレするからね。まあ、一度負けて、強くなって倒して、次にはさらに強い敵が現れるの繰り返しだから仕方がないのだけど、捕獲レベルなんて初期は三桁でもつえーーーってなっていたのに、気が付いたら五桁とかバンバン出て来ていたからね。ココさんのフルコースがすごいお手軽に見えちゃうレベルだからね。高度経済成長もビックリだよ!


 まあ、でも、たかが十年で俺以上の強者はそうそうに現れないよなーー。いてくれた方が嬉しいけど。漫画やアニメとは違って現実世界はそうはいかないよね。


 さて、人にとって、いや、すべての命ある生物にとって、死は唐突で理不尽な様に、この物語の結末も唐突で理不尽であるべきではないだろうか。ドラマチックでなくてもいい。ロマンチックでなくていい。感動なんてなくていい。人の死は当たり前の様にそこにあり、ある日、気が付いた時に襲い掛かって来る。


 そのことを誰もが知っているが忘れている。生きることに必死で、日々の忙しさに追われる毎日で忘れてしまう。だが、仮面の彼は今日、それを思い出すだろう。


 決死の形相で、必死に剣を振り回す彼に教えてあげよう。俺は優しいのだから。


「君は四つの間違いを犯している。一つは努力の方法、二つ悪や正義なんてくだらない価値観に縛られている事。三つ救世主なんて他力を頼っている事。四つ歯向かう敵を間違えている事」


「な、どういう意味だ?」


「意味か……そうだな、この世界にそんな価値観があるかは知らないが冥途の土産って奴かな? じゃあ、さようなら――【消滅への魔炎フランティック・アミイ】」


 俺の魔法により仮面の男が持っていた長剣が烈火の如く燃え上がる。必死に消化しようと剣を振るうが、刃はぐにゃりと融解してどんどんと溶けていく。ようやく剣を諦めた様に放り投げるがその判断は既に遅い。魔炎は腕へと燃え移り、全身へと燃え広がっていく。そして、とうとう仮面の男を呑み込んだ。


「あああああああ※※※※あ※※※※※※※※あ※※※※※※※※※※※※ああ※」


 声にもならない断末魔を上げながら、必死にのたうち回る。だが、魔炎は一向に消えようとはしない。当然である。対象物が燃え尽きるまで、この炎は決して消えることがないのだから。


 海辺の炎は心を落ち着かせる。闇夜に茜色をした灯だけが俺たちを照らす。糸が切れた様に仮面の男はぶつりと奇声は発さずに動かなくなり、周囲には火花が散る音だけが響く。そして、瞬く間に炎は沈下を見せ、仮面の男は消滅した。


 ――骨ひとつ残らずすべては灰となって潮風に吹き流されていく。

 

「殺しちゃってよかったの?」


 エグレは問う。よかったかと言われれば悪かっただろう。情報を収集すら為にも、私怨ではなく司法に委ねるべきだったとも思う。


「まあ、罪なき者を三人も殺したのだから俺も少しだけ怒っていたのかも。でも、もうひとりいるから。そっちは殺していないよ」


 そう言い残してもう一人の銃を使っていた『秘密結社 墨染色くろぞめいろ暁会あかつきかい』の下へと歩む。


「ねえ、わたしを守った魔法って?」


「え、ああ、【反撃の空間カウンター・エリア】のことか」


 対象者にバリアの様な魔法の鎧を身に纏わせ、魔法や狙撃などの遠距離攻撃を防御すると共に、攻撃した者へ反転するという効果がある。だが、一日に何度も使用できないうえ、対策も容易な為、この魔法を知らない者や、カウンター魔法へ対策をしていない者にのみ有効であるが、今回は念の為にエグレに使用したことが功を奏した。


 漂流したと思われる木に寄り掛かる様に、銃を使っていた男は両腕から血を流し、顔から大量の汗を流しながら俺たちを睨む。歳は同じくらいだろうか。その素顔に見覚えはない。


「――僕も殺すつもりか?」


 銃の男は息を乱しながら問う。


「いいや、君は保安官に身柄を拘束してもらう。ロスコッキング伯爵には頼んであるからそろそろ来るはずだよ」


「組織に関する情報を吐き出させる為か?」


「まあ、そうだね。それもある」


「へ、お前たちの思い通りという訳にはいかないんだよ」


「……どういう意味だ?」


 一瞬の出来事であった。俺たちには彼は動けないと慢心があったのだろう。素早くリボルバーを手に取るとハンマーを起こす。まずいと思いながら咄嗟に魔力を込める。しかし、銃口は俺たちに向かない。彼は自分自身のこめかみに銃先を突き刺すと、そのまま不敵な笑みを浮かべながらトリガーを引く。


 彼は銃を放った。こめかみから勢いよく血を吹き飛ばしながら、ゆっくりとうつ伏せに倒れる。


 やられた。いや、やってしまったというべきだろうか。どうして自決した? その答えは簡単だ。組織に関する情報を渡さない為。身勝手な理由で魔王の復活を企てる組織だと思っていたが、予想以上にその結束力は固いかもしれない。


 死して尚、その手に握られた銃を眺めながら思う。


 ――こっちの世界では見たことがない拳銃だな。そして、気が付いた。


「リボルバーか。こっちの世界にもあったんだ。珍しい。保安官に押収される前に一丁貰っちゃおう」


 そう言いながら、彼の足元に落ちたリボルバーを拾う。


「怒られるわよ」


「いや、自身の命を引き換えしてでも組織の情報を漏らさない様とする、その仲間への思いと、勇敢なる行動には賞賛を与えなければならない。そして、そんな彼が使っていた銃が保安官によって押収されてしまっては、一生日の目を見ることがないだろう。彼を敬する気持ちを持って、俺が使わせてもうらうよ」


 エグレは呆れた口調で呟く。


「物は言いようね」


 再び、浜辺には静寂が訪れる。波の音だけが俺たちを優しく包み込む。その音がなんだか心地よかった。それでも、穏やかな気分にはならない。目の前に死体があるのだから。


 頭部から流れる血を眺めながら、仮面の男は言った言葉がフラッシュバックする。

「やはり、生きていたか! サトウ・サイキョウよ」

「最強の貴方を殺せば計画はより完璧なものになる」


 彼の口ぶりから依然として俺はこの世界で最強らしい。だが、今はそんなことは心底、どうでもいい。

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